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愛知県の特色まとめ

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地理

県庁所在地 名古屋市
地域区分 尾張 【尾張地方】
名古屋市、瀬戸市、尾張旭市、日進市、豊明市、大府市、東海市、知多市、
常滑市、半田市、春日井市、小牧市、犬山市、江南市、岩倉市、
一宮市(木曽川東岸の一部除く)、稲沢市(加賀野井地区の一部を除く)、
津島市、愛西市、弥富市(鍋田川流域の一部除く)、あま市、北名古屋市、
清須市、長久手市、東郷町、東浦町、阿久比町、武豊町、美浜町、南知多町、
大口町、扶桑町、豊山町、飛島村、大治町、蟹江町
西三河 【西三河地方】
豊田市、岡崎市、幸田町、西尾市、碧南市、安城市、
高浜市、刈谷市、知立市、みよし市
東三河 【東三河地方】
豊川市、蒲郡市、豊橋市、田原市、新城市、東栄市、設楽町、豊根村
人口 7,444,513人(全国4位)
特長
  1. 愛知県は、トヨタ自動車を筆頭に自動車関連企業が数多く存在することで有名。
  2. 中部地方の県では最も人口が多く、県庁所在地の名古屋は中部地方で最大の人口を擁する都市である。
  3. 三大都市圏の一角である中京大都市圏の中心となる県であり、日本経済を大きく支えている地域である。
  4. 日本三大都市の1つ「名古屋市」
  5. 日本で最大規模の南米出身者コミュニティが存在
  6. 寺院数が日本一(約4600)
  7. 喫茶店のモーニング – 午前中にコーヒー1杯の値段でいろいろなサービス品がつく。愛知県の一宮市が発祥。

観光

観光地 尾張 名古屋城(名古屋市)名古屋市
織田信長誕生の城とされる今川氏・織田氏の那古野城(なごやじょう)の跡周辺に、徳川家康が九男義直のために天下普請によって築城したとされる。
以降は徳川御三家の一つでもある尾張徳川家17代の居城として明治まで利用された。
大天守に上げられた金の鯱(金鯱(きんこ))は、城だけでなく名古屋の街の象徴にもなっている。
熱田神宮名古屋市
年間650万人に近い参拝の人々でにぎわう。空襲で焼失後、昭和30年再建。
三種の神器の一つ草薙神剣をまつり、古来より朝廷、武将の崇敬を集め伊勢の神宮につぐ大宮として知られる。古くは、尾張造であったが、1893年(明治26年)、神明造に改築。
最近はパワースポットとしても注目を浴びている。織田信長も桶狭間の戦いの前に、必勝祈願に訪れてから出陣したとされ、勝利のお礼に「信長塀」を寄進したというエピソードが残されています。
西三河 トヨタ博物館豊田市
トヨタ自動車創立50周年記念事業の一環として建設された。
トヨタ自動車の運営であるが、ガソリン自動車誕生から約100年間の自動車の歴史をテーマに、トヨタ車だけでなく19世紀末から20世紀にかけて製造された各国、各メーカーの自動車が体系的に展示されている。
香嵐渓豊田市
東海地区の紅葉スポット人気ランキングで堂々の1位を誇る。
モミジの本数はおよそ4,000本と言われており、愛知高原国定公園の一角に当たるとても立派な渓谷です。
尾張 犬山城犬山市
江戸時代までに建造された「現存天守12城」のひとつである。また天守が国宝指定された5城のうちの一つである(他は姫路城、松本城、彦根城、松江城)。昭和10年、国宝に指定された。
室町時代の天文6年(1537)に建てられ、天守は現存する日本最古の様式です。木曽川のほとりの小高い山の上に建てられた天守閣からの眺めはまさに絶景。
◇名称:犬山城 ◇通称:白帝城 ◇築城者:織田信康(織田信長の叔父) ◇おもな城主:織田氏・池田氏・石川氏・成瀬氏
ナゴヤドーム:名古屋市 中日ドラゴンズの本拠地ナゴヤドーム。

特産品

食品 食品
  1. 名古屋コーチン:日本三大地鶏
  2. 食用花:出荷量は約56トンで全体の約98.2%(生産量日本一)
  3. 食用菊:出荷量は約612トンで全体の約59.4%(生産量日本一)
  4. シソ:出荷量は約3,692トンで全体の約43.9%(生産量日本一)
  5. ふき:出荷量は約4,920トンで全体の約45.1%(生産量日本一)
  6. うなぎ:一色町は日本の生産量の約4分の1を出荷し、市町村単位では一色町が昭和58年から現在まで、全国一位を誇っている
料理 【名古屋飯】

  1. 味噌煮込みうどん愛知の郷土麺
  2. きしめん名古屋名物の幅広の麺
  3. ひつまぶし名古屋の名物ウナギ料理
  4. ういろう名古屋の名物菓子
  5. 手羽先
  6. 天むす
  7. モーニング:小倉トースト
  8. 海老せんべい(ゆかり)
  9. 八丁味噌
工芸品 工芸品
  1. 常滑焼:常滑市(尾張) – 指定伝統的工芸品。日本六古窯
    愛知県常滑市を中心とし、その周辺を含む知多半島内で焼かれる陶器。
  2. 瀬戸染付焼:瀬戸市(尾張) – 指定伝統的工芸品。日本六古窯
    東日本で広く流通し、瀬戸物は陶磁器を指す一般名詞化した
  3. 有松しぼり(絞り染め):江戸時代以降日本国内における絞り製品の大半を生産しており、
    国の伝統工芸品にも指定されている。

性格

県民性 全体 保守的な県民性のため他県からの文化を嫌い、地元産業に頼りっぱなしです。新聞は中日新聞、野球はドラゴンズ、車はトヨタと地元文化をこよなく愛します。東京への反発心が強いとも解釈できる。
愛知県民(名古屋市民)とうまく付き合うには、名古屋文化をヨイショしまくるといいでしょう。地元文化の話題をふって共感すれば手放しで喜んでもらえるはず。
【名古屋】
名古屋市民は保守的でケチというのが世間一般の県民性です。これはかつて尾張藩が貯蓄を推奨していたためといわれてます。一方で見栄っ張りの性格もあり、結婚式は派手に行うなどの特徴も見られます。
男性 尾張は本音を言わず、おだてにも乗らず、お金にもきわめて細かい。格好もあまり気にしないので、流行も追わない。ギャンブルもほどほどで、貯蓄を愛する生活堅実派。三河は頑固だが、尾張よりは付き合いやすい。
女性 地味だが、忍耐強いしっかり者。世渡りも上手で包容力もある。積極的で、意外にミーハーな願望がある。

歴史(人物)

歴史上有名人 鎌倉

源頼朝:名古屋市熱田区
平安時代末期から鎌倉時代初期の武将、政治家であり、鎌倉幕府の初代征夷大将軍である。
河内源氏の源義朝の三男として生まれ、父・義朝が平治の乱で敗れると伊豆国へ流される。
伊豆で以仁王の令旨を受けると平氏打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として関東を制圧する。弟たちを代官として源義仲や平氏を倒し、戦功のあった末弟・源義経を追放の後、諸国に守護と地頭を配して力を強め、奥州合戦で奥州藤原氏を滅ぼして全国を平定した。
建久3年(1192年)に征夷大将軍に任じられた。
これにより朝廷から半ば独立した政権が開かれた。この政権は後に鎌倉幕府と呼ばれ、幕府などによる武家政権は王政復古の大号令・江戸開城まで足掛け約680年間に渡り、存続することとなる。

【平治の乱】
保元の乱の後、二条天皇親政派と後白河院政派の争い、急速に勢力を伸ばした信西への反感などがあり、都の政局は流動的であった。頼朝の父・義朝は平治元年(1159年)12月9日、後白河上皇の近臣である藤原信頼が首謀者となった平治の乱に加わり三条殿焼き討ちを決行した。襲撃後の除目で、13歳の頼朝は右兵衛権佐へ任ぜられるが、二条天皇側近らの画策で天皇は六波羅の平清盛邸へと移り、27日、官軍となった平氏が賊軍となった信頼らのいる大内裏へと攻め寄せた。この戦いで義朝軍は敗れ、一門は官職を剥奪され京を落ちた。
義朝に従う頼朝ら8騎は、本拠の東国を目指すが頼朝は途中で一行とはぐれ、平頼盛の家人・平宗清に捕らえられる。父・義朝は尾張国にて長田忠致に謀殺され、長兄・義平は都に潜伏していたところ捕らえられて処刑、次兄・朝長は逃亡中の負傷が元で命を落とした。永暦元年(1160年)2月9日、京・六波羅へ送られた頼朝の処罰は死刑が当然視されていたが、清盛の継母・池禅尼の嘆願などにより死一等を減ぜられて伊豆に流刑となった。頼朝は3月11日に伊豆国の蛭ヶ小島(ひるがこじま)へと流された。なお同日、平治の乱に関った大炊御門経宗、葉室惟方や頼朝の同母弟・源希義も流刑に処されている。

江戸

織田信長:尾張
尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男(嫡男)。尾張守護代の織田氏の中でも庶流・弾正忠家の生まれであったが、父の代から主家の清洲織田氏(織田大和守家)や尾張守護の斯波氏をも凌ぐ力をつけ、家督争いの混乱を収めて尾張を統一し、桶狭間の戦いで今川義元を討ち取ると、婚姻による同盟策などを駆使しながら領土を拡大した。足利義昭を奉じて上洛すると、将軍、次いでは天皇の権威を利用して天下に号令。後には義昭を追放して室町幕府を事実上滅ぼし、畿内を中心に強力な中央集権的政権(織田政権)を確立して天下人となった。これによって他の有力な大名を抑えて戦国乱世の終焉に道筋をつけた。
しかし天正10年6月2日(1582年6月21日)、重臣・明智光秀に謀反を起こされ、本能寺で自害した。すでに家督を譲っていた嫡男・織田信忠も同日に二条城で没し、信長の政権は、豊臣秀吉による豊臣政権、徳川家康が開いた江戸幕府へと引き継がれていくことになる。

【桶狭間の戦い】愛知県豊明市
相手:駿河の大名「今川義元」
兵力差が5倍とも10倍とも言われる、日本史でも有数の大逆転劇。2万5千といわれる大軍を率いて尾張に侵攻した駿河の戦国大名である今川義元・今川氏真親子に対し、尾張の大名・織田信長が少数の軍勢で本陣を強襲し、今川義元を討ち取って今川軍を退却させた、日本の歴史上有名な戦い。戦後、東海道に君臨した今川氏が没落する一方で、勝利した織田氏は美濃・伊勢侵攻から畿内の制圧へと急成長し、戦国時代の重要な転機となった。
信長は、義元を討ち取った家臣より、義元の居場所を調べた家臣を褒め、「武勇に優れていなくても、織田家では出世できる」事を家臣に分からせたといわれる。後に出世する秀吉や光秀は明らかに知略で勝負する家臣だった。
桶狭間の戦い後、今川氏から完全に離反した松平元康(徳川家康)「織徳同盟」を結び、以後、元康は公然と今川氏と敵対して三河の統一を進めていった。また、信長は松平氏との講和によって東から攻められる危険を回避できるようになり、以後美濃の斎藤氏との戦いに専念できるようになり、急速に勢力を拡大させていった。

◇好奇心が強く、まだ鉄砲が一般的でなかった頃から火縄銃の性能を重視し、長じて戦国最強の鉄砲部隊を編成するに至った。長篠の戦いでは3,000丁もの鉄砲を用いて武田勝頼の軍に壊滅的な被害を与えたとされている。
◇南蛮品を好み、正親町天皇を招き開催した「京都御馬揃え」にビロードのマント、西洋帽子を着用し参加した。
◇信長は美濃攻略後に井ノ口を岐阜と改名した頃から「天下布武」という印章を用いている。「武力を以て天下を取る」「武家の政権を以て天下を支配する」という意味に解釈されることが多い。

豊臣秀吉(羽柴 秀吉):尾張
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、大名、天下人、関白、太閤。三英傑の一人。
尾張国愛知郡中村郷の下層民の家に生まれたとされる。当初、今川家に仕えるも出奔した後に織田信長に仕官し、次第に頭角を現した。信長が本能寺の変で明智光秀に討たれると「中国大返し」により京へと戻り山崎の戦いで光秀を破った後、信忠の遺児・三法師を擁して織田家内部の勢力争いに勝ち、信長の後継の地位を得た。大坂城を築き、関白・太政大臣に就任し、豊臣姓を賜り、日本全国の大名を臣従させて天下統一を果たした。天下統一後は太閤検地や刀狩令、惣無事令、石高制などの全国に及ぶ多くの政策で国内の統合を進めた。理由は諸説あるが明の征服を決意して朝鮮に出兵した文禄・慶長の役の最中に、嗣子の秀頼を徳川家康ら五大老に託して病没した。秀吉の死後に台頭した徳川家康が関ヶ原の戦いで勝利して天下を掌握し、豊臣家は凋落。慶長19年(1614年)から同20年(1615年)の大坂の陣で豊臣家は江戸幕府に滅ぼされた。
墨俣の一夜城、金ヶ崎の退き口、高松城の水攻め、中国大返し、石垣山一夜城など機知に富んだ功名立志伝が伝わり、百姓から天下人へと至った生涯は「戦国一の出世頭」と評される。

天文23年(1554年)頃から織田信長に小者として仕える。清洲城の普請奉行、台所奉行などを率先して引き受けて大きな成果を挙げるなどし、次第に織田家中で頭角を現していった。また、有名な逸話として信長の草履取りをした際に冷えた草履を懐に入れて温めておいたことで信長は秀吉に大いに嘉した永禄4年(1561年)、浅野長勝の養女で杉原定利の娘・ねねと結婚する。当時とすれば珍しい、親の許しを経ない恋愛結婚だった。

◇「六本指」:秀吉は指が1本多い多指症だったという記録がある。右手の親指が1本多く、信長からは「六ツめ」とも呼ばれていた。

徳川家康(松平 元康):三河
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。江戸幕府の初代征夷大将軍。三英傑の一人で海道一の弓取りの異名を持つ。
徳川家康は、織田信長と同盟し、豊臣秀吉と対立・臣従した後、日本全国を支配する体制を確立して、15世紀後半に起こった応仁の乱から100年以上続いた戦乱の時代(戦国時代、安土桃山時代)に終止符を打った。家康がその礎を築いた江戸幕府を中心とする統治体制は、後に幕藩体制と称され、17世紀初めから19世紀後半に至るまで264年間続く江戸時代を画した。
家康は、戦国時代中期(室町時代末期)の天文11年(1542年)に、三河国岡崎(現・愛知県岡崎市)で出生した。父は岡崎城主・松平広忠、母は広忠の正室・於大の方。幼名は竹千代。
天正12年(1584年)、信長没後に勢力を伸張した豊臣秀吉との対立が深まり、小牧・長久手の戦いで対峙した。この戦いで家康は軍略的には勝利したものの、政略的には後れをとり、しかし屈服せずに講和。豊臣秀吉が実母を人質にさし出した後に、上洛して豊臣氏に臣下の礼をとった。
天正18年(1590年)、小田原征伐において関東を支配していた後北条氏が敗北し退けられた後、秀吉から関東への領地替えを命じられ(関東移封)、長年の根拠地を失ったものの、豊臣政権の下で最大の領地を得ることとなり、五大老の筆頭となった。
秀吉没後の慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いにおいて対抗勢力に勝利し、その覇権を決定づけた。慶長8年(1603年)には、後陽成天皇から征夷大将軍に任命され、武蔵国江戸(現・東京都千代田区)の江戸城に幕府(江戸幕府、徳川幕府)を開き、その支配の正当性を確立させた。慶長10年(1605年)に三男・徳川秀忠へ征夷大将軍職を譲り、駿河国駿府(現・静岡県静岡市葵区)の駿府城に隠居した後も、「大御所」として政治・軍事に大きな影響力を保持した。慶長19年(1614年)から慶長20年(1615年)にかけて行った大坂の陣において豊臣氏を滅ぼし、幕府の統治体制を盤石なものとした(元和偃武)。
元和2年(1616年)、駿府城にて死去する。享年75。その亡骸は駿府の久能山に葬られ(久能山東照宮)、1年後に下野国日光(現・栃木県日光市)に改葬された(日光東照宮)。家康は東照大権現(とうしょうだいごんげん)として薬師如来を本地とする神格化され、「神君」、「東照宮」、「権現様」(ごんげんさま)とも呼ばれて、信仰の対象となった。また、江戸幕府の祖として「神祖」、「烈祖」などとも称された。

歴史

歴史 愛知県は、令制国では尾張国と三河国に当たる。愛知県は、支配者氏族と関係している地域である。源頼朝が生まれた地域(名古屋市熱田区)との説もある。室町幕府を開いた足利氏は、初代足利義康正室の出身である藤原南家が開発した岡崎を拠点とし、13世紀から鎌倉幕府の三河守護を代々務めており、西三河地方に細川氏・仁木氏・一色氏・吉良氏・今川氏など一族が多かった。戦国時代には、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康など三英傑を始め多くの武将を輩出し中央政局に大きな影響を及ぼした。江戸大名はこの三人の配下から出た者が多く、徳川一族や譜代大名(井伊氏などごく一部の他国出身者もいる)などの三河出身者のほか、前田家、浅野家、池田家、山内家、蜂須賀家などの尾張出身者が各地で大藩を幕末まで支配した。大名家だけでなく家臣団や一部庶民も封地へ移り住んでおり、近世日本の大部分は三河武士や尾張出身武士団の支配を受けた形となる。特に、江戸の開府に際しては多くの三河人が移住し、江戸っ子基質の形成にも大きく影響した。また、江戸時代に華咲いた日本的建築や日本的文化は愛知出身者による貢献とも言える。
江戸時代以降、尾張は徳川御三家の一つ尾張徳川家の領域となり、三河は譜代大名・旗本領・寺社領・天領と分割支配された。明治以降、三河国内の旗本・寺社・幕府領を総括する三河裁判所が設置され、のち三河県とされ、さらに伊那県に編入され、伊那県足助庁が所轄した。その後、廃藩置県に伴い、三河に10県、尾張に2県が設置され、三河10県および伊那県足助庁および尾張国知多郡を統合して、額田県を設置。明治4年(1871年)11月22日の第1次府県統合で名古屋県(旧尾張藩)と犬山県(尾張徳川家御附家老の成瀬氏が維新直前に独立し立藩)が統合して設置された名古屋県は、明治5年(1872年)4月2日に改称して愛知県になった。そして、同年11月27日、第2次府県統合により額田県を編入(太政官布告372号)して、ほぼ現在の県域が確定する。名古屋県令であった井関盛艮が権令(県令)となった。県の下には大区小区制により、15大区15小区がおかれ、翌年3月には、第一大区は区長1人、権区長2人、小区に戸長1人、副戸長2人、各町に副戸長2人ずつを置くことになった。これらは藩の統治とは違う中央集権国家の末端統治機構であった。明治4年11月(1872年1月)の県治条例で、県令は管内の立法・行政・司法を専決する権限が与えられ、「天皇の牧民官」と称された。

有名学校(学力/スポーツ)

有名高校 スポーツ

【野球】愛工大名電高等学校
<有名選手:イチロー>
1年時からいきなりレギュラーを獲得⇒2年時に夏の甲子園(左翼手として出場)、3年時に春の甲子園(投手として出場)と2度甲子園に出場したものの、いずれも初戦敗退
<有名選手:工藤公康(福岡ソフトバンクホークス監督)>
1981年の第63回全国高等学校野球選手権大会に出場。2回戦では長崎西高校戦で史上18人目、19度目(金属バット採用後初めて)のノーヒットノーランを記録をつくる。

【野球】中京大中京
2009年 第91回大会 中京大中京高校が新潟代表の日本文理高校をおさえ優勝。
<有名選手:堂林翔太(広島東洋カープ)>
甲子園ではエース投手として出場。広島への入団を機に内野手へ転向。2014年からは内野手登録のままで外野手として公式戦に出場することもある。

【サッカー】中京大中京高等学校
<有名選手:宮市亮>
卒業後アーセナルへ
※愛知は東海地区で唯一優勝がない。首都圏開催以降決勝に進んだことがないのも東海地区では愛知県だけ。

【男子バレー】星城高等学校
<有名選手:石川祐希>※中央大学在学中
2012.2013年の二年連続三冠(IH、国体、春高)、バレー版「キセキの世代」と呼ばれることも

有名大学

◇南山大学 ※偏差値高い

◇中京大学:スポーツ選手多数在籍していた
<有名選手:フィギュアスケート>
安藤美姫、浅田舞、浅田真央、小塚崇彦、村上佳菜子、
室伏広治 – ハンマー投げ
松田丈志 – 水泳・アテネ五輪代表、北京五輪代表 男子200mバタフライ銅メダリスト

有名人

出身有名人 タレント ◇佐藤かよ
◇金田哲(かなだ さとし/はんにゃ)
◇キンタロー:岡崎市
◇青木さやか:瀬戸市
◇大久保佳代子:田原市
◇光浦靖子:田原市
◇森本レオ:名古屋市
◇小沢一敬、井戸田潤(スピードワゴン)
歌手 ◇スキマスイッチー大橋卓弥(東海市)、常田真太郎(名古屋市)
◇加藤ミリヤ:豊田市
◇舟木一夫(1960年代を代表するトップアイドル):一宮市
◇森下千里:名古屋市
俳優 ◇玉木宏:名古屋市
◇加藤晴彦:名古屋市
◇松平健:豊橋市
◇舘ひろし:名古屋市
◇平泉成:岡崎市
◇山本裕典:豊川市
◇武井咲:名古屋
◇香里奈:名古屋市
◇加藤あい:清須市
◇佐藤仁美:名古屋市
◇瀬戸朝香:瀬戸市
◇川島なお美:守山市
◇渡辺美奈代:北名古屋市
◇松下由樹:名古屋市
文化人 ◇林修:愛知県名古屋市
◇堤幸彦
◇利根川進(ノーベル生理学・医学賞受賞者):名古屋市
◇小柴昌俊(ノーベル物理学賞受賞者、物理学者):豊橋市
政治家 加藤高明(第24代) 1924年6月11日 – 1926年1月28日
海部俊樹(第76-77代 内閣総理大臣) 1989年8月10日 – 1991年11月5日
スポーツ選手 サッカー ◇宮市亮(ブンデスリーガ2部・FCザンクトパウリ):愛知県岡崎市
◇秋田豊(元日本代表):愛知県名古屋市
◇中西哲生(元日本代表)
野球 イチロー(メジャーリーガー):愛知県西春日井郡豊山町
◇槙原寛己:愛知県半田市
◇工藤公康(福岡ソフトバンクホークス監督)
◇堂林翔太(広島東洋カープ):豊田市
◇和田毅(シカゴ・カブス):江南市
有名選手 その他 【柔道】
吉田秀彦(よしだ ひでひこ/柔道/総合格闘家):愛知県大府市
【フィギュア】
◇村上佳菜子:名古屋市
浅田真央、浅田舞:名古屋市
◇安藤美紀:名古屋市
◇鈴木明子:豊橋市
◇伊藤みどり:名古屋市
◇小塚崇彦(スケートアメリカ、世界ジュニア 優勝):名古屋市

プロスポーツチーム

スポーツ サッカー 名古屋グランパス(J1):、豊田市、みよし市を中心とする愛知県全県をホームタウンとする
野球 中日ドラゴンズ – ナゴヤドームを本拠地とする球団
バレー 【男子】
ジェイテクトSTINGS
豊田合成トレフェルサ
【女子】
トヨタ車体クインシーズ
デンソー・エアリービーズ

その他

その他 その他

【モーニング文化】
喫茶店王国といわれる名古屋。コーヒー代だけでトーストやゆで卵がついてくるモーニングサービス。
コメダコーヒーは名古屋人の好きな喫茶店スタイル。
ディニッシュパンにソフトクリームをのせた「シロノワール」「小倉トースト」が有名。

中京圏郊外では、週末や休日などブランチ代わりに家族で喫茶店に出かけるといった風景を見かけることも多い。

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