富山県の特色まとめ

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地理

県庁所在地   富山市
地域区分 富山地区 富山市、滑川市、中新川郡(上市町、立山町、舟橋村)
新川地区 魚津市、黒部市、下新川郡、朝日町、入善町
高岡地区 高岡市、射水市、氷見市
砺波地区 砺波市、小矢部市、南砺市
人口   1,042,998 人(全国第37位)
特長  
  1. 市町村の数は15であり、これは都道府県の中で一番少ない
  2. 旧石器時代の遺跡は140以上も確認されている
  3. 日本海側最大の工業集積地であり、北陸工業地域の中核
  4. 「越中の薬売り」の伝統から医薬品の製造・販売が盛ん

観光

観光地 砺波地区 白川郷・五箇山の合掌造り集落※岐阜県・富山県にまたがる※白川村は岐阜県となる世界遺産に登録されているこの白川郷
大野郡白川村と高山市荘川町(旧荘川村)および高山市清見町(旧清見村)の一部に相当し、白川村を「下白川郷」、他を「上白川郷」と呼ぶ。
1976年重要伝統的建造物群保存地区として選定、1995年には五箇山(相倉地区、菅沼地区)と共に白川郷・五箇山の合掌造り集落として、ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録された。「世界遺産白川郷合掌造り保存財団」などがその保存にあたっている。毎年2月頃の週末には夜間ライトアップが行われる。(富山県南砺市上梨)
富山地区 黒部ダム中新川郡立山町
黒部川水系黒部川に建設されたダムである。ダムに貯えられた水を利用している発電所が黒部川第四発電所(黒四)であることから、黒四ダム(くろよんダム)と呼ばれることもある。
日本を代表するダムの1つであり黒部川上流に建設されたアーチ式コンクリートダム。総工費は建設当時の費用で513億円。
これは当時の関西電力資本金の5倍という金額である。作業員延べ人数は1,000万人を超え、工事期間中の転落やトラック・トロッコなどによる労働災害による殉職者は171人にも及び、いかにダム建設工事が苦難を極めたのかがうかがえる。
2001年、黒部ダム建設の模様がNHK総合テレビジョンのドキュメンタリー番組『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』にて紹介された。
この影響は大きく、2002年末のNHK紅白歌合戦では、中島みゆきが同番組のテーマ曲『地上の星』を歌った。
高岡地区 雨晴海岸高岡市北部の海岸
能登半島国定公園に含まれ、日本の渚百選に選ばれている。
雨晴海岸からは、海の向こうに雄大な立山連峰を望むことがでる。
海の上に3,000m級の山々を望むことができるのは、世界でも3か所だけ。
富山県の観光パンフレット写真の定番となっている。
瑞龍寺高岡市
加賀藩二代藩主前田利長の菩提寺。伽藍配置が施され、山門、仏殿、法堂は平成9(1997)年、富山県で初めて国宝に指定された。総門、禅堂、大庫裏、回廊、大茶室は国の重要文化財。
高岡の基礎を築いた2代目藩主前田利長の菩提寺として、3代目藩主前田利常が寛文3年(1663)に建立した曹洞宗の巨刹。総門、山門(国宝)、仏殿(国宝)、法堂(国宝)が一直線に並び、周りを300mの回廊で結んだ典型的な禅宗伽藍形式。仏殿は鉛で屋根を葺いている。
新川地区 黒部峡谷鉄道黒部市黒部峡
トロッコ電車に乗って片道1時間20分の大自然の旅ができる鉄道です。春の新緑、夏の清流、春の新緑、夏の清流、秋の紅葉といった四季折々の見所が満載。北アルプスを深く刻むように流れる黒部川に沿って、小さなトロッコ電車が右へ左へと曲がりながらゆっくり走る。
  1. ミラージュランド:魚津市
    ミラージュランドのシンボルともいえる日本海側で最大級の大観覧車『ジャイアントホイール(高さ66m)』からは富山湾と立山連峰が同時に一望できます。
  2. ほたるいかミュージアム:滑川市
    滑川沖に棲息するほたるいかの生態や棲息する深海の神秘など、実際に見て感じて楽しみながら学べる体験・体感型ミュージアム。
  3. 海王丸パーク:射水市
    海の貴婦人と呼ばれる海王丸。この純白の帆船を中心に広がる海王丸パークは、人びとが集い、学び、憩う、素敵なベイエリアです。

特産品

食品 食品
  1. 富山牛
  2. 立山牛
  3. ジャンボ西瓜 – 長さ40cm、直径30cm、20kgもある巨大スイカ。入善町の特産品。
料理
  1. ます寿し – 駅弁でもお馴染み
  2. 氷見うどん – 氷見の郷土麺(氷見市)
  3. イカの黒作り – イカ墨を混ぜたイカの塩辛。富山湾だけの珍味(富山市)
工芸品 工芸品
  1. 高岡漆器(漆器)-国指定伝統的工芸品。高岡市で生産されている漆器。
    江戸時代初期の慶長年間、高岡城の築城を機に生産が始まったとされる。
  2. 井波彫刻(木工品)-国指定伝統的工芸品
  3. 高岡銅器(金工品)-国指定伝統的工芸品
    日本における銅器の生産額の約95%を占めている。
  4. 越中和紙(和紙)-国指定伝統的工芸品
  5. 庄川挽物木地(工芸用具・材料)-国指定伝統的工芸品

産業

産業 拠点がある有名企業

北陸電力株式会社(富山市)
三協立山株式会社(高岡市)
株式会社ほくほくフィナンシャルグループ(富山市)

主要産業

1位:製造業
2位:サービス業
3位:不動産業

産業別就業者の割合

◇第一次産業 約3.0%
◇第二次産業 約33.1%
◇第三次産業 約62.0%

名目県内総生産額 約4兆3566億円
産業に関する施設・史料館

◇ほたるいか海上観光
富山県屈指の漁獲量を誇る滑川漁港を夜明け前に出港し、富山県ならではの定置網によるホタルイカ漁を観光船から見学できる。幻想的なホタルイカや漁の様子が学べる。

◇ますのすし本舗 源 ますのすしミュージアム
ますのすし本舗 源 本店にある「ますのすしミュージアム」では、ますのすしのわざと伝統を見学できる。職人の熟練の技と、昔ながらの製法の過程は一見の価値あり。

性格

県民性 全体 子弟の教育にも熱心な傾向があり全国学力調査など教育関係の統計で、上位に位置することが多い。
貯蓄率は高く、「越中の一つ残し」と言われるほどである。自分の家を持って一人前という風潮があり持ち家率は全国最高である。
次男以下が結婚すると家を建ててあげるのが当たり前になっている。さらに家の大きさ(延べ床面積)も全国一大きい。
大家族傾向があるため、世帯収入が全国最高水準である。逆に生活保護家庭の割合は極端に低く、全国最低である。
男性 とにかく勤勉。これは裕福でも体の続く限り働いた「富山の薬売り」以来の伝統か。
粘り強い努力家だが、無駄な出費はしない実利主義者でもあるので、ギャンブルなどには興味がない。
真面目すぎて、何事にも細かいのが欠点。
女性 辛抱強い働き者で、隣の石川県では「富山から嫁をもらえ」と言われたほど。
ちょっと見は冷たい感じがすることも。
ファッションへの関心は薄い。

歴史(人物)

歴史上有名人 江戸末期

安田 善次郎:富山市
富山県富山市出身の実業家。幼名は岩次郎。安田財閥の祖。
富山藩下級武士(足軽)の安田善悦の子としてうまれる。安田家は善悦の代に士分の株を買った半農半士であった。
1858年(安政5年)、奉公人として江戸に出る。最初は玩具屋に、ついで鰹節屋兼両替商に勤めた。やがて安田銀行(後の富士銀行。現在のみずほフィナンシャルグループ)を設立、損保会社(現在の損害保険ジャパン)、生保会社(現在の明治安田生命保険)、東京建物等を次々と設立した。
1870年代には北海道で最初の私鉄である釧路鉄道(本社 安田銀行本店)を敷設し硫黄鉱山開発、硫黄の輸送や加工のための蒸気機関の燃料調達を目的に釧路炭田(後の太平洋興発の前身)を開発した。
北米への硫黄輸出のためにそれまで小さな漁港に過ぎなかった釧路港を特別輸出港に指定させた。
現在のみずほ銀行釧路支店の礎となる根室銀行を設立し、魚場集落だった釧路は道東最大の都市へと急激に発展した。
このように金融財閥家の基礎は釧路の硫黄鉱山経営と輸出で築かれたといわれている。
また日本電気鉄道や、帝国ホテルの設立発起人、東京電燈会社や南満州鉄道への参画、日銀の監事など、この時代の国家運営にも深く関わった。

1921年刺殺される。
東京大学の安田講堂や、日比谷公会堂、千代田区立麹町中学校校地は善次郎の寄贈によるものであるが、「名声を得るために寄付をするのではなく、陰徳でなくてはならない」として匿名で寄付を行っていたため、生前はこれらの寄付行為は世間に知られていなかった。
例えば、安田講堂は死後に善次郎を偲び、一般に安田講堂と呼ばれるようになる。

浅野 総一郎:氷見市
1930年(昭和5年)11月9日)は日本の実業家。一代で浅野財閥を築いた。
1873年(明治6年)に石炭や薪炭を売り込む商いでガス会社とつながりができ、石炭の廃物であるコークスの処分に困っていた横浜ガス局からコークスやコールタールを安値で買い取り、セメント製造の燃料として用いる方法を開発、ただ同然のコークスを深川のセメント工場に納めて巨万の利益を得た。セメントが建設資材の柱になることにいち早く着目、1884年(明治17年)には官営深川セメント製造所を好条件で払い下げられ、これが浅野セメント(後の日本セメント、現在の太平洋セメント)の基礎となる。
この払い下げには取引で浅野の仕事ぶりを見込んだ渋沢栄一の後ろ盾があった。
以降、浅野は渋沢の助言をもとに、水力発電所や鉄道建設など急増する需要を受けて、積極的な経営戦略を展開する。
浅野造船所(後の日本鋼管、現JFEエンジニアリング)など多数の会社を設立した。
その後、第一次世界大戦の特需を受け、一代で浅野財閥を築いた。

歴史

歴史 平安

【倶利伽羅峠の戦い】(くりからとうげの戦い)
平安時代末期の寿永2年5月11日(1183年6月2日)に、越中・加賀国の国境にある砺波山の倶利伽羅峠(現富山県小矢部市-石川県河北郡津幡町)源義仲軍と平維盛率いる平家軍との間で戦われた合戦。治承・寿永の乱における戦いの一つ。
砺波山の戦い(となみやまのたたかい、礪波山の戦い)とも言われる。

治承4年(1180年)、以仁王の平家追討の令旨に応じて信濃国で挙兵した源義仲は、翌治承5年(1181年)に平家方の城助職の大軍を横田河原の戦いで破り、その勢力を北陸道方面に大きく広げた。寿永2年(1183年)4月、平家は平維盛を総大将とする10万騎の大軍を北陸道へ差し向けた。平家軍は越前国の火打城の戦いで勝利し、義仲軍は越中国へ後退を余儀なくされる。
だが5月9日明け方、加賀国より軍を進め般若野(はんにゃの、現・富山県高岡市南部から砺波市東部)の地で兵を休めていた平氏軍先遣隊平盛俊の軍が、木曾義仲軍の先遣隊である義仲四天王の一人・今井兼平軍に奇襲されて戦況不利に陥り、平盛俊軍は退却してしまった(般若野の戦い)。
一旦後退した平家軍は、能登国志雄山(志保山とも。現・宝達山から北に望む一帯の山々)に平通盛、平知度の3万余騎、加賀国と越中国の国境の砺波山に平維盛、平行盛、平忠度らの7万余騎の二手に分かれて陣を敷いた。5月11日、義仲は源行家、楯親忠の兵を志雄山へ向け牽制させ、義仲本隊は砺波山へ向かう。義仲は昼間はさしたる合戦もなく過ごして平家軍の油断を誘い、今井兼平の兄で義仲四天王のもう一人・樋口兼光の一隊をひそかに平家軍の背後に回りこませた。
平家軍が寝静まった夜間に、義仲軍は突如大きな音を立てながら攻撃を仕掛けた。浮き足立った平家軍は退却しようとするが退路は樋口兼光に押さえられていた。大混乱に陥った平家軍7万余騎は唯一敵が攻め寄せてこない方向へと我先に逃れようとするが、そこは倶利伽羅峠の断崖だった。平家軍は、将兵が次々に谷底に転落して壊滅した。平家は、義仲追討軍10万の大半を失い、平維盛は命からがら京へ逃げ帰った。
この戦いに大勝した源義仲は京へ向けて進撃を開始し、同年7月に遂に念願の上洛を果たす。
『源平盛衰記』には、この攻撃で義仲軍が数百頭の牛の角に松明をくくりつけて敵中に向け放つという、源平合戦の中でも有名な一場面がある。

安土桃山~ 天正11年(1583)に織田氏の武将佐々成政により越中がほぼ統一されました。その後、越中4郡(砺波・射水・婦負・新川)は加賀前田氏の領国となりましたが、寛永16年(1639)、婦負郡と新川郡の一部が富山藩に分封され、前田利次が初代藩主となった。
江戸時代には、水害との戦いに苦しみながらも用水を開き、土地の新田開発を進め、農業・売薬業をはじめ諸産業を興した。
また、伏木港や岩瀬港では北前船の中継地として、昆布、ニシン、酒、米などの交易が盛んに行われた。

有名学校(学力/スポーツ)

有名高校 学力
  1. 高岡高校
  2. 富山高校
  3. 富山中部高校
    県内では「御三家」と称さる。首都圏の難関国立大や有名私立大に毎年多くの合格者を輩出する。
スポーツ

【野球】新湊高校
新湊旋風(しんみなとせんぷう)が話題になった高校。
1986年の第58回選抜高等学校野球大会、下馬評を覆し、ベスト4まで勝ち上がった活躍のことをいう

※富山県は優勝歴なし

【サッカー】富山第一高校
2013年 改修前の最後の国立競技場での試合となった第92回全国高校サッカー選手権大会でついに全国制覇
富山県勢としても初の優勝

【柔道】小杉高校
「柔道部物語」に出てくる大杉高校のモデルにもなった高校
中学・高校ともに、全国大会の常連校

【ハンドボール】氷見高校
全国屈指の強豪。ハンドボール競技大会にて優勝経験あり。

有名人

出身有名人 タレント ◇佐藤大樹(クマムシ):富山県下新川郡入善町
◇立川志の輔:新湊市
◇松田洋昌(ハイキングウォーキング):富山市
◇山田辰夫:射水郡大島町
◇柴田理恵:婦負郡八尾町
俳優 ◇西村雅彦:富山市
◇室井滋:富山県
◇風吹ジュン:婦負郡八尾町
◇野際陽子:富山市
文化人 藤子・F・不二雄(高岡市出身):『ドラえもん』『パーマン』の作者
◇角川源義:俳号「源義」、国文学者、角川書店創始者
スポーツ選手 サッカー ◇柳沢敦(元日本代表):射水郡小杉町

プロスポーツチーム

スポーツ サッカー カターレ富山(J3)

その他

その他 その他

富山の売薬(とやまのばいやく)
古くから富山県にある医薬品配置販売業の通称である。
富17世紀終期、富山藩第2代藩主・前田正甫が薬に興味を持ち合薬の研究をし、富山では最も有名な合薬富山反魂丹(はんごんたん)が開発された。これが富山売薬の創業とされる。(胃痛・腹痛に効果がある)

商法は先用後利。「用いることを先にし、利益は後から」とした富山売薬業の基本理念である。創業の江戸時代の元禄期から現在まで脈々と受け継がれている。

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