人事のための情報サイト 人事バンク

静岡県の特色まとめ

静岡県の都道府県データをダウンロードする

地理

県庁所在地 静岡市
地域区分 西部 浜松市、磐田市、掛川市、袋井市、湖西市、御前崎市、菊川市
周智郡:森町
中部 静岡市、島田市、焼津市、藤枝市、牧之原市
榛原郡:吉田町 – 川根本町
東部 富士市、沼津市、御殿場市、富士宮市、裾野市
駿東郡:清水町 – 長泉町 – 小山町
伊豆 熱海市、三島市、伊東市、下田市、伊豆市、伊豆の国市、
賀茂郡(東伊豆町、河津町、南伊豆町、松崎町、西伊豆町)、田方郡(函南町)
人口 3,697,651人(全国26位)
特長
  1. 県を代表するシンボルとして富士山や伊豆半島駿河湾御前崎がある
  2. 「お茶」「あべかわ餅」浜松市は「うなぎ」「うなぎパイ」が名産
  3. 小説「金色夜叉(尾崎紅葉)」や「伊豆の踊子(川端康成)」の舞台としても有名
  4. サッカーチーム「清水エスパルス」「ジュビロ磐田」に代表されるように、サッカーが人気
  5. 日本のピアノ生産率100% ヤマハの本社がある
  6. ガンプラの国内唯一の製造拠点であるバンダイホビーセンター

観光

観光地 中部 三保松原静岡市
平成25(2013)年、ユネスコ世界文化遺産に登録。
約7kmの海岸線に5万本以上の松が茂り、三大松原の1つに数えられる。波打ち際から望む富士山は圧巻。
新日本三景の名勝地に選ばれている。
西部 浜名湖浜松市、湖西市
ウナギの養殖でも有名な静岡県西部にある浜名湖。
ウナギ、ノリ、カキ、スッポンなどの養殖が盛ん。
特に養殖ウナギは有名で、鰻丼(鰻飯)、ウナギボーン、うなぎパイなどの特産品がある。
東部

富士サファリパーク裾野市
CMでもおなじみの富士サファリパーク。
約74万平方メートル、十里木高原自然林をいかした国内初の森林型自然動物公園。富士山を背にキリンやライオンが群がる風景はキリマンジャロさながら。ナイトサファリも期間限定で開催される。

大人2700円、4歳~中学生1500円
ナイトサファリ入園料(4歳以上)1700円

中部 久能山東照宮静岡市
元和2(1616)年徳川家康公の遺言により2代将軍・徳川秀忠公が創建。権現造、総漆塗りの国宝社殿と他13の建造物は国の重要文化財。平成17(2005)年の総塗り替えで美しく蘇った。
家康公を祀る神社で、建築史上特筆される絢爛豪華な建物は重文。1159段の石段からの風光明媚な景観は有名。
日本平山頂からロープウェイも利用できます。
家康公を祀る神社で名所として有名で、建築史上特筆される絢爛豪華な建物は圧巻の一言です!
東部 富士山本宮浅間大社富士宮市
世界遺産の富士山の構成資産として登録された、全国1、300余の浅間神社の総本宮。
東海地方最古の社で、富士山山霊を鎮めるために806(大同元)年に造営された。鳥居越しに見える富士山は絶景。
朱塗りの本殿は徳川家康により造営されました。国の重要文化財にも指定されている。
伊豆 大室山伊東市
標高580mの山頂に直径300mの噴火口を持つ休火山。伊豆の海、御神火の大島・伊豆七島。
箱根・富士・天城へ続く山並みの美しさ。

熱海温泉
日本の三大温泉の一つとも言われる。
およそ1500年前の仁賢天皇の時代、海中から熱湯が噴き出し、魚が爛れ死ぬのを近郷の者が発見、以来「熱い海」であることから、熱海と名付けられたとされる。
江戸時代には徳川家康が来湯し、以来徳川家御用達の名湯として名を馳せ、家光以降に、熱海の湯を江戸城に献上させる「御汲湯」を行わせた。

熱海サンビーチ
静岡県の人気ビーチ。
夜には砂浜がライトアップされ、幻想的なムーンライトビーチに変身。

西部 うなぎパイファクトリー浜松市
静岡を代表する銘菓「うなぎパイ」を製造する工場。
地元からも根強く常にランキング上位に入る定番のおすすめ観光スポットで、年間50万人もの来場者がある。

浜松城:浜松市
徳川家康が駿府に移るまでの17年間を過ごしたお城で、出世城とも言われています。

ヤマハ発動機株式会社コミュニケーションプラザ
ヤマハ発動機の歴史と製品を紹介しているミュージアム。オートバイをはじめ、ボートやヘリコプターなどのさまざまな乗り物が展示

登呂遺跡:静岡市
約2000年前の弥生時代の遺跡である登呂遺跡。高床式倉庫と竪穴式住居が復元されており、当時の生活の様子を感じることができる。

蓬莱橋:島田市
「世界一長い木造歩道橋」としてギネスに認定された全長約897.4mの橋。橋の長さが「やくなし=厄無し」の語呂合わせで縁起のいい橋とされています。

夢の吊橋:榛原郡川根本町
南アルプスの麓に位置する「寸又峡」にある、湖面の上に架けられた長さ90mの吊橋。
歩くたびに揺れ、スリル満点。一度に10人しか渡れません。
「世界の徒歩吊り橋10選」にも選ばれています。

特産品

食品 食品 お茶全国都道府県別・収穫量第1位
わさび生産量第1位
メロン – 全国有数の産地、ワサビ栽培は400年前に開始され、徳川家康に献上していた
天然とらふぐ – 遠州灘は天然トラフグの漁獲量有数の地
うなぎ – ウナギの産地と言えば浜名湖が有名
桜エビ – 世界中で駿河湾にしか生息しないエビ。漁は春と秋の2回だけ
すっぽん – 浜名湖名物
料理
  1. 富士宮やきそば – B級グルメとして全国的にも有名
    油かすを使用し、仕上げに削り粉をふりかけることが特徴
  2. 猪肉 – 天城の郷土料理
  3. イルカのたれ

安良里港では昔、イルカの追い込み漁が盛んで、その名残でイルカの肉をタレに漬けて干した「イルカのたれ」を今でも売っている

工芸品 工芸品
  1. 駿河雛具 – 国指定伝統的工芸品。
  2. 駿河雛人形 – 国指定伝統的工芸品。
  3. 駿河竹千筋細工 – 国指定伝統的工芸品。
  4. 駿河漆器

性格

県民性 全体 東西に長い静岡県。伊豆、駿河、遠江(遠州)の3つの国から成った県で、三者三様の県民性がある。
いざ食えなくなったら、中部の駿河は優柔不断で、とりあえず人に乞うてしのぐ「駿河の物乞い」、西部の遠江は気性が荒く経済感覚がシビアなので「遠州泥棒」、東部の伊豆は何もできない「伊豆の餓死」と、性格を揶揄された。全県的にはマイペースで、イライラさせられることも多いが、急かさないで付き合うのが得策。
男性 静岡市など県東部はおっとりしている。協調性があり、誰からも好感が持たれるが、逆に言えば優柔不断なところも。
浜松など県西部は、行動力もあるし、根性もある。ギャンブル好きだが、のめり込むことはない。
女性 男性がのんびりしているだけに活動的。性格もさっぱりしていて、どちらかというと男性的。
じっと耐えるタイプではないし、腹にためるタイプでもない。好き嫌いもはっきりしている。

歴史(人物)

歴史上有名人 鎌倉

北条政子:
政子は伊豆国の豪族・北条時政の長女として生まれた。

平安時代末期から鎌倉時代初期の女性。鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室
伊豆の流人だった頼朝の妻となり、頼朝が鎌倉に武家政権を樹立すると御台所と呼ばれる。
夫の死後に落飾して尼御台(あまみだい)と呼ばれた。頼朝亡きあと征夷大将軍となった嫡男・頼家、次男・実朝が相次いで暗殺された後は、傀儡将軍(カイライショウグン)として京から招いた幼い藤原頼経の後見となって幕政の実権を握り、世に尼将軍と称された。
「尼将軍」とは源頼朝の妻政子の異称。夫の死後、尼の身で幕政を動かしたことからいう。

※傀儡:「操り人形」を意味し、転じて影にいる者に利用されている者を指す。

戦国

今川義元:駿河国
戦国時代の武将、駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。今川氏第11代当主。婚姻関係により、武田信玄や北条氏康とは義兄弟にあたる。海道一の弓取りの異名を持つ。
寄親・寄子制度を設けての合理的な軍事改革等の領国経営のみならず、外征面でも才覚を発揮して今川氏の戦国大名への転身を成功させた。
所領も駿河・遠江から、三河や尾張の一部にまで拡大する等、戦国時代における今川家の最盛期を築き上げるも、尾張国に侵攻した際に行われた桶狭間の戦いで織田信長に敗れて毛利良勝(新助)に討ち取られた。

【桶狭間の戦い】
永禄3年(1560年)5月には那古野城を目指し駿・遠・三2万余の軍を率いて尾張国への侵攻を開始。
織田方に身動きを封じられた大高城(現在の名古屋市緑区大高)を救うべく、大高周辺の織田方諸砦を松平元康などに落とさせる。
幸先良く前哨戦に勝利した報せを受けて沓掛城で待機していた本隊を大高城に移動させる。
ところがその途上、桶狭間(おけはざま)山で休息中に織田信長の攻撃を受け松井宗信らと共に奮戦するも、織田家家臣・毛利良勝に愛刀・左文字の太刀ともども首級を奪われた。享年42。
その後、残存した今川兵によって駿府まで連れ帰ろうと試みられた首の無い義元の遺体は想像以上に腐敗の進行が早く、三河国宝飯郡に埋葬された。

◇公家文化に精通し、都を逃れた公家達を保護、さらには自らも公家のようにお歯黒をつけ、置眉、薄化粧をしていたことから、貴族趣味に溺れた人物とされることもある。

江戸末期

徳川秀忠
安土桃山時代から江戸時代にかけての武将。江戸幕府の第2代征夷大将軍。
徳川家康の三男として遠江国浜松に誕生する。

江戸幕府第2代将軍。徳川家康の3男。母は家康の側室西郷氏於愛の方(宝台院)。遠江国(静岡県)浜松城に生まれる。
長兄信康が自害、次兄秀康が豊臣秀吉の養子になったため、世子となる。天正18(1590)年上洛して秀吉に拝謁、文禄4(1595)年9月秀吉の意思で浅井長政の娘於江与(崇源院)と結婚した。慶長5(1600)年の関ケ原の戦では、東山道を西上した秀忠は、途中信濃上田城の真田昌幸攻めに時間を空費し、決戦に間にあわず、家康の勘気をこうむり、一時次期将軍の座も危うかった。8年娘千姫が、秀吉の遺児秀頼に入輿。10年2月、10万の軍勢を率いて上洛、家康から将軍職を譲られた。駿府に引退した家康は、なお大御所として政治の実権を握り、秀忠はおもに東国を中心とした大名の統率に当たる。19年大坂冬の陣、翌年の夏の陣に出陣、豊臣家を滅亡させ、元和2(1616)年家康が死ぬと、名実ともに幕府の主権者となった。5年広島城修築を理由に福島正則を改易するなど、一代のうちにのべ41名の大名の改易を断行。
8年には家康以来の年寄本多正純を改易に処し、土井利勝を信任して幕藩制の確立に力をそそいだ。
6年、娘和子(東福門院)を後水尾天皇に入内させ、9年、次男家光に将軍職を譲り、江戸城西ノ丸に大御所として君臨した。

歴史

歴史 中世 平治元年(1159年)、平清盛に敗退した源義朝は東国に敗退する最中に謀殺され、義朝三男の源頼朝は平家方に捕らえられるが助命され、伊豆国韮山(韮山町)に流刑された。豆駿伊豆三国はいずれも平家の勢力圏であったが、頼朝は伊豆において在庁官人北条氏の庶流北条時政の娘政子を室として婿になり、伊豆の反平家方の武士たちから支持を受けると治承4年(1180年)には以仁王の平家討伐令旨に応じて挙兵する(治承・寿永の乱)。
治承・寿永の乱は豆駿遠三国のみならず相模国や甲斐国など東国圏から西国にかけて展開するが、三国内における平家勢は治承4年8月23日に相模石橋山合戦(小田原市)において頼朝勢を撃退するが、8月25日には駿河目代橘遠茂の軍勢が富士山麓において甲斐源氏の勢力に敗退し(波志田山合戦)、甲斐源氏の勢力と安房へ逃れた頼朝が三浦氏の後援を得て勢力を挽回すると反平家勢は再び三国方面へ侵攻し、平家勢は10月14日には富士山麓における鉢田の戦いにおいて敗退し、さらに10月20日の富士川の戦いにおいて大敗し、三国は頼朝や甲斐源氏の勢力圏となった。
頼朝が鎌倉幕府を開府すると三国の所領も恩賞として御家人に安堵された。伊豆は北条氏が守護となったが、治承・寿永の乱においては特に甲斐源氏の功績が大きく、駿河は武田信義、遠江は安田義定が守護となったが、頼朝は甲斐源氏の粛清を行い、三国は北条氏の影響下に置かれた。『曽我物語』に拠れば建久4年(1193年)5月15日には富士の巻狩が行われ、5月28日には曽我の敵討が発生する。
鎌倉幕府において源氏将軍が途絶すると北条氏は執権として幕政を主導する執権政治を開始し、三国は北条氏の所領における中心となる。承久3年の承久の乱において三国の武士は幕府勢の主力である東海道軍に加わり活躍し、乱の平定後に三国の御家人は西国にも恩賞を獲得し、勢力を拡大した。
頼朝や北条氏は寺社を振興し、三国においても頼朝の信仰した伊豆山神社や北条氏の氏寺である願成就院など幕府にゆかりのある寺院が分布している。三国においては天台宗・真言宗の旧仏教の影響が強かったが、鎌倉新仏教においても臨済宗の高僧である円爾(聖一国師)や南浦紹明(大応国師)は駿河の出身で三国でも臨済寺院が分布しており、日蓮宗の宗祖である日蓮は伊豆において布教を行っており、日蓮が甲斐国南部の身延(身延町)に草庵を構え信仰の拠点となると駿河・伊豆においても門徒が拡大し、日興は大石寺(富士宮市)・北山本門寺(富士市)など岳南地方において日蓮宗の拠点寺院を建立した。
南北朝時代に入ると、今川氏が守護大名として駿河国府中(駿府)に入った。14世紀後半に入ると今川氏は遠江国の守護職も兼ねて勢力を伸長する。
戦国期には今川氏親は伊勢宗瑞(北条早雲)らの力によって一族の抗争を終わらせ、戦国大名への道を歩んだ。また、応仁の乱の後に、散逸した貴族達が多く逗留した。一方の北条早雲は、伊豆国の堀越公方を攻め滅ぼし、それを足がかりに関東の支配へ乗り出す。
駿府は今川領国の中心として繁栄し、今川義元は相模国の後北条氏との争い(河東の乱)を収束させると、甲斐の武田氏、相模後北条氏と三国同盟を形成し駿河国、遠江国、三河国の3国を支配した。永禄3年(1560年)、尾張国の織田信長との桶狭間の戦いにおいて当主義元が敗死し今川氏真に当主交代すると三河においては松平元康(徳川家康)が独立するなど今川領国は動揺する。外交関係においても武田氏と手切となり、永禄11年(1568年)に武田信玄と徳川家康が協調して今川領国へ侵攻し、今川氏は相模後北条氏の支援を得るが領国は崩壊した。
その後は武田信玄と徳川家康は今川領国の割譲を巡り対立し、さらに徳川氏と協調し武田氏に敵対する後北条氏や越後上杉氏、徳川氏と同盟関係にありつつ武田氏とも友好的関係を持ち将軍義昭を擁する尾張の織田信長など旧今川領国を巡る情勢は複雑に推移するが、元亀年間に武田氏は駿河を確保すると、後北条氏との同盟も回復する。その後、武田氏は矛先を遠江・三河方面に向け家康や信長と対決し畿内情勢にも影響を及ぼしたが(西上作戦)、元亀4年には信玄が死去し自体はいったん収束する。
信玄の死後、信長は畿内において政権を確立し家康も岡崎から浜松に拠を移し勢力を回復し、武田氏では勝頼に当主交代すると再侵攻を繰り返すが、天正3年の三河において織田・徳川勢が武田勢に致命的打撃を与えた長篠の戦いと、天正9年の高天神城陥落を契機に駿遠二国における武田氏の勢力は後退し、天正10年(1582年)に武田氏は織田・徳川勢により滅ぼされた。
同年、本能寺の変において信長が横死し旧武田領国が空域化すると家康は本国の三河・遠江のみならず武田遺領である甲斐・信濃国・駿河を確保し(天正壬午の乱)、5国を支配し東国における一大勢力に成長した。
近世

豊臣秀吉が後北条氏を滅ぼすと、1590年には家康は駿府から江戸に移され、代わって駿府には中村一氏が入り、遠江国には掛川に山内一豊や堀尾吉晴が入り、それぞれ織田家の家臣が入った。
1603年、徳川家康が江戸幕府を開くと後継者の徳川秀忠に将軍職を譲り、家康は駿府において大御所政治を敷いた。江戸時代の伊豆国、駿河国、遠江国の3国(以下「豆駿遠三国」と略称)には、幕府直轄領や譜代大名の藩領、旗本領が入り組んでおり、伊豆国には韮山の代官江川太郎左衛門、駿河国には沼津藩の水野出羽守、田中藩の本田紀伊守、小島藩の瀧脇丹後守、遠江国には相良藩の田沼玄蕃頭、横須賀藩の西尾主計頭、浜松藩の井上河内守、掛川藩の太田惣次郎、堀江藩の大澤右京太夫といった具合に領主支配は複雑に変遷している。
近世には江戸日本橋から京都に至る東海道の宿場が整備されるが、豆駿遠三国には53の宿場のうち22宿が存在し、各地に宿場町が成立した。東海道は西国諸大名の参勤交代や朝鮮通信使・琉球使節も通行し、新居関所(今切関所)は箱根関所と並ぶ重要な関所として知られ、大井川では川越制度が整えられ、大井川徒歩が行われた。

新居関所
近世には新田開発が行われ米麦や畑作物の生産が増大したほか、茶や椎茸、山葵などの特産物の生産も行われる。また、伊豆や駿河では金銀山での採掘が行われたほか、豆駿遠三国では林業が行われ幕府の御林も設置されていた。
近世後期には天命の大飢饉、天保の大飢饉などに際して豆駿遠三国でも凶作や飢饉の被害を受け、強訴や打ちこわし、百姓一揆が発生しており、明和元年(1764年)の駿河小島藩の惣百姓一揆、天明3年(1783年)の駿河御厨一揆、天明6年の遠江笠井・二俣騒動、文化13年の蓑着騒動などが発生している。
文化面では国学を創始した確立した荷田春満の弟子に浜松諏訪神社大祝杉浦国頭がおり、国頭は江戸において春満に学び、春満の姪を妻に迎え浜松で私塾を開き多くの門弟を育てた。そのなかには伊庭村の賀茂明神神職の賀茂真淵がおり、真淵は春満に国学の学問的手法を確立し、地元出身者を含む多くの門弟を育て、豆駿遠三国では春満・真淵との関わりから遠州国学が発達する。

韮山反射炉
幕末には嘉永6年(1853年)にアメリカ艦隊司令長官ペリーが日本との通商を求めて来航し、翌嘉永7年1月には下田・函館両港が開港する。下田にはアメリカ領事タウンゼント・ハリスが駐在し、安政5年に日米修好通商条約が締結されるまで、玉泉寺はアメリカ総領事館として機能した。また、嘉永6年にはロシアのプチャーチン艦隊も日本との通商を求めて来航し、同年11月1日には下田において幕府側全権と考証を行っている。嘉永7年11月4日には安政東海地震が発生しプチャーチン艦隊のディアナ号は沈没し、日本側では韮山代官江川英龍が主導し、戸田港において代船ヘダ号の造船を行っている。

有名学校(学力/スポーツ)

有名高校 学力
  1. 静岡高校:県内屈指の進学校
    毎年、東大合格者数は二桁でありながら、スポーツでも好成績を残す。春のセンバツ15回、夏の甲子園24回出場。
  2. 清水東高校
  3. 沼津東高校
  4. 浜松北高校
  5. 富士高校
スポーツ 【サッカー】全国的な強豪校がそろう

  1. 藤枝東高校
    <有名選手>1998年のフランスW杯で日本人初ゴールを決めた中山雅史、サッカー日本代表キャプテンの長谷部誠
  2. 静岡学園高校
    <有名選手>日本サッカーを牽引してきた三浦知良(キングカズ) ※カズは高校中退してブラジル留学
  3. 清水東高校
    <有名選手>元日本代表FWの高原直泰や西澤明訓、日本代表の右サイドバック・内田篤人
  4. 清水桜が丘高校(旧清水商業高校)
    <有名選手>元日本代表の小野伸二、名波浩、藤田俊哉 この3選手に共通するのは、非常にテクニックに優れた選手

【野球】常葉菊川高校
2007年春の甲子園で優勝
2008年夏の甲子園は決勝まで進むも、大阪桐蔭学園に17-0の大差で敗れる。

有名人

出身有名人 タレント ◇藤田憲右(トータルテンボス):御殿場市
◇大村朋宏(トータルテンボス):御殿場市
◇柴田英嗣(アンタッチャブル):清水市
◇ガダルカナル・タカ:伊豆市
◇つまみ枝豆:伊豆市
◇岡本夏生
◇八木亜希子:浜松市
◇研ナオコ:伊豆市
歌手 ◇AKIRA(EXILE):磐田市
◇ASIAN KUNG-FU GENERATION:(山田貴洋:富士宮市、後藤正文:島田市)
◇諸星和己(光GENJI):富士市
◇田村明浩(スピッツ):藤枝市
◇三輪テツヤ(スピッツ):藤枝市
◇ピエール瀧:静岡市
◇久保田利伸:静岡市
◇椎名林檎:清水市
◇百田夏菜子(ももいろクローバーZ):浜松市
◇ピンクレディー:(未唯mie:静岡市、増田恵子:静岡市)
俳優 ◇徳重聡:静岡市
◇袴田吉彦:浜松市
◇鈴木一真:三島市
◇保阪尚希:静岡市
◇大澄賢也:浜松市
◇神保悟志:駿東郡清水町
◇筧利夫:浜松市
◇里見浩太朗:富士宮市
◇長澤まさみ:磐田市
◇広瀬すず:静岡市
◇鈴木砂羽:浜松市
◇早見優:熱海市
◇秋吉久美子:富士宮市
◇市毛良枝:伊豆市
文化人 ◇渡部陽一(戦場カメラマン):富士市
スポーツ選手 サッカー 三浦 知良:静岡市
◇内田篤人:田方郡函南町
◇水野晃樹:清水市
◇矢野貴章:浜松市
◇長谷部誠:藤枝市
◇鈴木啓太:静岡市
◇小野伸二:沼津市
◇高原直泰:三島市
◇山田暢久:藤枝市
◇川口能活:富士市
◇名波浩:藤枝市
◇澤登正朗:富士宮市
中山雅史:藤枝市
武田修宏:浜松市
野球 ◇石川雄洋(横浜DeNAベイスターズ):駿東郡清水町
◇牧田和久(埼玉西武ライオンズ):焼津市
◇増井浩俊(北海道日本ハムファイターズ):焼津市
◇鈴木大地(千葉ロッテマリーンズ):駿東郡小山町
有名選手 その他 【体操】
加藤凌平(2012年ロンドンオリンピック(銀メダル)):静岡県
【ハンマー投げ】
室伏広治:沼津市
【水泳】
岩崎恭子(バルセロナオリンピック金メダル、沼津市)

プロスポーツチーム

スポーツ サッカー 清水エスパルス(J1):IAIスタジアム日本平
ジュビロ磐田(J1):ヤマハスタジアム
藤枝MYFC:藤枝総合運動公園サッカー場
バレー 東レ・アローズ(男子バレーボール):静岡県三島市にある東レ三島工場の男子バレーボール部。

その他

その他 その他 「ちびまるこちゃん」の舞台となった清水市
現:静岡県静岡市清水区の入江地区で少女時代を過ごした、作者のさくらももこの投影となった作品
プラモデルの聖地
静岡市葵区にあるバンダイホビー事業部の事業所兼工場は同社が販売している『ガンダムシリーズ』のプラモデル(ガンプラ)の、国内唯一の製造拠点である。
国内唯一のガンプラ製造拠点として、『機動戦士ガンダム』の世界観を随所に取り入れ、建物外壁の高さは初代ガンダムの(設定上の)高さと同じであり、壁面には同作品に関わるエンブレムやイラスト等が掲出。従業員は全員地球連邦軍の軍服を模した作業着を着用しており、袖には社内の役職に応じて階級章が付けられている。他にもガンダムへのこだわりが徹底しており、ガンプラの愛好者からは「ガンプラの聖地」と呼ばれることもある。
うなぎパイ
静岡県浜松市の名産品として全国で広く知られている。
うなぎパイは「夜のお菓子」というキャッチフレーズでも知られているが、これはもともと、出張や旅行のお土産として家庭に買って帰ったその夜(晩)に「一家だんらんのひとときを『うなぎパイ』で過ごしてほしい」との願いを込めて当時の社長が考案したものであり、現在巷間で広く流布しているような“精力増強”といったニュアンスは全くなかった。
このようなイメージが広まった理由として同社は、うなぎパイの発売開始当時浜松は高度経済成長期下で夜の繁華街がとても賑わっており、そのような繁華街を歩いているときに「このキャッチフレーズを目にしたお客様で、精力増強のうなぎと結びつけてあらぬ解釈をしてしまった人も多かった」のではないかと推測している。

ログインまたは新規会員登録してからご利用ください。

新規会員登録

無料会員登録をすると、さまざまな会員限定コンテンツをご利用いただけます。

無料会員登録する

人事バンクについて

この企業をフォローしました。
フォローした企業の一覧はマイページからご確認いただけます。

この企業のフォローを解除しました。

このメールアドレスは、現在仮登録状態です。
本会員登録のご案内メールをご確認いただき、本会員登録を行ってください。

本会員登録のご案内は、下記メールをお送りしております。

▼メール件名
【人事バンク】本会員登録のご案内