香川県の特色まとめ

香川県の都道府県データを印刷する

地理

県庁所在地   高松市
地域区分 東讃地域 高松市、さぬき市、東かがわ市、小豆郡(土庄町、小豆島町)、木田郡(三木町)、香川郡(直島町)
中讃 丸亀市、坂出市、善通寺市、綾歌郡(宇多津町、綾川町)、仲多度郡(琴平町、多度津町、まんのう町)
西讃 観音寺市、三豊市
人口   950,244人(全国第39位)
特長  
  1. 全国で最も面積の狭い都道府県:面積は1,876.52km²
  2. 讃岐うどんが最も有名
  3. オリーブ栽培は小豆島で始めて成功した
  4. 純国産の高級砂糖、和三盆も香川の名産品
  5. 瀬地場産業の手袋、桐下駄、うちわ、うどんは日本一の生産量

観光

観光地  

直島
直島は「アートの島」ということで美術館やアートプロジェクトなどアートに関わる様々なことが行なわれている。

地中美術館
美術館自体が地下に作られ、幻想的で非日常の世界を体験することが出来て、
展示作品数こそ少ないものの、空間そのものを楽しむという感覚で鑑賞すると良い。

  地中美術館
美術館自体が地下に作られ、幻想的で非日常の世界を体験することができ、展示作品数こそ少ないものの、空間そのものを楽しむという感覚で鑑賞すると良い。
  小豆島
オリーブの島としても有名な小豆島の「小豆島ヘルシーランド」には、スペイン・アンダルシア地方から贈られた樹齢1000年を超えるオリーブの樹がある。
小豆島には大坂城築城の際に切り出した石切丁場が20ヵ所以上あり、「天からパワーが降り注ぐ」と注目のパワースポットになっている。最近では「魔女の宅急便(実写版)」が撮影された場所としても有名。
  金刀比羅宮
本殿まで785段、そして奥社まではさらに583段の計1368段もの石段を登ると、目の前には見事な讃岐平野が!
登り切った人だけが味わえる絶景には言葉を失ってしまいます。お帰りにはとんかちで割って食べる「加美代飴」
や「幸福の黄色いお守り」のお土産を忘れずに。
  史跡高松城跡 玉藻公園
日本三大水城の一つ(残り二つは今治城と中津城)。水城とは海のすぐそばにあり、堀に海水が流れ込んでいる城のことです。もちろん今も海水を堀の水として使用しています。
天守台から高松市はもちろん、瀬戸内海も見渡せます。
  栗林公園
室町の手法を残す石組みの地をもとに、江戸時代、讃岐高松藩の歴代藩主により百年余りの歳月をかけて完成、下屋敷として利用されていました。
現在では、特に重要な文化財庭園として国の特別名勝に指定され、また日本に関する旅行ガイド「ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン」では「わざわざ旅行する価値がある」を意味する三つ星に格付けされる
 

漂流郵便局:粟島
故人や未来の子供など、届け先の分からない手紙を受けている郵便局。
開局時間内であれば「いつかのどこかの誰か宛」の手紙を読める。

父母ヶ浜
約1キロメートルのロングビーチを誇る海水浴場で、南米ボリビアのウユニ塩湖のような写真が撮れると話題のスポット。
夏には多くの海水浴客が訪れ賑わいます。

特産品

食品 食品
  • オリーブ:全国都道府県別・出荷量第1位
  • しょうゆ豆:香川県は温暖な気候に恵まれ、そら豆の生育には最適の土地柄
  • 小豆島そうめん:小豆島のご当地グルメで日本三大そうめんとしても知られています。
料理
  • 讃岐うどん:言わずと知れた香川といったらの名物。消費量は2位の埼玉と比べて2倍以上。
  • どぜう汁:讃岐の郷土料理
  • いりこ飯 :いりこと呼ばれる煮干しを使った炊き込みごはん
  • いもたこ:瀬戸内海でとれる新鮮なタコと里芋を煮付けたシンプルな郷土料理
  • かんかんすし:江戸時代から伝わる保存食で、さぬき市鴨部地域で発祥し、さぬき市のほぼ全域に伝承されている。
  • 骨付鳥:香川県丸亀市が発祥のご当地グルメ
  • ぴっぴ飯:「ぴっぴ」は、子供向けにうどんのことを説明するときに使われる方言で、
          ぴっぴ飯は、そば飯のそばの代わりにうどんが入ったB級グルメ。
  • かっしゃ焼:香川県を代表する粉物グルメ
  • さぬきうどんバーガー:讃岐うどんが主役のご当地グルメ
工芸品 工芸品
  1. 香川漆器:国指定伝統的工芸品、香川県漆器工業協同組合。
  2. 丸亀うちわ

産業

産業 拠点がある有名企業

株式会社セカンドストリート(高松市)
株式会社穴吹工務店(高松市)
株式会社百十四銀行(高松市)
アオイ電子株式会社(高松市)

主要産業

1位:サービス業
2位:製造業
3位:卸売・小売業

産業別就業者の割合

◇第一次産業 約5.3%
◇第二次産業 約25.1%
◇第三次産業 約66.6%

名目県内総生産額 約3兆8,551億円
産業に関する施設・史料館

◇かどや製油
ごま油で有名なかどやの小豆島にある工場。ごま油の歴史や道具、搾油工程などをわかりやすく紹介している。希望者はごま油のテイスティングもできる。

性格

県民性 全体 香川の県民性を表す言葉として「へらこい」がある。利己的で、こざかしく、要領がいいという意味だが、考え方は緻密で合理的だ。商売っ気はあるが、瀬戸内海に面した穏やかな気候から、温和で人当たりがいいのも特徴。カネに細かく、見栄っ張りで派手好きな性格は「讃岐の着倒れ」、進取な部分は「讃岐の猿まね」とも言われた。全国一面積が狭く、人口密度が高いので、「日本の縮図」ととられることも。子弟の教育のために貯金するほど教育熱心。人口あたりの東大卒業者は全国2位、京大3位というからいかにも。こういった香川県人の姿は、まさに典型的日本人の性格。
男性 香川の県民性を表す言葉に「へらこい」がある。「利己的でこざかしく、要領がいい」という意味だが、実際は考え方が緻密で合理的。金には細かいところがあるが、話上手だし、とっつきやすいから付き合いは楽。
女性 考え方が現実的で、経済観念が発達しているだけに、生活も堅実。香川は女性の教育が盛んだったので、何事にも積極的で自立志向が強い。

歴史(人物)

歴史上有名人 平安

空海(弘法大師)
宝亀(ほうき)5年、讃岐(さぬき)国多度郡(たどのこおり)屏風ヶ浦(香川県善通寺市善通寺)で、佐伯直田公(あたいたきみ)と阿刀(あと)氏出身の母の三男として生まれた。幼名は真魚(まお)。幼少のころ、神童、貴物(とうともの)などとよばれたという。母方の叔父阿刀大足(あとのおおたり)に就いて漢籍を学んだ。15歳で京に上り、18歳で大学に入って、味酒浄成(うまざけのきよなり)に『毛詩』『尚書』を、岡田牛養(うしかい)に『春秋左氏伝』などを学んだ。あるとき1人の修行者に出会い、求聞持法(ぐもんじほう)を授かった。そこで、阿波(徳島県)の大滝岳、土佐(高知県)の室戸(むろと)岬、伊予(愛媛県)の石鎚山、大和(奈良県)の金峰山(きんぶせん)などの聖地を巡り歩いて修行に励んだ。こうして出家の決意を固め、24歳のとき『三教指帰(さんごうしいき)』を著した。それは思想劇の形をとり、儒教・道教・仏教の優劣を論じ、大乗仏教をもっとも優れた教えであるとする一種の比較思想論である。以後、約7年間の行跡はまったく不明であるが、奈良六宗のほかに、すでに密教も学んでいたと思われる。また高野山を発見したのも弱年のころであったとみられる。
804年(延暦23)31歳のとき、遣唐大使藤原葛野麻呂(かどのまろ)の船に橘逸勢(はやなり)らと同乗し、途中、暴風雨にあい九死に一生を得て入唐。この年12月に長安に入った。翌805年、長安醴泉寺(れいせんじ)の般若三蔵(はんにゃさんぞう)らに就いてサンスクリット(梵語(ぼんご))やインドの学問を学習し、同年6月から半年間、青龍寺の恵果(けいか)から密教の伝授を受けて、真言密教の第八祖を継いだ。同年12月15日、恵果が60歳で没したとき、門下から選ばれて追悼の碑文を書いた。長安滞在中は、唐の仏者たちのみならず多くの文人墨客と交流し、広く文化を摂取した。806年(大同1)10月に帰国、膨大な密教の典籍、仏像、法典、曼荼羅、その他の文物をわが国にもたらし、12月に『請来(しょうらい)目録』を朝廷に差し出した。809年に京都高雄山寺(たかおさんじ)(神護寺)に入り、翌年、国家を鎮める修法を行った。812年(弘仁3)には比叡山の最澄や弟子に灌頂(かんじょう)(水を頭に注いで仏位につかせる儀式)を授けた。816年6月、43歳のとき、高野山を国家のために、また修行者の道場とするために開きたいと嵯峨天皇に上奏し、7月8日に勅許を得、819年5月から伽藍(がらん)の建立に着手した。このようにして高野山は、天台宗の比叡山とともに平安初期の山岳仏教の拠点となる。一方、821年9月には四国讃岐の満濃池(まんのうのいけ)(香川県まんのう町)を修築し、農民のために尽力している。また823年1月、京都の東寺(教王護国寺)を給預されたので、ここを京都における真言密教の根本道場に定め、後進の育成に努めた。828年(天長5)12月東寺の東隣にわが国最初の庶民教育の学校として綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を開設した。835年(承和2)1月、宮中真言院で後七日御修法(ごしちにちみしゅほう)を行い、同年3月21日に高野山で入滅した。齢62歳。

【四国八十八箇所】
四国にある空海(弘法大師)ゆかりの88か所の寺院の総称で、四国霊場の最も代表的な札所である。
88の霊場寺院を結ぶ道を遍路道という。阿波国の霊場(23か寺)は「発心の道場」、土佐国の霊場(16か寺)は「修行の道場」、伊予国の霊場(26か寺)は「菩提の道場」、讃岐国の霊場(23か寺)は「涅槃の道場」と呼ばれる。

江戸

平賀源内
享保13年(1728年)- 安永8年12月18日(1780年1月24日))は、江戸時代中頃に活躍した本草学者、地質学者、蘭学者、医者、殖産事業家、戯作者、浄瑠璃作者、俳人、蘭画家、発明家。
天才、または異才の人と称される。
鎖国を行っていた当時の日本で、蘭学者として油絵や鉱山開発など外国の文化・技術を紹介した。
文学者としても戯作の開祖とされ、人形浄瑠璃などに多くの作品を残した。また源内焼などの焼き物を作成したりするなど、多彩な分野で活躍した。

◇『解体新書』を翻訳した杉田玄白をはじめ、当時の蘭学者の間に源内の盛名は広く知られていた。
玄白の回想録である『蘭学事始』は、源内との対話に一章を割いている。源内の墓碑を記したのも玄白で、「嗟非常人、好非常事、行是非常、何死非常」(ああ非常の人、非常のことを好み、行いこれ非常、何ぞ非常に死するや〔貴方は常識とは違う人で、常識とは違うものを好み、常識とは違うことをする、しかし、死ぬときぐらいは畳の上で普通に死んで欲しかった。〕)とあり、源内の才能に玄白が驚嘆しその死を惜しんだことが伺われる。
◇夏場の売り上げ不振に悩んだ鰻屋に請われて、平賀源内が考案した「本日土用丑の日」という広告キャッチコピーが元との説がある。

歴史

歴史 中世

『日本書紀』などには讃岐国は洪水や旱魃、地震などの自然災害が多い土地であると記されており、讃岐ではため池の開発や雨乞い儀式などが行われていた。大宝年間から工事が開始され、弘法大師空海が修築工事を指導したとされる満濃池のほか多くのため池が開発され、それより耕地は灌漑された。菅原道真も、一時は讃岐国国司となっている。

平安時代には関東地方での平将門の乱に乗じて藤原純友が伊予国で蜂起し、純友は讃岐国の国府を陥落させた。朝廷が追捕使として小野好古を派遣すると讃岐国の武士も乱の平定のために戦う。保元の乱で敗れた崇徳上皇は讃岐国に流刑され、讃岐国で死んだ。平安時代後期には源平合戦の1つである屋島の戦いが行われる。一ノ谷の戦いで源義経に敗れた平氏は屋島の戦いにおいても義経軍の背後からの急襲で敗北し、以後平氏は瀬戸内海における制海権を失った。

  鎌倉新仏教派の法然も流刑されたことで有名。足利尊氏らの活躍で鎌倉幕府が滅亡して、後醍醐天皇の建武の新政が始まると、讃岐国には足利氏の一門である細川定禅が入った。以後、南北朝時代を経て室町時代を通じて、細川氏が守護大名として讃岐国を支配した。室町幕府内での政争に敗れて南朝に与した細川清氏は、従弟の細川頼之と戦い、敗れた(白峰合戦、現宇多津町・坂出市)。
讃岐国では、管領を務めた細川京兆家が室町期を通じて守護職を執った。このため阿波国人と同様に讃岐国人も中央へ出る機会が多く、香西氏、香川氏、安富氏、奈良氏の四氏は細川四天王と称されたという(南海通紀)。戦国時代初期には讃岐国人と思われる香西氏が山城国守護代を務めるなど重職にも就いた。
戦国時代には讃岐国の分郡守護代である安富氏と香川氏が東西で大きな勢力を擁し、両者中間の香西氏、阿野氏、鵜足郡に長尾氏、奈良氏、羽床氏など中小豪族が乱立していた。しかし安富氏が細川・三好氏の援助を受けた三木郡の十河氏によって滅びると、若干の抵抗があったが讃岐国は三好氏の支配下に入った。三好氏は三好長慶の弟である十河一存に讃岐国を任せた。真偽は不明だが、この時期に毛利氏が讃岐に攻め入った元吉合戦があったとされる。
土佐国を統一した長宗我部氏が三好・織田氏の内乱に乗じて讃岐へ侵攻する、これにより織田信長による四国攻めを招くことになった。豊臣秀吉が四国平定に取りかかると讃岐へは宇喜多秀家を総大将とする豊臣軍が侵攻し、長宗我部元親が秀吉に屈服すると讃岐は仙石秀久に与えられ、その後は尾藤氏、生駒氏が相次いで封ぜられる。当初は宇多津聖通寺城に拠点が置かれたが、手狭のため高松に新城が築かれ拠点とされた。
近世

生駒氏が生駒騒動によって出羽国へ移されると、水戸徳川家の嫡流である松平頼重が高松に入って東讃高松藩12万石を、京極氏が丸亀に入って西讃丸亀藩5万1千石を領する。途中、京極丸亀藩は支藩として多度津藩1万石を分立させたため、江戸時代の讃岐国には3つの藩が並立することになった。高松藩からは平賀源内が出ている。
この頃には、讃岐国の小農家と阿波国北部の山間農家の間で借耕牛の交流が始まっていた。なお、吉備国から古代に分立された備前国より、直島諸島と小豆島が讃岐国に移されたのは江戸年間のことと思われる。幕末には高杉晋作を匿った日柳燕石が出ている。

徳川時代の讃岐国には、高松藩、丸亀藩、多度津藩の3藩と、徳川幕府の直轄地である天領、津山藩の飛地が分立していた。
1871年8月29日(明治4年旧暦7月14日)の廃藩置県により、高松藩は高松県、丸亀藩は丸亀県、多度津藩と天領は倉敷県、津山藩の飛地はそのまま津山県となった。
その直後に、倉敷県の管轄地が丸亀県へと移された後に、同年に高松県と丸亀県が合併されて香川県(1873年2月19日以前)が設置された。

有名学校(学力/スポーツ)

有名高校 学力 ※偏差値70以上※
高松高校
高松第一高校
丸亀高校
大手前高松高校
スポーツ

【野球】
◇高松商業高校 野球の名門として全国的に知られている(四国四商のひとつ)。
∟選抜高等学校野球大会 (優勝 / 第1回大会、第32回大会)
◇尽誠学園高校
◇丸亀商業高校

【サッカー】四国学院大学香川西高校
体育コースがあり、野球部とサッカー部が多く全国大会に出場している。

【ハンドボール】
男子)香川中央高校:全国大会常連、平成以降何度か全国制覇を達成
女子)高松商業高校:全国大会、上位常連校の1つ

【カヌー】高瀬高校
インターハイ、国民体育大会などで男女共に何度も全国制覇を達成しており、世界大会出場者も輩出している。

有名大学   香川大学

有名人

出身有名人 タレント ◇南原清隆(ウッチャンナンチャン):高松市
◇中野美奈子(元フジテレビアナウンサー):丸亀市
◇松本明子:高松市
◇古川未鈴(でんぱ組メンバー):高松市
◇三宅健:高松市(生まれは神奈川県)
俳優

◇水野美紀:高松市
◇要潤:三豊市
◇石倉三郎:小豆郡小豆島
◇高畑淳子:善通寺市

文化人 ◇菊池寛(芥川龍之介賞、直木賞の設立者):高松市
◇壺井栄(『二十四の瞳』の作者):小豆郡坂手村
有名選手 その他 【バレーボール】
◇植田辰哉(元日本代表監督):大川郡白鳥町(現在の香川県東かがわ市)
【バドミントン】
◇桃田賢斗(日本代表):三豊市
【バスケット】
◇渡邊雄太(日本代表):木田郡三木町(生まれは神奈川県横浜市)
【野球】
◇秋山拓巳(阪神タイガース):丸亀市

プロスポーツチーム

スポーツ サッカー カマタマーレ讃岐(J2)
野球 香川オリーブガイナーズ(四国アイランドリーグ)
アイスホッケー 香川アイスフェローズ(Jアイス・ウエスト・リーグ)
バスケット 高高松ファイブアローズ(B.LEAGUE)

その他

その他 その他 【うどん県】
全国のうどん屋店舗数は24,030軒で人口10万人あたりうどん屋店舗数は18.88軒。
香川県は人口10万人あたり63.96軒。これは全国平均の3.4倍の店舗数。
ただ・・・糖尿病全国ワースト1位を記録し、原因のひとつとして、「讃岐うどん」が指摘されている。
炭水化物と脂肪の過剰摂取、野菜摂取量は全国ワーストなことから、
県内の約200店舗を掲載した「ヘルシーうどん店」マップを作成し配布している。
【アートの島】
1990年代からベネッセによって、現代アートによる町づくりが行われてきました。
ここでしか見られない有名アーティストの作品多々。
3年に一度、国際芸術祭も開かれるほど世界的に注目を集めている場所です。
民宿や古民家をつかったお洒落なカフェもあり、世界中から旅行者が集まります。
<有名作品>草間彌生作品のかぼちゃ

ログインまたは新規会員登録してからご利用ください。

新規会員登録

無料会員登録をすると、さまざまな会員限定コンテンツをご利用いただけます。

無料会員登録する

人事バンクについて

この企業をフォローしました。
フォローした企業の一覧はマイページからご確認いただけます。

この企業のフォローを解除しました。

このメールアドレスは、現在仮登録状態です。
本会員登録のご案内メールをご確認いただき、本会員登録を行ってください。

本会員登録のご案内は、下記メールをお送りしております。

▼メール件名
【人事バンク】本会員登録のご案内

送信が完了しました。
コメントをお寄せいただき、誠にありがとうございました。
サイト上に反映されるまで少しお時間をいただいております。
今しばらくお待ちいただけますと幸いです。