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岩手県の特色まとめ

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地理

県庁所在地 盛岡市
地域区分 三陸海岸 羊野町、種市、久慈、普代、岩泉町、宮古、山田、釜石、大船渡
北部内陸 軽米、二戸、八幡平市、一戸町
北上高地 久慈市、葛巻、盛岡市、宮古市、岩泉、宮古市、遠野、住田
中西部 西和賀町
北上盆地 盛岡市、雫石、紫波、花巻市、北上、奥州市、藤沢、一関
人口 1,284,384人(全国32位)
特長
  1. リアス式海岸/内陸部と沿岸部で気候が異なる
  2. 詩人、宮沢賢治、石川啄木の出身地
  3. 北海道に次ぐ2番目の面積
  4. 海産物が豊富(わかめ、めかぶ、ホヤ、あわび)

観光

観光地 北上盆地

平泉(中尊寺金色堂 など)西磐井郡
平泉は平安時代11~12世紀後半の100年あまり奥州に華開いた京さながらの都市。

世界遺産:平泉-仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺跡群-
2011年6月に世界遺産登録/中尊寺金色堂を含む5つの資産から構成されている。

①中尊寺
②毛越寺(もうつうじ)
③観自在王院跡(かんじざいおういんあと)
④金鶏山(きんけいざん)
⑤無量光院跡(むりょうこういんあと)

①中尊寺金色堂(ちゅうそんじこんじきどう)は、岩手県西磐井郡平泉町の中尊寺にある平安時代後期建立の仏堂である。奥州藤原氏初代藤原清衡が天治元年(1124年)に建立したもので、平等院鳳凰堂と共に平安時代の浄土教建築の代表例であり、当代の技術を集めたものとして国宝に指定されている。

北上高地 龍泉洞(岩泉)岩泉町
日本三大鍾乳洞に数えられ国の天然記念物に指定されている龍泉洞、第3地底湖の水深はなんと 98m!
3km以上続く洞窟はどこまでも神秘的です。
洞窟及び生息するコウモリ類が「岩泉湧窟およびコウモリ」として、国の天然記念物に指定されている。
北上盆地 小岩井農場 まきば園/(岩手郡雫石町)
岩手県盛岡市から西北約12kmに位置し岩手山南麓に約3,000ヘクタール(900万坪)の広大な敷地。
日本最大の民間農場。
東京都の小岩井農牧株式会社(こいわいのうぼく)が運営。知名度高い商品。
三陸海岸 三陸海岸
青森県南東部の鮫角から岩手県沿岸を経て宮城県東部の万石浦まで、総延長600km余りの海岸を言う。
「世界三大漁業の場」の1つ
北上盆地 花巻温泉
約1,200年前、坂上田村麻呂が傷を癒したと伝わる古湯(大沢温泉)も残る「花巻温泉郷」。
北上盆地 猊鼻渓(げいびけい)(一関市)
砂鉄川が石灰岩を浸食してできた約2kmの渓谷。およそ100mの断崖が両岸にそびえている。流れは静かで、手漕ぎ舟での舟下りでは船頭が「げいび追分」を唄う。また、この断崖に紫の花を咲かせる藤の花が春いちばんの見どころで、特に清流沿いにそびえる藤岩には花期は鮮やかな紫色の房が幾重にも垂れ下がる。
北部内陸 岩手山(南部片富士)(八幡平市)
東北、奥羽山脈北部の山で標高2,038m。二つの外輪山からなる複成火山。岩手県最高峰である。日本百名山に選定されている。
有史以来5回の噴火を繰り返している。

特産品

食品 食品
  1. わんこそば
  2. 盛岡冷麺
  3. 前沢牛:有名な和牛(奥州市前沢区)
  4. 奥州牛
  5. 牡蠣
  6. 養殖わかめの生産量 全国の40%
工芸品 料理 南部鉄器 – 岩手県南部鉄器協同組合連合会の加盟業者によって作られている鉄器。
工芸品
  1. 秀衡塗
  2. 浄法寺漆
  3. 久慈琥珀

性格

県民性 全体 辛抱強く、どんな苦境にも耐え忍ぶといったイメージがある。おしなべて頑固で寡黙、かつ消極的なタイプが多い。地道な努力をモットーとしているので、仕事でも恋愛でもコツコツぶりを発揮する。
宮沢賢治が好きな人が多い。
北部 男女ともに実直で真面目なタイプが多く保守的であり、口べたで仲良くなるには時間がかかる傾向があります。
南部 積極的な性格で行動派が多く、自尊心も高い印象。商人気質のためか、駆け引きも上手でなにごとも計算が得意。
沿岸部 フットワークが軽く、物事に対して積極的な性格です。
反面、飽きっぽい傾向があり、あっさりしすぎているためか、軽い人にみられることもあります。

歴史(人物)

歴史上有名人 平安時代 坂上田村麻呂
平安時代の武官。
天平宝字2年(758年)に坂上苅田麻呂の次男または三男として生まれた。田村麻呂は近衛府に勤仕した。
田村麻呂が若年の頃から陸奥国では蝦夷との戦争が激化しており、延暦8年(789年)には紀古佐美の率いる官軍が阿弖流為の率いる蝦夷軍に大敗した。田村麻呂はその次の征討軍の準備に加わり、延暦11年(791年)に大伴弟麻呂を補佐する征東副使に任じられ、延暦12年(793年)に軍を進発させた。この戦役については『類聚国史』に「征東副将軍坂上大宿禰田村麿已下蝦夷を征す」とだけあり、田村麻呂は四人の副使(副将軍)の一人ながら中心的な役割を果たしたとされる。
延暦15年(796年)には陸奥按察使、陸奥守、鎮守将軍を兼任して戦争正面を指揮する官職をすべてあわせ、加えて翌年には征夷大将軍に任じられた。延暦20年(801年)に遠征に出て成功を収め、夷賊(蝦夷)の討伏を報じた。
平安~ 平泉 藤原氏(奥州藤原氏)
奥州藤原氏は清衡、基衡、秀衡、泰衡と4代100年に渡って繁栄を極め、平泉は平安京に次ぐ日本第二の都市となった。戦乱の続く京を尻目に平泉は発展を続けた。半ば独立国であった。
前九年の役・後三年の役の後の寛治元年(1087年)から源頼朝に滅ぼされる文治5年(1189年)までの間、陸奥(後の陸中国)平泉を中心に出羽を含む東北地方一帯に勢力を張った豪族。天慶の乱を鎮めた藤原秀郷の子孫を称した。
長治2年(1105年)に清衡は本拠地の平泉に最初院(後の中尊寺)を建立した。
永久5年(1117年)に基衡が毛越寺(もうつうじ)を再興した。その後基衡が造営を続け、壮大な伽藍と庭園の規模は京のそれを凌いだと言われている。
天治元年(1124年)に清衡によって中尊寺金色堂が建立された。屋根・内部の壁・柱などすべてを金で覆い奥州藤原氏の権力と財力の象徴とも言われる。
この平泉文化は現代でも大阪商工会議所会頭による東北熊襲発言に際して、国会で東北地方の文化の象徴として引き合いにだされている。
平泉の金文化を支えたと伝えられている金鉱山は北から、八針(岩手県気仙郡)、今出山(岩手県大船渡市)、玉山(岩手県陸前高田市)、鹿折(宮城県気仙沼市)、大谷(宮城県気仙沼市)だったと言われ、平泉から東方に位置する三陸海岸沿岸に並んでいる。

歴史

歴史 平安中期~

【繁栄期】
11世紀半ば、陸奥国には安倍氏、出羽国には清原氏という強力な豪族が存在していた。安倍氏、清原氏はいずれも俘囚の流れを汲む言わば東北地方の先住民系の豪族であった。このうち安倍氏が陸奥国の国司と争いになり、これに河内源氏の源頼義が介入して足掛け12年に渡って戦われたのが前九年の役である。前九年の役はその大半の期間において安倍氏が優勢に戦いを進めていたが、最終局面で清原氏の加勢を得ることに成功した源頼義が勝利した。
この前九年の役の前半、安倍氏の当主であったのが頼時である。頼時は天喜5年(1057年)に戦死し、その息子の安倍貞任は康平5年(1062年)に敗死して安倍氏は滅亡したが、頼時の娘の1人が前述の亘理郡の豪族・藤原経清に嫁ぎ男子をもうけていた。経清は安倍氏側の中核にあり、前九年の役の終結に際し頼義に囚われ斬首されたが、その妻(つまり頼時の娘)は頼義の3倍の兵力を率いて参戦した戦勝の立役者である清原武則の長男・武貞に再嫁することとなり、これにともない安倍頼時の外孫たる経清の息子もまた武貞の養子となり、長じて清原清衡を名乗った。

永保3年(1083年)、清原氏の頭領の座を継承していた清原真衡(武貞の子)と清衡そしてその異父弟の清原家衡との間に内紛が発生する。この内紛に源頼義の嫡男であった源義家が介入し、清原真衡の死もあって一旦は清原氏の内紛は収まることになった。ところが義家の裁定によって清原氏の所領の6郡が清衡と家衡に3郡ずつ分割継承されると、しばらくしてこれを不服とした家衡が清衡との間に戦端をひらいてしまった。義家はこの戦いに再び介入し、清衡側について家衡を討った。この一連の戦いを後三年の役と呼ぶ。
真衡、家衡の死後、清原氏の所領は清衡が継承することとなった。清衡は実父・経清の姓である藤原を再び名乗り、藤原清衡となった。これが奥州藤原氏の始まりである
清衡は、朝廷や藤原摂関家に砂金や馬などの献上品や貢物を欠かさなかった。その為、朝廷は奥州藤原氏を信頼し、彼らの事実上の奥州支配を容認した。その後、朝廷内部で源氏と平氏の間で政争が起きたために奥州にかかわっている余裕が無かったと言う事情も有ったが、それより大きいのは当時の中央政府の地方支配原理にあわせた奥州支配を進めたことと思われる。奥州藤原氏は、中央から来る国司を拒まず受け入れ、奥州第一の有力者としてそれに協力するという姿勢を最後まで崩さなかった。
そのため奥州は朝廷における政争と無縁な地帯になり、奥州藤原氏は奥州17万騎と言われた強大な武力と政治的中立を背景に源平合戦の最中も平穏の中で独自の政権と文化を確立する事になる。
また、清衡の2代目となる子基衡は、院の近臣で陸奥守として下向してきた藤原基成と親交を結ぶ方針をとった。基衡は、基成の娘を後継者の3代目秀衡の嫁に迎え入れ、院へも影響を及ぼした。その後下向する国司は殆どが基成の近親者で、基成と基衡が院へ強い運動を仕掛けたことが推測される。

奥州藤原氏が築いた独自政権の仕組みは鎌倉幕府に影響を与えたとする解釈もある。

【晩年】
秀衡は平治の乱で敗れた源義朝の子・源義経を匿い文治元年(1185年)、源頼朝に追われた義経は秀衡に再び匿われた。
秀衡は頼朝からの引渡要求を拒んできたが秀衡の死後、息子の藤原泰衡は頼朝の要求を拒みきれず文治5年(1189年)閏4月義経を自殺に追い込み、義経の首を頼朝に引き渡す事で頼朝との和平を模索した。
しかし、関東の後背に独自の政権があることを恐れた源頼朝は同年7月、義経を長らく匿っていた事を罪として奥州に出兵。贄柵(秋田県大館市)において家臣の造反により藤原泰衡は殺され、奥州藤原氏は滅んだ
平家滅亡により源氏の勢力が強くなった事、奥州に深く関わっていた義経が頼朝と対立した事などにより中立を維持できなくなった事が滅亡の原因となった。
事件 2011年3月11日
東日本大震災/岩手県の被害は津波によるものが中心であった。
2011年6月
平泉一仏国土(浄土)を表す建築・庭園及び考古学的遺産群」世界遺産登録

有名学校(学力/スポーツ)

有名高校 学力 ①盛岡第一高等学校
②盛岡中央高等学校
③盛岡第三高校
スポーツ

【野球】花巻東高等学校 ※優勝経験なし ※岩手県:甲子園での優勝なし
<有名選手:菊池雄星>
第81回春の甲子園大会(2007年)出場 ⇒1、2回戦完封勝利、決勝戦で清峰高校(セイホウ)に敗れ準優勝に。同年の夏の甲子園にも出場しベスト4
<有名選手:大谷翔平>
菊池雄星に憧れ、彼の出身校の花巻東高校へ進学。3年生の地方大会にてアマチュア野球史上初となる最速160km/hを記録した。
※1年時:夏の甲子園出場 2年時:春の甲子園出場

【野球】盛岡付大

有名大学 岩手大学 ※岩手県内には5大学のみ

有名人

出身有名人 タレント ◇福田萌 ◇山川恵里佳 ◇三又又三
歌手 ◇千昌男 ◇藤圭子(宇多田ひかるの母) ◇新沼謙治
俳優 ◇沢田千可子
文化人 【詩人】◇宮沢健二(銀河鉄道の夜/注文の多い料理店/雨ニモマケズ)
【詩人】◇石川啄木(一握の砂)
【言語学者】◇金田一京助
政治家 【政治家】◇東條英機
【政治家】◇小沢一郎
スポーツ選手 サッカー 小笠原満男 (現)鹿島アントラーズ 元日本代表 ※岩手県盛岡市出身
岩清水梓 女子サッカー日本代表 ※岩手県滝沢市出身
野球 大谷翔平 (現)日本ハムファイターズ ※岩手県奥州市出身
⇒投手と打者の「二刀流」選手として注目をされており、NPBタイ記録の球速162km/hを投げる歴代日本人最速投手
菊池雄星(現)西武ライオンズ ※岩手県盛岡市出身
⇒ドラフト会議では、西武、阪神、ヤクルト、楽天、中日、日本ハムの6球団による1位指名を受け、競合の末、西武が交渉権を獲得
有名選手 その他 【プロレス】
◇ザ・グレート・サスケ

プロスポーツチーム

スポーツ サッカー グルージャ盛岡(J1) – 盛岡市をホームとするプロチーム
ラグビー 釜石シーウェイブス – トップイーストリーグ
バスケット 岩手ビッグブルズ – bjリーグ ※2015最終順位第4位

その他

その他情報 歴代総理大臣 歴代4人の総理大臣を輩出
原敬(第19代内閣総理大臣):盛岡市
斎藤実(第30代内閣総理大臣):奥州市水沢区
米内光政(第37代内閣総理大臣):盛岡市
東條英機(第40代内閣総理大臣):盛岡市(※出生地は東京市)
鈴木善幸(第70代内閣総理大臣):山田町

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