平均寿命の延伸や目まぐるしく変わるビジネス環境を背景に、リカレント教育が注目を集めています。
リカレント教育は教育と就労を繰り返すことで、知識やスキルをアップデートできるため、企業と労働者双方にとって大きなメリットを得られる教育制度です。
この記事ではリカレント教育の概要や注目されている背景、メリット、課題について解説いたします。
リカレント教育に活用できる助成金や取り組み事例についてもご紹介いたします。
本記事で紹介している内容については、所管する厚生労働省、各教育機関などの情報も必ずご確認ください。
▼厚生労働省
リカレント教育とは
リカレント教育とは、教育と就労を繰り返す教育制度のことです。
「リカレント(recurrent)」は、反復や循環を意味する言葉で、日本語にすると「循環教育」「回帰教育」と訳されます。
社会人が必要に応じて学び直すことから「学び直し教育」「社会人の学び直し」とも呼ばれています。
リカレント教育はスウェーデンの経済学者ゴスタ・レーンが提唱したもので、「社会の変化に適応するには、生涯にわたって教育と労働を繰り返すのが望ましい」と述べました。
この提言は1970年代に「経済協力開発機構(OECD)」で取り上げられたことがきっかけとなり、世界的に注目を集めました。
リカレント教育の対象者についても
リカレント教育の対象者は、学校教育を終えた社会人です。
義務教育や高校・大学といった教育機関での学びを終えて社会に出た後、新たな知識や技能を得るために学び直します。
就労中の社会人はもちろん、過去に就労経験のある人も対象となり、年齢制限はありません。
家族や勤務先から了承を得られれば、本人が「学びたい」と思ったタイミングでリカレント教育を受けられます。
近年は、出産や介護などのライフイベントがきっかけで離職した人や、定年退職者がリカレント教育を受けて再就職するケースも増えています。
日本と欧米のリカレント教育の違い
日本と欧米では、リカレント教育のスタイルが異なります。
欧米のリカレント教育は、長期にわたって就労・就学をフルタイムで繰り返す方法です。
そのため、スキルアップ目的で一定期間有給を取れる「有給教育訓練休暇」の法制化など、労働者が安心してリカレント教育を受けられる仕組みが整えられています。
一方、長期雇用の慣習が根強く残る日本では、「退職あるいは休職してまで学び直しをする」という考えが浸透していません。
よって、日本のリカレント教育は夜間講座や通信教育といった方法で、キャリアを中断せずに学び直すスタイルが一般的です。
生涯学習との違い
リカレント教育の類似語に、生涯学習があります。
社会人向けのリカレント教育を「生涯学習講座」と題していることもあるため、明確に区別されていない場合も多く混同されがちです。
しかし、厳密に言うと両者は「目的」や「内容」が異なります。
リカレント教育の目的は、あくまで“仕事に活かすこと”であり、その内容は仕事に関連した知識や技能に限定されます。
一方、生涯学習の目的は“豊かな人生を送ること”なので、学びの内容は問いません。
仕事関連の知識だけでなく、趣味や生きがいといった仕事に関係ないものも含まれるのが大きな違いです。
生涯学習の方が対象としている学びが広いため、リカレント教育は生涯学習の形態の一つと位置づけられるでしょう。
リカレント教育が注目されている背景
では、なぜ今リカレント教育が注目されているのか、背景について見ていきましょう。
雇用の流動化
日本独自の雇用慣行である終身雇用制度が終焉を迎えたことで、労働者の価値観は大きく変化しました。
「就職したら勤め上げる」という価値観は希薄になり、やりがいや年収、キャリアアップを目指して転職する労働者が増えたため雇用の流動化が進んでいます。
しかし、勤続年数が短くなれば社内教育で身につけられる知識やスキルは少なくなるため、社内教育だけに頼っていては自分の目指すキャリアを実現できません。
雇用の流動化が進んだ現代では、キャリアプランに合わせて必要な能力を身につける必要があるため、労働者が自ら学習できるリカレント教育に注目が集まっています。
ビジネス環境の変化
インターネットやAIといったテクノロジーの急速な進歩によってグローバル化が進み、消費者ニーズやビジネス構造は多様化・複雑化しています。
経済やビジネスはもちろん、個人のキャリアに至るまで、あらゆるものが短期間で劇的に変化する予測不能なVUCA時代に突入したため、従来の常識が通用しなくなりました。
VUCA時代を生き抜くには、変化に対応する必要があるため、知識やスキルを更新し続けなければなりません。
そのため、生涯にわたって教育と就労を繰り返すリカレント教育が注目されるようになりました。
人生100年時代の到来
人生100年時代とは、長寿化によって国や組織、個人が生き方の見直しを迫られていることを表す言葉です。
ロンドンビジネススクール教授のリンダ・グラットン氏が自身の著「LIFE SHIFT」で提言しました。
平均寿命の延伸している日本でも人生100年時代に向けて、就労機会に恵まれなかったあらゆる人に就労機会を提供できるよう、様々な政策が打ち出されています。
今後は働く期間が長くなるため、定年退職後の再雇用・再就職や、出産・育児、介護後の仕事復帰、キャリアアップを目指す人が増えると考えられます。
生涯にわたって安定した収入を得るには、知識やスキルを更新し続ける必要があるため、リカレント教育が注目されているのです。
リカレント教育で学べる内容
リカレント教育の注目が高まったことで、高等教育機関を中心にリカレント教育への取り組みが広がっています。
内容は多岐にわたりますが、ここではリカレント教育で学べる代表的な分野についてご紹介します。
IT
技術革新が進む近年、IT分野のリカレント教育は増えています。
IT人材の不足を解消する目的もあり、IT系の仕事に就くための基礎教育といった、未経験者・初心者向けの講座も多いです。
ITのリカレント教育では、情報セキュリティやプログラミング、システム構築、ICTリテラシーなど、様々な内容を学べます。座学と実習で実践的な知識・スキルを獲得できます。
青山学院大学
情報システムアーキテクトの育成プログラムや、女性向けのITリカレント教育プログラムが用意されています。
教材費は実費ですが、いずれも無料で履修可能です。
金沢工業大学
Society5.0社会の実現に向け、AIやIOTといった先進情報技術を学べるプログラムが複数用意されています。
法人向けプログラムもあり、テクノロジーを業務に導入・応用できる人材を養成できます。
介護・福祉
介護福祉士や精神保健福祉士、看護師など、福祉人材向けのプログラムが数多く開講されています。
福祉業界経験者はもちろん、未経験者向けの講座も数多く存在します。
日本福祉大学
福祉業界で求められる知識や技術、資格取得までを体系的に学べるプログラムを開講しています。
夜間やオンラインでの教育が中心で、受講料は無料(教材費などは実費)です。
また、就職サポートも行っています。
ビジネス系
社会人基礎力やPCスキルといった基本から経営学や法律、簿記・会計といった専門分野まで、幅広い内容のリカレントプログラムが存在します。
名古屋商科大学ビジネススクール
復職や再就職を目指す社会人の支援を目的に、社会人の学び直しとリスキルを促進するリカレント教育プログラムを提供しています。
キャリアコンサルティングを通じた就職・転職・復職支援も行っています。
東京大学
次世代リーダーの育成を目的として「エグゼクティブ・マネジメント・プログラム」という社会人向けの講座を開講しています。
語学
一般・ビジネスや教員向けの外国語講座の他にも、外国語で経済学を学ぶなど、多様な講座が存在します。
獨協大学
英語・ドイツ語・フランス語・スペイン語・イタリア語・中国語など、様々な外国語の講座がレベル別に用意されています。
リカレント教育のメリット
リカレント教育を実施すると、どういうメリットを得られるのか、企業・労働者それぞれの観点からご紹介します。
企業
まずは、企業側のメリットから見ていきましょう。
生産性の向上
リカレント教育で新たな知識やスキルを身につけて専門性が高まると、従業員自身のパフォーマンスが向上します。
学んだことをチームに共有すれば業務効率化が進み、生産性の向上を期待できます。
知見や仕事の幅が広がればイノベーションも生み出しやすくなるので、新規事業にもつなげられるでしょう。
人材確保
リカレント教育によって従業員自身の能力が向上すると、企業への貢献度も高まるため、報酬だけでなく精神的にも満足感を得やすくなるでしょう。
エンゲージメントが向上すれば、必然的に定着しやすくなるため、離職防止につながります。
また、優秀な人材ほど能力開発・向上に意欲的な傾向がありますが、一度就労すると学び直す機会はなかなか得られません。
企業がリカレント教育に積極的な姿勢を見せれば、自社の優位性を社内外にアピールできるため、優秀な人材が集まりやすくなります。
労働者
つづいて、労働者のメリットについてご紹介いたします。
市場価値を高められる
VUCA時代を生き抜くには、知識やスキルのアップデートが欠かせません。
労働者がリカレント教育を受けると、業務や会社の教育で身につけたスキルを体系的に学び直すことができます。
専門性が高まれば必然的に市場価値も高まるため、収入アップやキャリアアップを実現しやすくなります。
転職する際も有利に働くため、希望の仕事やポジションに就きやすくなるでしょう。
経済産業省「年次経済財政報告」によると、自己啓発をした人としなかった人の年収変化には、2年後で約10万円、3年後で約16万円の差額が生じていることが分かっています。
生涯にわたって活躍できる
教育と就労のサイクルを繰り返すことで、これまでの知識や経験に加えて、時代に即したスキルを身につけることができます。
職業を選択する幅が広がるため、リカレント教育を受けると退職後の再就職・再雇用で有利に働きます。
リカレント教育の課題
リカレント教育は企業と労働者双方にとって大きな恩恵をもたらしますが、実施する上での課題もあります。
制度が整っていない
リカレント教育を実施するには、会社側の理解とサポートが欠かせません。
勤務時間や勤務体制の見直し、フルタイムで学び直すのであれば有給教育訓練休暇などの制度も必要でしょう。
また、リカレント教育に関する公的補助や支援制度も必要ですが、いずれも不十分なため積極的に取り組む企業が少ないのが現状です。
教育機関が少なくカリキュラムも整っていない
リカレント教育を推進するには、社会人が一定期間のうちに働きながら体型的に学べるカリキュラムを組む必要があります。
しかし、リカレント教育を実施している教育機関や関連機関は少なく、カリキュラムも十分とは言えない状態です。
学習者の費用負担が大きい
無料で受講できるものもありますが無料講座は基礎的な内容がほとんどで、専門的な知識・スキルを身につけるにはそれなりの時間と費用がかかります。
学習者の教育費を補助する公的な支援は少ないため、学習者の負担が大きくなることもあります。
文科省では「就職・転職支援のための大学リカレント教育推進事業」を行っており、無料で受講(テキスト代など除く)可能です。
医療や介護、地方創生、女性活躍を中心に基礎から応用まで多様なプログラムを提供しています。
費用負担を抑えるためにも、公的事業を上手に活用しましょう。
リカレント教育で活用できる給付金・助成金
ここでは、リカレント教育を受ける際に活用できる給付金や助成金についてご紹介いたします。
教育訓練給付金
労働者の主体的な能力開発やキャリア形成を支援する制度です。
対象となる教育訓練は、レベルなどに応じて「専門実践教育訓練」「特定一般教育訓練」「一般教育訓練」の3種類があり、それぞれ給付率が異なります。
対象講座の受講にかかった費用の一部が受講者に支給されるもので、給付率は70%(上限56万円)~20%(上限10万円)です。
厚生労働省「教育訓練給付制度」
人材開発支援助成金
従業員に専門知識や技能の習得をさせるため、計画的に職業訓練を行った企業に対して、訓練費用や期間中の賃金の一部を助成する制度です。
「特定訓練コース」「一般訓練コース」は、訓練実施でかかった費用と期間中の賃金の一部が助成されます。
「教育訓練休暇付与コース」は、有給教育訓練休暇等制度を導入している企業の労働者が、当該休暇を取得して訓練を受けた際、経費助成や賃金助成を受けられます。
助成額は以下の通りです。
支給対象となる制度 |
賃金助成 (1人1日当たり) |
経費助成 |
---|---|---|
教育訓練休暇制度 | – |
30万円(36万円) |
長期教育訓練休暇制度 |
6,000円(7,200円) |
20万円(24万円) |
※カッコ内は生産要件を満たす場合
厚生労働省「人材開発支援助成金(特定訓練コース、一般訓練コース、教育訓練休暇付与コース、特別育成訓練コース)」
リカレント教育に取り組む企業の事例
最後に、リカレント教育に取り組んでいる企業事例を見ていきましょう。
サイボウズ株式会社
サイボウズでは、35歳以下の社員を対象に「育自分休暇制度」を導入しています。
退職後、最長6年間は復職できる制度で、退職後は留学や大学入学、転職など自由にスキルアップできます。
育自分休暇制度は、復職を強制するものではないので、制度利用後そのまま戻らなくても問題ありません。
同社では、ライフステージの変化に合わせて働き方を選べる「働き方宣言制度」も導入しています。
通学や副業など、個人の事情に応じて勤務時間や働く場所を9分類の中から選べます。
ソニー株式会社
ソニーでは「フレキシブルキャリア休職制度」を導入しています。
専門知識・スキルを学ぶための休職であれば最長2年間、配偶者の海外赴任や留学の同行なら最長5年間の休職が可能です。
さらに、就学目的で求職する場合は最大50万円まで負担してくれるため、リカレント教育に挑戦しやすい環境が整っています。
また、「公募留学制度」という会社負担で留学派遣できる制度も設けています。
行き先や研究テーマ、留学後のプランを希望者自身が考えて、採用されると海外大学の研究室を中心とした1年間の留学が認められる仕組みです。
これまで400名以上が利用しています。
キャノン株式会社
キャノンでは、グローバルリーダーの育成を目的として様々なトレーニー制度を設けており、学びの機会を提供しています。
「プロダクショントレーニー制度」では、新卒の事務系や経営工学系社員を対象に、3年間の研修期間を設けており、期間中は主な勤務先は工場です。
生産管理や調達、工場経理を学ぶことで、職種や部門を横断して活躍できる人材を育成しています。
30歳以下の社員を対象とした「アジアトレーニー制度」や「欧米トレーニー制度」といったグローバル人材の育成にも注力しています。
リカレント教育で人材育成
リカレント教育は教育と就労を繰り返す教育制度です。
先行き不透明なVUCA時代において、企業や労働者が生き残るには、その時々で必要となる知識やスキルをアップデートする必要があります。
リカレント教育を推進するには企業のサポートが欠かせません。
コストもかかるでしょうが、結果的には企業の持続的な成長につながるため、「リカレント教育は投資」と考え、企業事例を参考に取り組んでみてはいかがでしょうか。