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千葉県の特色まとめ

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地理

県庁所在地 千葉市
地域区分 千葉地域 千葉市、習志野市、八千代市
東葛地域 柏市・松戸市・流山市・野田市・我孫子市・鎌ケ谷市・船橋市・市川市・浦安市
北総地域 白井市、印西市、佐倉市、成田市、四街道市、八街市、富里市、印旛郡(栄町、酒々井町)、
香取市、香取郡(神崎町、多古町、東庄町、小見川町)
上総地域 市原市、袖ケ浦市、木更津市、君津市、富津市
東総地域 銚子市、旭市、匝瑳市、山武市、東金市、大網白里市、山武郡(横芝光町芝山町九十九里町)、茂原市
長生郡(白子町長柄町長生村一宮町長南町睦沢町)
南総地域 館山市、南房総市、安房郡鋸南町、鴨川市、勝浦市、いすみ市、夷隅郡(大多喜町、御宿町)
人口 6,197,784人(全国6位)
特長
  1. 房総半島による長大な海岸線を擁している
  2. 「千葉都民」という言葉があるくらい、東京へのベッドタウンとしての特性が強い自治体
  3. キッコーマン、ヤマサと大手の醤油メーカーがある
  4. 浦安にディズニーリゾートがある
  5. 浦安市から富津市までの東京湾沿岸に、京葉工業地域の中枢として
    市原市の石油化学コンビナートや、千葉市と君津市にある製鉄所などが立地している。
  6. 農業生産額全国第2位、野菜生産額全国一
  7. ゴルフ場が多い

観光

観光地 九十九里浜房総半島東岸
海水浴場として有名な九十九里浜。夏場には多くの観光客とサーファーで賑わいます。
この辺りは海産物が有名で、大ぶりの「ハマグリ」は特に人気です。
北総地域 成田山新勝寺成田市
真言宗智山派の寺であり、同派の大本山のひとつである。本尊は不動明王。
関東地方では有数の参詣人を集める著名寺院で、家内安全、交通安全などを祈る護摩祈祷のために訪れる人も多い。
平安時代中期に起きた平将門の乱の際、939年(天慶2年)朱雀天皇の密勅により寛朝僧正を東国へ遣わしたことに起源を持つ。寛朝は京の高雄山(神護寺)護摩堂の空海作の不動明王像を奉じて東国へ下り、翌940年(天慶3年)、海路にて上総国尾垂浜に上陸。平将門を調伏するため、下総国公津ヶ原で不動護摩の儀式を行った。新勝寺はこの天慶3年を開山の年としている。
毎年2月3日の節分の日に節分会が開かれ豆まきが行われ、大相撲力士とその年のNHK大河ドラマの出演者がそれぞれ5名程度「特別年男」として豆まきに参加する。
上総地域 マザー牧場富津市
房総半島の山々や、東京湾や富士山の雄大な景色が見渡せる鹿野山(かのうざん)にあり、
ジンギスカンやソフトクリームなどの牧場グルメやフルーツ狩りなど子供から大人まで楽しめる。
東葛地域 東京ディズニーリゾート浦安市舞浜
1983年(昭和58年)4月15日 – 「東京ディズニーランド」グランドオープン
野田市
キッコーマンの醤油工場がある。
野田市ではキッコーマンの工場見学ができ。120cmくらいの大きさの醤油のオブジェがあったり、
醤油作り体験ができたりとここでしかできない体験ができる。
南総地域 鋸山安房郡鋸南町
近年パワースポットとして有名で、休日になると観光客でにぎわいます。ロープウェイで山頂まで行くこともできる。
「地獄のぞき」や世界平和と万世太平を祈願して、天明三年(1783年)に元となる大仏の建造がはじまった。
座っている大仏では日本最大級の大仏「薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)」がある。
  1. 鴨川シーワールド
  2. 海ほたるパーキングエリア
  3. 千葉マリンスタジアム:千葉ロッテマリーンズの本拠地スタジアム

特産品

食品 食品
  1. 落花生 – 八街市は生産量日本一を誇る
  2. 梨 – 生産量全国一
  3. スイカ – 生産量全国2位
  4. ハマグリ – 九十九里のハマグリ
  5. クジラ
工芸品 工芸品
  1. 房州うちわ
    1. 千葉県南房総市、館山市特産のうちわ。千葉県の伝統工芸の一つ。日本三大うちわの一つ
  2. 銚子ちぢみ
    1. 江戸時代より400年間伝わる千葉県指定無形文化財、
      千葉県指定伝統的工芸品の第一次第一号指定の伝承織物「銚子ちぢみ」

性格

県民性 全体 県内で共通する気風が薄い
【安房】性格がきつく、協調性に欠ける。ぶっきらぼうだが情が深い
【上総】上記に加え、偏屈、勇気があり向こう見ず、おとなしくて保守的だが、言うべきことははっきり言う
【北西部(千葉市以西)】は東京に近い気風だが、都会的な気質は東京ほど強くなく、のんびりしている
男性 北部は堅実で真面目な人が多い。ただし、したたかなところもある。南部、東部の人は義理人情型で細かいところはこだわらない。明るくて大らかな楽天家が多いが、全体的に弱気で流されやすいきらいがある。ギャンブルにはまる人も多い。
女性 温和な気候のせいか、おおらかで明るい。どこか抜けていて、それが愛嬌になっている人が多い。デリカシーに欠ける部分もあるが、粘り強く、包容力もある。

歴史(人物)

歴史上有名人 平安

平将門:佐倉市付近
平氏の姓を授けられた高望王の三男平良将の子。桓武天皇5世。下総国、常陸国に広がった平氏一族の抗争から、やがては関東諸国を巻き込む争いへと進み、その際に国衙を襲撃して印鑰(インヤク)を奪い、
京都の朝廷 朱雀天皇に対抗して「新皇」を自称し、東国の独立を標榜したことによって、遂には朝敵となる。
しかし即位後わずか2か月たらずで藤原秀郷、平貞盛らにより討伐された(承平天慶の乱)。
死後は御首神社、築土神社、神田明神、国王神社などに祀られる。武士の発生を示すとの評価もある。
合戦においては所領から産出される豊富な馬を利用して騎馬隊を駆使し、反りを持った最初の日本刀を作らせたとも言われる。

【平将門の乱】935年~940年
平将門が朝廷に反旗を翻し、関東一円を手中に収め、自らを「新皇」と名乗った出来事。
その頃、朝廷は地方の政治は国司にまかせっきりで、国司は一定量の税さえ納めていれば、あとはやりたい放題だった。
国司は税率を勝手にかえて残りは自分の財布に入れてしまったり、任期が切れているにも関わらず居座り、財力や武力を蓄えたり・・・。
こんな状態で、地方の治安は悪化していき、様々な人が武装し始める。何度も同じ地方の国司となった中・下級貴族がそのまま居座り、小武士をまとめ上げ大武士団の棟梁となるケースも出てきた。その代表格が桓武天皇の血を引く桓武平氏や清和天皇から出た清和源氏です。
平将門のおじは、上総の国の国司として赴任しますが、任期後もその地に居座り勢力をどんどん拡大していった。そして、その地の権利を守る為に武士団を形成する。そうやってどんどん強大な勢力を手に入れていく訳ですが、平将門の父、良将(よしまさ)の死をきっかけに相続争いが勃発。
935年に平将門は叔父(平国香)を殺害。939年には対立する従弟の平貞盛(さだもり)の引渡しを常陸国府が断った為、平将門は国府をも攻撃する。国府を攻撃し朝廷が黙っている訳がない。
「もう、いいや。行けるとこまで行っちまえ。」と思ったのか?「もしかしたら、日本の頂点に立てるかも?」と思ったのか?わかりませんが、平将門は関東八カ国の国府を次々に攻撃。国司を追放し、ついに「新皇」と自らを名乗ります。
しかし、案の定。朝廷がついに動き出します。藤原忠文(ふじわらのただふみ)を征東大将軍に任命し、鎮圧の為に派遣。
ですが、結局は朝廷軍が到着する前に平将門は地元の武士、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)、平貞盛により打たれてしまう。
この平将門の乱と時、同じくして、瀬戸内海では藤原純友(ふじわらのすみとも)が海賊を率いて反乱を起していた。こちらも、結果は源経基(みなもとのつねもと)らによって鎮圧される。
この平将門の乱と藤原純友の乱は、承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)とも呼ばれている。
この2つの乱はどちらも武士によって鎮圧されたことから、武士のもつ力が注目され始める切欠となっていった。

鎌倉 千葉常胤
鎌倉前期の御家人。常重の嫡子。母は平政幹の娘。長承4(1135)年2月、常重から上総国相馬御厨を伝領。しかし、こののち国守藤原親通や源義朝の介入によって支配権は安定しなかった。保元の乱に源義朝の軍に属したのは、在地支配権維持のため、義朝と主従関係を結んだ結果とみられる。しかし、平治の乱で義朝が滅亡すると、相馬御厨は隣国常陸の佐竹氏の領有に帰し、また藤原親通の孫で下総千田庄に居住していた親正が平家と結んで勢力を拡大したため、千葉氏の所領は本領千葉庄のほか葛飾郡国分寺・上総国山辺北郡堺郷にすぎなくなった。平氏政権下、平家と二重の姻戚関係を結んだ藤原親正は千葉氏と同じ両総平氏一族の原・金原氏などを配下におさめ、いよいよ千葉氏を圧迫した。こうした状況下で、治承4(1180)年8月、伊豆で源頼朝が反平家の兵を挙げると、一族をあげて積極的にこれに応じ、平家方の下総目代を討ち、上総広常の来援をえて藤原親正の軍にも勝利した。その後、木曾義仲・平家追討には一族を率いて源範頼の軍に属し、壇ノ浦合戦後も鎮西守護人として九州にとどまり、戦後処理に当たった。この間、寿永2(1183)年12月に上総広常が頼朝に誅殺されたことにより、実質的に両総平氏族長の地位も確立している。文治3(1187)年8月、上洛して京中の狼藉を鎮め、同5年の奥州藤原氏追討の際は東海道大将軍として出陣した。これらの勲功によって、下総・上総はもとより、薩摩、肥前、豊前、陸奥などの各地に多くの所領を獲得し、下総守護に補された。頼朝の信頼はきわめて厚く、御家人の筆頭として奥州合戦には勲功の賞を最前に拝領した。また年頭の椀飯沙汰(祝儀の品を添えて椀飯を献ずる儀礼)も常胤が最初に務めるのが恒例であった。鎌倉幕府の草創と千葉氏発展の基礎を固めた人物として後世においても尊崇され、千葉氏や両総平氏一族の子孫は「胤」の字を名の通字に用いて同族内の紐帯とした。

歴史

歴史 【下総国】
古代末期から中世にかけて千葉氏が台頭し源頼朝を支援して鎌倉幕府創設に尽力した。鎌倉・室町時代と守護の地位を確保し中世には千葉氏の歴代当主が下総の守護と権介を兼ねるようになり、特別な敬意を込めて千葉介(ちばのすけ、「千葉郡を領する(権)介」)と呼称された。一方、最北部の結城郡を中心とした下野国との境界付近に根拠を持つ小山氏の庶流・結城氏も鎌倉幕府の創設に貢献して独自の勢力を築き、室町時代の一時期には下野国の守護に任じられている。
15世紀前半の永享の乱やその他の関東の動きに結城氏や千葉氏も巻き込まれる。結城氏は結城合戦で室町幕府と戦って一時滅亡に追い込まれ、千葉氏も享徳の乱における内紛で宗家は滅亡、その結果千葉氏は武蔵国に逃れた一流と千葉から佐倉に拠点を移した一流の2つに分裂することになり次第に衰えた。かわって下総生実城に寄った小弓御所足利義明が勢威をふるい小田原の北条氏と対抗した。1538年(天文7年)と1564年(永禄7年)の国府台合戦においてはじめに足利義明が敗死、また義明の後に台頭した安房国の里見氏が敗北したことにより、下総国内は小田原の北条氏の強い影響を受けることになり、佐倉の千葉氏やその家臣で主家をしのぐといわれた原氏、また高城氏らが従属下に置かれるようになった。1590年(天正18年)、豊臣秀吉の来攻に北条氏は屈服したが千葉氏らはこれと運命をともにした。再興された結城氏も北条氏と上杉氏や佐竹氏との間で連携と離反を繰り返すが、最終的に豊臣秀吉に従って所領を安堵されている。
徳川家康の関東入府直後には下総は万石以上の11氏が配置された。それらのうち比較的に規模が大きいのは古河藩(最大16万石)、佐倉藩(最大14.2万石)、関宿藩(最大7.3万石)のみで、その他の藩はいずれも1万石前後の小藩であり、藩自体の存続期間の短いものが多かった。ほかに幕府領や旗本領が入り組み、古河・佐倉・関宿の各藩も含めて藩主の交替が頻繁であったために下総国全域を統合するような政治文化は醸成されなかった。近世初期(1683年(貞享3年)また一説によれば寛永年間(1622年 – 1643年)に、下総の葛飾郡から利根川(現在の江戸川下流)以西の地域を割き、武蔵国の葛飾郡(現在は東京都・埼玉県に属する部分の大部分)とした。国内の村数は天保期には約1620か村を数えた。
1867年(慶応3年)の大政奉還の時点で下総国内には結城、古河、関宿、佐倉、高岡、多古、小見川の8藩と幕府領、旗本領が置かれた。1868年(慶応4年、明治元年)、幕府が崩壊して明治政府が関東地方を制圧すると、下総国内の旧幕府領・旗本領は下総知県事(佐々武直武のち水筑龍)の管理下に置かれた(一部は武蔵知県事または安房上総知県事の所管)。1869年(明治2年)に下総知県事の管轄区域に葛飾県が置かれ、水筑龍が権知事となって1万3600石余を支配した。一方、1870年(明治3年)には従来の8藩のほかに曾我野藩が新たに置かれた。1872年(明治4年)廃藩置県によって各藩は県に改変、同年11月に下総国内の各県が統合され、西半の9郡(結城、豊田、岡田、猿島、葛飾、相馬、印旛、埴生、千葉)に印旛県が成立し、東半の3郡(香取、匝瑳、海上)は常陸国の南半部とともに新治県となった。
【上総国】
養老2年5月2日(718年6月4日)、阿波および長狭国造の領域だった平群郡、安房郡、朝夷郡、長狭郡の4郡を割いて安房国とした。天平13年12月10日(742年1月20日)、安房国を併合したが、天平宝字元年(757年)に再び安房国を分けた。この時から長く領域は変わらなかった。そして天長3年9月6日(826年10月10日)、上総国と常陸国、上野国の3国は、国守に必ず親王が補任される親王任国となり、国級は大国にランクされた。親王任国の国守となった親王は「太守」と称し、官位は必然的に他の国守(通常は従六位下から従五位上)より高く、親王太守は正四位以上とされた。親王太守は現地へ赴任しない遙任だったため平高望、良兼や菅原孝標がそうであったように、国司の実質的長官は上総介であった。
古代末期から中世にかけて上総氏が活動し、鎌倉期には上総広常、その亡き後は足利氏となる。室町時代の守護には、高氏、佐々木氏、千葉氏、新田氏、上杉氏、宇都宮氏の各氏が就いた。15世紀半ばごろより、原氏、武田氏、酒井氏、土岐氏、正木氏らの各氏が割拠。16世紀前半には、下総生実に拠った小弓御所足利義明の影響が強まった。足利義明が天文7年(1538年)の国府台合戦で敗死した後は、小田原の後北条氏、安房の里見氏の抗争の地となり、在地の諸豪の動きはきわめて流動的であった。
豊臣秀吉の小田原征伐後、関東に徳川家康が転封されると、大多喜の本多氏を筆頭に万石5氏が置かれ、江戸時代には久留里藩、飯野藩、佐貫藩、鶴牧藩、一宮藩、大多喜藩、請西藩の7藩と幕府領・旗本領が展開し、村数は約1,200ヵ村(天保期)を数えた。
幕末から明治政府成立の過程で、請西藩は、朝命に抗したという理由で明治元年(1868年)12月に領地没収となる。また、徳川家達を駿河静岡藩70万石に封じたことによって、明治2年(1869年)までに、菊間藩、金ヶ崎藩(のちに桜井藩)、小久保藩、鶴舞藩、柴山藩(のちに松尾藩)、大網藩の6藩が新たに置かれた一方、幕府領・旗本領は安房上総権事・柴山典の管轄下に置かれた。
明治2年(1869年)の版籍奉還で藩主は知藩事に、旧幕府領・旗本領は安房上総知県事となり、安房上総知県事の管轄地には宮谷県が置かれて柴山典が権知事となり、管轄地は上総において約8万7,800石。安房を加えると計37万1,700石であった。明治4年(1872年)、廃藩置県が行われると、旧藩領と宮谷県は大きく木更津県に統合された。明治6年(1874年)には木更津県と下総を管轄していた印旛県が統合して千葉県が成立し、管轄が移行した。
 南総地域  【安房国】
古代の安房国は、豊かな漁場に恵まれたことから御食国に任じられ、皇室や朝廷の御饌を担当した。膳氏を司る伴造氏(後に高橋氏と改称)の出自を示した『高橋氏文』によると、景行天皇が東国に行幸した折に、安房国にて磐鹿六雁命(いわむつかりのみこと、膳氏の始祖とされる)が蛤(はまぐり)を捕り、天皇に料理して献上したところ、天皇の子孫代まで御食を供するよう膳臣を授かったという記述がある。そのことに由来し、当時、中央官庁の大膳職で御食津神として祀られた安房神社や高家神社などが存在する。
国府は現在の南房総市府中付近に置かれ、古代末期から中世にかけて丸氏、長狭氏、安西氏、神余氏などの武士団が活動し、平安時代末期には源頼朝の再起の地となる。鎌倉時代の守護は不明。室町時代の守護には結城氏、上杉氏が就いた。15世紀半ば頃より里見氏が台頭し、戦国期には安房統一を果たして上総から下総の一部に至るまで勢力を張った。
豊臣秀吉による小田原城攻め以後は、安房一国が里見氏の領地となった。関ヶ原の戦いでは、里見氏は徳川家康を支援して加封を受けたものの、江戸幕府成立後の慶長19年(1614年)に里見忠義が大久保忠隣改易に連座して伯耆国倉吉に転封。その後は、東条藩、勝山藩、上総百首藩、北条藩、館山藩などの諸藩と、幕府領・旗本領が置かれた。村数は280ヵ村(天保期)。明治2年(1869年)安房では勝山、館山、北条の3藩に、新たに長尾藩、花房藩の2藩が置かれた。この地の幕府領・旗本領は安房上総知県事・柴山典の管轄となり、翌年に宮谷県が置かれて柴山典が権知事となり、安房4郡の約5万6千石を管理した。明治4年(1872年)、廃藩置県によって木更津県に編入され、明治6年(1874年)木更津県と印旛県の合併により千葉県に編入された。明治30年(1897年)には安房国4郡が統合されて、千葉県安房郡に再編された。

有名学校(学力/スポーツ)

有名高校 学力

千葉私立御三家といわれる、

  1. 東邦大東邦高校…理系志向
  2. 市川学園…文系志向
  3. 渋谷教育学園幕張…国際志向
スポーツ

【野球】市立船橋
第82回全国高等学校野球選手権大会で準優勝

【野球】習志野

【サッカー】
静岡にかわる高校サッカー王国
市立船橋高校、習志野高校、八千代高校、流通経済大柏高校が4強

有名大学 ◇千葉大学

有名人

出身有名人 タレント ◇劇団ひとり:千葉市
◇小堺一機:市川市
◇鈴木おさむ:安房郡千倉町
◇マツコ・デラックス:千葉市
◇山里亮太(南海キャンディーズ)
◇小倉優子:茂原市
◇押切もえ:市川市
◇千秋:市原市
歌手 ◇相葉雅紀(嵐):千葉市
◇植草克秀(少年隊):千葉市
◇木村拓哉(SMAP):千葉市
◇山下智久(NEWS):千葉県
◇前田敦子:市川市
◇倉木麻衣:船橋市
◇X JAPAN TOSHI:館山市/YOSHIKI:館山市/PATA:千葉市/TAIJI:市川市
◇氣志團 綾小路翔:君津市/早乙女光:富津市/白鳥雪之丞:木更津市
俳優 ◇藤木直人:佐倉市
◇阿部サダヲ:松戸市
◇伊藤淳史:船橋市
◇高橋英樹:木更津市
◇中尾彬:木更津市
◇桐谷美玲:千葉県
◇長谷川京子:千葉県
◇真木よう子:印西市
文化人 ◇米村でんじろう(サイエンスプロデューサー):市原市
政治家 ◇鈴木貫太郎:東葛飾郡関宿町(のちの野田市)(生まれは大阪府(旧関宿藩飛地))
◇野田佳彦:船橋市
伊能忠敬(測量による日本最初の全図「伊能図」):九十九里町、横芝光町、香取市
スポーツ選手 サッカー ◇宮間あや(サッカー日本女子代表):大網白里市
◇酒井宏樹(ハノーファー96、2014W杯日本代表):柏市
◇玉田圭司(セレッソ大阪、2006・2010W杯日本代表):浦安市
野球 長嶋茂雄(読売ジャイアンツ終身名誉監督) – 国民栄誉賞受賞:佐倉市
◇阿部慎之助(読売ジャイアンツ):浦安市
◇高橋由伸(読売ジャイアンツ):千葉市
◇石井弘寿(東京ヤクルトスワローズ二軍投手コーチ):市原市
◇石井一久(西武ライオンズ):千葉市
◇G.G.佐藤(千葉ロッテマリーンズ):市川市
有名選手 その他

【水泳】
鈴木大地(元水泳選手、ソウル五輪金メダリスト):習志野市

【ゴルフ】
青木功:我孫子市
池田勇太:千葉市
丸山茂樹:市川市

【陸上】
増田明美(元マラソン選手):いすみ市

プロスポーツチーム

スポーツ サッカー 柏レイソル(J1)
ジェフユナイテッド千葉(J2)
野球 千葉ロッテマリーンズ – 千葉市美浜区にあるQVCマリンフィールドを専用球場(本拠地)としている
バレー 千葉ゼルバ

その他

その他 その他 日本国内に出回っている落花生の7割は中国産であり、千葉県の落花生生産量は全国1位ではあるが、年間15,300トンとそんなに多くない。千葉県産の中でも一番人気は千葉半立。中国産に比べてやや小ぶりだが味や風味が良いが、100g400円もする高級品のため、贈り物に使われることが多い。

日本で少数しかいない、変わった苗字の発祥地

  1. 小浮気(おぶき)
    1. 日本に4世帯のみ。現千葉県北部である下総国相馬郡小浮気邑発祥ともいわれる、伝統的な苗字
  2. 七五三田(しめた)
    1. 日本に2世帯のみ。現千葉県南部である安房発祥

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