「実在しない人事担当」が反響を呼んだキャスターは、どのようにリモートワークをしているのか取材した(写真はイメージです)。
GettyImages
いつも丁寧かつ素早くメールを返してくれるが、リアルでは顔を合わせたことのない人事部の「遠藤さん」は、実在しない人物だった—— 。
バックオフィスの代行サービスなどを展開するキャスター社で働く中での実体験をパラレルワーカーの筆者が明かしたBusiness Insider Japanの記事は大きな反響を呼んだ。
キャスターは現在800人以上のメンバー(うち業務委託などを除く社員は約350人)が、47都道府県、15カ国以上でフルリモートをしている「リモートワーク先進企業」。メンバー同士がほとんど直接顔を合わせることがない職場とは一体どんなものなのか?編集部が改めて取材した。
信頼していた「遠藤さん」は存在しなかった
2021年4月9日に配信した記事「優秀すぎる人事社員は、実はこの世に存在しない人物だった……フルリモートワーク企業のある実話」は、キャスターで実際にフルリモートワークで働く伊美沙智穂さんが、自身の経験を記事にまとめたもの。
伊美さんによると、採用面接から契約、業務までフルリモートで行われ、会社のメンバーと一切顔を合わせることがなかったという。契約手続きの窓口となったのは、「遠藤ひかり」さんという人物。
伊美さんが連絡をとると、的確な回答がすぐに帰ってくるため信頼を寄せていた。
しかし、働き始めてからから約2年が経過したころ、遠藤さんは実在しない人物で、複数の担当者が共同で運営する架空のキャラクターだったことを知り衝撃を受けたという。
架空の人物の目的は……
キャスターで採用サポートサービスの事業担当者を務める森数さん。
キャスター提供
「実在しない人事の遠藤ひかりさんには、まさに活躍してもらっています。入社手続きなどの定型化した問い合わせ先を属人化させないことで、担当が部署異動になったときに大きな引き継ぎコストがかかる。また『担当者が今日は休みだから対応できない』という事態も防げます」
キャスターの執行役員で、企業の採用活動をサポートするオンライン人事サービス・CASTER BIZ recruitingの事業責任者を務める森数美保氏は、「実在しない人事担当」の狙いをそう説明する。
キャスターが社内で架空の人物やキャラクターを運営し始めたのは2016年のこと。
人事担当「遠藤ひかり」のほか、「ロームくん」や「勤怠マン」などが存在する。
これらの人物・キャラクターは、キャスターのメンバー(社員や業務委託を含む)5人で運営しているという。
アウトソーシングのノウハウ生かす
キャスターは業務外注のオンラインサービスを提供している。
キャスターのHPを編集部キャプチャ
人事担当「遠藤ひかり」充てに質問や依頼があった時には、その時の担当者が、内容に合わせて事前に用意された文面を送付する。入社時の契約や就業規則についての問い合わせなどは、あらかじめ想定されている質問が多く、ほとんどの場合がテンプレートを基にした対応で事足りるそうだ。そのほか、パーソナルな相談は実在する人事担当が個別に対応している。
キャスターはもともとBPO(ビジネス・プロセス・アウトソーシング、業務の一部を外部に委託すること)のサービスをオンラインで展開する企業。社内の業務もマニュアル化する手法を徹底しており、こうした知見の蓄積の末に生まれたのが、実在しない社員「遠藤ひかり」だったというわけだ。
自己紹介では「〇〇県にいます」
キャスターがリモートワークの推進を掲げたのは、世界がコロナ禍となるよりずっと早い。2014年の創業時から、フルリモートワーカーの採用を続けてきた。
新型コロナの感染拡大で在宅勤務への関心が一気に高まったことで、キャスターは「リモートワーク先進企業」として一躍注目された。
前出の森数さんも名古屋で暮らし、フルリモートで働く。森数さんが率いる採用関連の部署には、約120名のメンバーが在籍するが、森数さんが実際に会ったことがあるメンバーは約10%という。
メンバー同士の自己紹介では、名前に加えて「和歌山県に住んでいます」など、住所を紹介するのもお決まりになっている。
リモート研修で伝える2つのこと
フルリモートで働く人も多いキャスターでは、入社後の研修もオンラインで実施する。
shutterstock
全国・海外にメンバーが散らばっているため、入社時の研修もフルリモート。
「初日のオリエンテーションで私が伝えているのは次の2つのこと。まずは『1カ月半の研修期間中は、想像以上の文字に溺れるから覚悟してね』ということ。もう一つが『相手に察してもらうこと、察することはあきらめてください』ということ。そこで苦労する人が多いので、初めにその2点を伝えるようにしている」(森数さん)
フルリモートでは、オンライン会議などを除いてすべてのコミュニケーションが文字になる。そのため、チャットやメールでやり取りする文字は膨大になり、最初はあまりの文字量にたじろぐ人がほとんどだという。
また、対面では言わなくても伝わることも、オンラインでは文字にしないと伝わらない違いもある。
「隣の人がパソコンの前で頭を抱えていれば誰でもトラブルに気が付く。ただフルリモートで働くということは、『今、頭を抱えています』と文字にして発信するということ。それを言わないと負のスパイラルに陥ってしまいます。すぐにアウトプットすれば、みんなが返信してくれ、大量のインプットが得られる。それに慣れる必要がある」(森数さん)
オンオフのスイッチは人それぞれ
それでも、なかなかリモートワークになじめない人もいる。
「人によってオンオフを切り替えられるスイッチがちがいます。出社することでスイッチが入る人もいる。人それぞれなのでどうしようもないことでもありますが、自分のオンオフのスイッチがどこにあるのかも知ったほうがいい」(森数さん)
森数さん自身も、コロナ禍でのフルリモート生活で、子どもの世話をしながら家の中で働くことに限界を感じたという。
そこで自宅から徒歩数分の距離に、仕事で使うための部屋を借り、オンオフの切り替えをするようにした。
「私の場合、通勤は必要ないけれど、自分の働く場所は必要だった。人によって、自宅で制服やスーツを着ることがスイッチになることもある」(森数さん)
雑談は自然には生まれない
ビジネスチャットツールSlackの「美容チャンネル」に投稿された雑談。
キャスター提供
顔も合わせたことがないメンバー同士、コミュケーションはどう確保しているのか?
キャスターではメンバーがオンラインで雑談する仕組みをいくつも取り入れている。チャットツール・Slack(スラック)上などで「雑談部屋」を設けるだけでは、雑談は生まれにくい。そのため、例えば「ペット」や「野球」、「美容」などいくつものトークテーマごとのチャンネルを用意し、話しやすい環境を作っている。
また、会話が盛り上がりやすいのが、「メンバーをほめる話題」。
チャット上で、「〇〇さんのこの行動が成果を上げた」、「クライアントから褒められたよ!」などと書き込まれた場合には、Slackのスタンプ機能を使い、書き込みに「ナイスムーブ」というスタンプを押して反応する。
「ナイスムーブ」が押された投稿が、自動的に集まるチャンネルがある、そのチャンネルを見ればメンバーの活躍が一目で分かるようになっている。
メンバーをほめる「ナイスムーブ」が集められたチャンネル。
キャスター提供
他にも、その日の業務を書き込む日報もコミュニケーションを生んでいるという。日報は業務を終えた時間に、Slackの「日報チャンネル」に全員が投稿する。
「日報の最初に、その時の気持ちを書いてもらっている。『今日の晩御飯が決まりません』とか、『カレー3日目です』とか仕事関係なしに自由に書いてもらう。すると『うちもカレーだよ』と反応が飛んでくる。私は必ずみんなの日報に目を通しているが、毎日読むことで文面から普段と様子が違うとか、顔を合わせていなくても違和感にすぐに気が付ける」(森数さん)
フルリモートワーク、男性も希望
出典:キャスターが自社のメンバーを対象に実施したアンケート
キャスターで働くメンバーへのアンケート調査(2021年1月6日~1月13日に実施、222人が回答)では、キャスターに入社した理由について最も多かったのは「リモートワークをしたかったから」で64%だった。
企業としてフルリモートワークを打ち出すことが、多様な働き方を希望する人材を引き寄せることにつながっている。
森数さんが率いる約120人の部署では「ベビーブームが来ている」といい、2021年4月には4人が育休から復帰し、新たに2人が育休に入る。
「リモートワークであれば、ライフステージの変化に対応しやすく仕事を続けられるという女性は多いです。これまでは、変化に対応するため仕事や働き方を変えるのは女性でした。一方で、最近はリモートワークをしたいといって入社してくれる男性も増えてきていて、時代の変化を感じている」(森数さん)
メンバー同士が一度も顔を合わせたことがない職場 —— 。そんな職場も、コロナでぐっと身近に感じられるようになった。
あなたが「遠藤ひかり」と働く日は、そう遠くないかもしれない。
(文・横山耕太郎)