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石川県の特色まとめ

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地理

県庁所在地 金沢市
地域区分 能登地方 珠洲市、輪島市、志賀市、七尾市、羽咋市
加賀地方 かほく市、金沢市、小松市、白山市、白山吉野氏、加賀市、栢野
人口 1,155,450人(全国34位)
特長
  1. 県域は令制国の加賀国と能登国に当たる
  2. 加賀百万石の国
  3. 能登は和倉温泉があり観光客を集める
  4. 文化財・景色の宝庫。戦災や大きな天災に遭っていない金沢は昔さながらの武家屋敷や、お寺、神社等々が残る芸術の街
  5. 伝統工芸である輪島塗や、金沢箔、加賀友禅、等など工芸品も多数
  6. 金沢箔の生産が盛んであり、金箔の国内シェアの98%以上を占めている。(銀箔の国内シェアにおいては100%)
  7. 日本三名園の一つ「兼六園」
  8. 金沢 – 2009年にはユネスコの創造都市に認定(国内では神戸市、名古屋市に続く3番目)

観光

観光地 兼六園金沢市
岡山市の後楽園と水戸市の偕楽園と並んで、日本三名園の一つ。
17世紀中期、加賀藩により金沢城の外郭に造営された藩庭を起源とする江戸時代を代表する池泉回遊式庭園。
延宝4年(1676年)に5代藩主前田綱紀が「蓮池亭(れんちてい)」を造り、その庭を「蓮池庭(れんちてい)」と呼んだのが始まりとされている。これは、蓮池門(れんちもん)を入った辺りであり、現在7つある門の中で正門とされている。
何代もの加賀藩主により、長い年月をかけて形づくられてきた兼六園ですが、作庭における基本的な思想は一貫していたようです。その思想とは神仙思想。大きな池を穿って大海に見立て、そのなかに不老不死の神仙人が住むと言われる島を配します。藩主たちは、長寿と永劫の繁栄を庭園に投影したのです。最初の作庭者、5代藩主・綱紀(つなのり)は、瓢池に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・瀛州(えいしゅう)の三神仙島を築きました。また、13代藩主・斉泰(なりやす)も、霞ヶ池に蓬莱島を浮かばせています。
富山地区

【金沢市】
武家屋敷跡 野村家

武家屋敷跡野村家は、野村伝兵衛信貞が前田利家の金沢城への入城に従って以来の家柄で、千石から千二百石を知行されて、代々御馬廻組組頭や奉行職を歴任した野村家が拝領していた屋敷跡です。
武家屋敷跡野村家は、濡れ縁のすぐ下にまで曲水が流れ込み、樹齢400年の山桃や椎の古木や大雪見灯籠が配されて、屋敷と庭園が見事に一体化しており、ミシュランの二つ星や米国の庭園専門誌が行った日本庭園ランキングで第3位となる。

長町武家屋敷通り(金沢市)
加賀百万石の城下町金沢の代表的な景観として知られているのが長町武家屋敷跡の町並で、加賀前田家の中級武士が居住していた地域となっていて、今でも昔の風情を守りながら多くの人達が暮らしています。
金沢城を築城するための資材を、旧宮腰(金石港)から運び込むために造られたと言われている大野庄用水は、その後は金沢の街中を流れる灌漑・防御・防火・融雪などを目的とした多目的用水となって、今でも長町武家屋敷では屋敷内庭園の曲水のために引き入れられ、庭園を巡ったあとは用水に戻されています。

高岡地区

金沢城:金沢市
金沢城は、金沢大学が移転した後の平成13年(2001年)に金沢城公園として公開され、江戸時代から残されている石川門や三十間長屋、鶴丸倉庫に加えて、河北門、玉泉院丸庭園の再現など江戸時代後期の姿への復元が行われている。金沢城は、加賀前田家初代当主だった前田利家が、キリシタン大名として知られていた高山右近に築城の縄張りを行わせた城で、城郭の場所に応じて石垣の材質や組み方を変えていて、藩主の住む御殿や庭園まわりには「数寄の石垣」が築かれるなど、石垣探訪も金沢城の楽しみ方の一つになっている。

五十間長屋・菱櫓・橋爪門続櫓
金沢城の新しいシンボルとして平成13年(2011年)に復元された五十間長屋・菱櫓・橋爪門続櫓は、三層三階の菱櫓と橋爪門続櫓とを二層二階の五十間長屋がつないでいて、復元された3つの建物を合わせると、明治以降に建てられた全国最大規模の木造城郭建築物となります。

玉泉院丸庭園
加賀前田家3代前田利常が作庭し、辰巳用水を水源とする池泉回遊式の江戸期を通して歴代の当主が手を加えながら愛し続けた庭園で、加賀前田家当主の庭ならではの色紙短冊積石垣など、数寄の石垣が庭のあちらこちらに見られます。
玉泉院丸庭園は廃藩後に廃絶されその姿は失われましたが、平成20年(2008年)から5年間をかけて発掘調査を行い庭園の遺構を保護しながら平成27年(2015年)3月、新たに歴代の加賀前田家当主が愛した庭園が再現されました。

【金沢三茶屋街】
ひがし茶屋街(金沢市)

卯辰山麓の浅野川近くには、文政3年(1820年)に前田斉広が加賀前田家12代当主だった時に、茶屋町割が出来た金沢の三茶屋街の一つになる「ひがし茶屋街」。国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、昔ながらのお茶屋さんがあるだけでなく、町家を生かしたカフェや金沢の工芸品などを扱うお店があちこちに存在する。

にし茶屋街野町・寺町
にし茶屋街は、ひがし茶屋街、主計町茶屋街と共に金沢三茶屋街のひとつとなりますが、東の浅野川沿いにある二つの茶屋街とは金沢市内中心部をはさんで反対側の、犀川向こうの野町にある茶屋街です。
にし茶屋街は、金沢出身で大正時代の文壇で活躍した島田清次郎が幼い頃に過ごした町で、清次郎が過ごしたお茶屋の吉米楼跡には、茶屋家屋の外観を再現した「金沢市西茶屋資料館」があり、清次郎に関する展示や常駐している観光ボランティアガイド「まいどさん」が周辺観光案内を行ってくれます。

能登島ガラス美術館
国内初の公立ガラス美術館で、海を見下ろす高台に、宇宙基地のような姿でそびえたつ。中国清王朝の皇帝に愛された乾隆ガラスやピカソ・シャガールらの原案による作品など世界から集めたガラス彫刻が展示されている。
観光地 新川地区 能登半島

  1. 輪島塗(伝統工芸)、和倉温泉(観光地)
    輪島市などでは、千枚田が見られ、中でも白米千枚田は有名。海岸線を主体に広い範囲が能登半島国定公園に指定されている。
    古代からナマコの特産地である。
  2. 千里浜
    車で砂浜を走れる日本でここだけのドライブウェイ(全長約8km)

◇松井秀喜ベースボールミュージアム:能美市
松井秀喜選手に関する資料や、記念品が多数展示されている「松井秀喜野球の館」。館内には、プロ入り第1号ホームランのバットとボールや、本塁打王・打点王など多数の盾、トロフィーのほか、少年野球、中学野球、高校野球時代の写真などが、所狭しと並んでいる。

◇のとじま水族館:七尾市

◇金沢市立安江金箔工芸館
金沢の金箔製造の歴史を知ると共に、金沢箔を使った絢爛豪華な美術工芸品の数々を鑑賞することが出来る博物館です。

◇石川県立伝統産業工芸館(金沢市)
加賀友禅、九谷焼、輪島塗、金沢箔、金沢水引細工など、加賀百万石が育てた伝統工芸36種類を一堂に集めた博物館が、石川県立伝統産業工芸館です。

特産品

食品 食品
  1. 加賀野 – 菜良品質な野菜15品目をブランドとして認定
    (さつまいも、加賀太きゅうり、打木赤皮甘栗かぼちゃ、金時草、加賀つるまめ、金沢一本太ねぎ、源助だいこん
    ヘタ紫なす、二塚からしな、加賀れんこん、たけのこ、せり、赤ずいき、くわい、金沢春菊)
  2. サザエ – 鳳珠郡穴水町では、サザエまつりがあります
  3. 加能ガニ
  4. 寒ぶり
料理
  1. 加賀料理
  2. かぶら寿し – 塩漬けしたカブで、塩漬けしたブリの薄切りを挟み込み、
    人参や昆布などとともに、米麹(糀)で漬け込んで醗酵させたもの。
  3. ころ柿
  4. フグの糠漬け
  5. 干しくちこ – なまこの卵巣を塩漬けにし、それを乾燥させた珍味
  6. 和菓子 – 京都・松江と並んで三大菓子処
  7. 長生殿 – 300年の歴史がある銘菓
工芸品 工芸品
  1. 九谷焼 – 国指定伝統的工芸品。金沢市、小松市、加賀市、能美市で生産される色絵の磁器。
  2. 輪島塗 – 国指定伝統的工芸品。輪島市で生産される漆器、全国的にも有名な漆器
  3. 山中漆器 – 国指定伝統的工芸品。加賀市の山中温泉地区(旧:江沼郡山中町)で生産される漆器。
  4. 金沢漆器 – 国指定伝統的工芸品
  5. 加賀友禅 – 国指定伝統的工芸品
    江戸時代中期に加賀藩にて栄えた加賀御国染を基に京友禅の創始者といわれる絵師宮崎友禅斎が、晩年金沢の加賀藩御用紺屋棟取であった太郎田屋に身を寄せ、加賀御国染に大胆な意匠を持ち込み、確立した染色技法。加賀五彩(藍、臙脂、草、黄土、古代紫)と呼ばれる艶麗な色彩で知られ、特に紅色、紫、緑系統の色を多用する
  6. 牛首紬 – 国指定伝統的工芸品
  7. 加賀繍/美川刺繍 – 国指定伝統的工芸品
  8. 金沢箔 – 国指定伝統的工芸品。全国の金箔生産量を100%近くしめる金沢の伝統産業です。
  9. 七尾仏壇 – 国指定伝統的工芸品。
  10. 金沢仏壇 – 国指定伝統的工芸品。
◇美術・工芸に関する文化勲章受章者、重要無形文化財保持者(人間国宝)はこれまでに17人を数える。
◇沢箔の生産が盛んであり、金箔の国内シェアの98%以上を占めている。(銀箔の国内シェアにおいては100%)

性格

県民性 全体
  1. 県民性は穏やかだが、「加賀の物乞い」と呼ばれたように、いざとなったら、どうしていいのかわからない、優柔不断な性格が特徴。
  2. 消極的でおっとりとした人が多い。
  3. 進取の気持ちもなく、行動力・決断力に欠けるのが特徴。
  4. 慎重でおとなしいが、忍耐力だけはあるので、コツコツ真面目に働く。
男性
  1. 人当たりが良く、やさしく包容力があり、教養もある。
  2. ただしプライドが高く、なかなか本心を明かさないので、何を考えているのか分からないところも。
女性
  1. 華やかさに欠ける面はあるが、センスや物腰は洗練されている。
  2. 面倒ごとに巻き込まれたくない性格で、はっきりものを言わないが、なかなかしたたか。

歴史(人物)

歴史上有名人 江戸末期 前田利家(生まれは現・名古屋市中川区荒子)
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。加賀藩主前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。
尾張国海東郡荒子村(現・名古屋市中川区荒子)の荒子城主前田利春の四男。はじめ小姓として織田信長に仕え、青年時代は赤母衣衆として従軍し、槍の名手であったため「槍の又左」の異名を持った。その後柴田勝家の与力として、北陸方面部隊の一員として各地を転戦し、能登一国23万石を拝領し大名となる。
信長が本能寺の変により明智光秀に討たれると、はじめ柴田勝家に付くが、後に羽柴秀吉に臣従した。以後、豊臣家の宿老として秀吉の天下平定事業に従軍し、加賀国・越中国を与えられ加賀藩百万石の礎を築く。また、豊臣政権五大老に列せられ、豊臣秀頼の傅役(後見人)を任じられる。秀吉の死後、対立が顕在化する武断派と文治派の争いに仲裁役として働き、覇権奪取のため横行する徳川家康の牽制に尽力するが、秀吉の死の8ヶ月後に病死した。
長谷川 等伯:安土桃山時代から江戸時代初期
天文8年(1539年) – 慶長15年2月24日(1610年3月19日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。
狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人である。
天文8年(1539年)、能登国七尾(現・石川県七尾市)で能登国の戦国大名畠山氏に仕える下級家臣、奥村文之丞宗道の子として生まれる。
現在確認される作品は80点余り。豊臣秀吉が幼くして亡くなった愛児・鶴松の追善のために建立した祥雲寺(廃寺)の金碧障壁画(その一部が現在、京都・智積院に伝存)と、松林図屏風が代表作。
金碧障壁画制作のかたわら、中国・宋元の風を承けた水墨の作品もよくした。特に牧谿の「観音猿鶴図」(国宝、大徳寺蔵)影響が強く、その筆法を会得するまで何度も繰り返し描いている。
等伯の残した作品の多くは重要文化財に、一部は国宝に指定されている。

歴史

歴史 古代 飛鳥時代には越国あるいは三越分割後の越前国に含まれていた。奈良時代に入り、718年に羽咋・能登・鳳至・珠洲の4郡を割いて能登国が立てられた。能登国は741年越中国に併合され、この頃大伴家持が越中国の国司として赴任している。757年には越中国から分離し、再び能登国が立てられた。平安時代初期の823年になって越前国から加賀・江沼2郡を割いて加賀国が立てられた。これは令制上最後の立国である。
七尾市にある能登国分寺跡は、能登地方を支配した能登臣(のとのおみ)一族が白鳳時代に建てた寺院を843年に国分寺としたものである。法起寺式伽藍配置を持ち、約400年にわたり能登の仏教の場として栄えたとされる。奈良時代から平安時代には、能登半島には渤海の使節がたびたび到着し交易が行われていた。志賀町の福浦港では渤海使が船の修理や宿泊をしたと伝えられており、平安時代初めに渤海使接待のため能登国に建てられた能登客院はこの地にあったと考えられている。
野々市市の末松廃寺跡は加賀地方北部に本拠を置く有力氏族道君(みちのきみ)が7世紀後半に創ったとされる寺院である。法起寺式伽藍配置をしており、屋根瓦の一部は能美市辰口地区(旧・辰口町)で焼かれたものであることが分かっている。奈良・平安時代、北陸地方には東大寺、西大寺などの荘園が多くあった。白山市から金沢市に跨る東大寺領横江荘もそうした荘園の一つである。平安時代に修験道が活発になると白山を山岳信仰の対象とする白山信仰が広まり、山頂への登山道(禅定道)の起点の一つとなった白山比咩神社は信仰の拠点となった。
平安時代末期の治承・寿永の乱(源平合戦)では、源義仲(木曾義仲)が倶利伽羅峠の戦い(津幡町)で数で圧倒する平家の義仲追討軍を破り、さらに篠原の戦い(加賀市)で逃げる平家を追撃し、京都に進んだとされる。
中世

鎌倉時代、新たに設けられた守護は加賀国、能登国とも比企氏、北条氏、室町時代に入ると加賀国は斯波氏、冨樫氏、能登国は吉見氏、畠山氏であった。

加賀一向一揆が抵抗の拠点として築城した鳥越城(白山市)
加賀国では、応仁の乱のころ浄土真宗が広まり、やがて農民らによる加賀一向一揆が守護の富樫政親を破り、武士の支配を脱却した統治が約100年にわたって行われた。これが、加賀地方が「百姓の持ちたる国」と呼ばれた所以である。本願寺は金沢の台地上に尾山御坊(金沢御坊)を作り、ここを拠点にして支配した。本願寺と敵対する織田信長は、柴田勝家らを派遣してここを平定し、能登国を前田利家に、加賀国を佐久間盛政に与えた。織田信長の死後、豊臣秀吉が実権を握ると、前田利家は加賀国も領して、尾山御坊跡の尾山城(金沢城)に入り城下町の建設を始めた。
能登国では、正長年間(1428 – 1429年)頃に初代当主畠山満慶が七尾城を築城し、畠山氏の領国支配の拠点となる。7代目当主畠山義総の時代に最盛期を迎えるが、義総の死後は畠山七人衆が実権を握り、大名権力を傀儡化する。1560年(永禄3年)、9代当主畠山義綱が実権を取り戻すが、1566年(永禄9年)に永禄九年の政変で能登国から追放される。1577年(天正5年)、上杉謙信が能登国へ侵攻し七尾城の戦いが起こり、畠山氏は滅亡する。

近世 前田利家の長男前田利長は関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍につき、戦後越中国を与えられた。利長は江戸幕府の幕藩体制のもと加賀国、能登国、越中国の3国を治める加賀藩の藩主となった。加賀藩前田家は外様大名でありながら大名の中で最大石高である約120万石を領した。
第三代藩主前田利常は、江戸幕府二代将軍徳川秀忠の娘・珠姫を娶った徳川の大名として大坂の陣を戦い、戦後の大坂城改修の普請では通常の大名の負担分より多い負担を敢えてするなど、外様大名として取り潰しを避けることに意を用いたとされる。利常は1639年に家督を長男前田光高に譲り、次男の前田利次に富山藩を、三男の前田利治に大聖寺藩を分封した。しかし、1645年に光高が急死し、第五代代藩主となった光高の長男前田綱紀がまだ幼かったため、利常が後見人として藩政を補佐した。
利常が綱紀を後見した時代には、貧農の救済、年貢納入の徹底などを目的とした改作法と呼ばれる農政改革が実施された。これは、農民の借金を帳消しにした上で、農具、種籾の購入資金や当座の食料を貸し付けて農業生産性を高めるとともに、各地の有力豪農などから選任した十村(とむら)に農民の監督や徴税を委ねるものである。改作法は所期した成果を挙げ、藩政の安定に寄与した。この頃から加賀藩は蔵米を日本海から関門海峡、瀬戸内海を通り大坂まで運ぶ船輸送を始め、後の西廻海運の基となった。なお、1659年に白山が噴火(最も新しい噴火)。1668年と1671年には手取川の洪水で多数の死者が出ている。
江戸時代前期の古九谷の銚子
加賀藩は、産業の振興に力を入れ、学問や文芸を奨励したことから、城下町の金沢を中心として今に続く伝統文化が興隆した。金沢城内に設けた御細工所は初め武器・武具の修理等を行う組織であったが、利常は茶の湯道具や掛幅など美術工芸品の製作・修理をさせ、綱紀は塗物・蒔絵細工、象嵌細工など20を越える職種を扱わせた。綱紀は学問の奨励のため木下順庵、室鳩巣、稲生若水といった学者の招聘につとめた。綱紀が収集した古今東西の図書は尊経閣文庫として受け継がれている。綱紀は能楽の宝生流を取り入れ加賀宝生と呼ばれ栄えた。兼六園は綱紀による蓮池庭と御殿の建設が始まりとされ、現在の姿が完成するのは江戸時代後期である。
輪島塗は江戸時代に輪島で下地塗りの漆に混ぜる珪藻土が見つかったことで堅牢な漆器となり、日用食器として盛んに生産されるようになった。北前船が寄港する輪島港の海運の利を活かして全国に販路を広げた。また江戸時代後期には沈金や蒔絵の技法が加わり美術工芸品としても発展した。
大聖寺藩では江戸時代初めに殖産興業の一環として鉱山開発に取り組み九谷村(現・加賀市)で磁鉱が発見されたことから窯を築き色絵磁器(九谷焼)の製造が始まった。一旦廃窯されるが九谷焼は加賀藩により再興され、明治期には海外への輸出品となった。
江戸時代後期、加賀藩は1792年に藩校の文学校明倫堂と武学校経武館を文武ごとに別けて設立した。明倫堂では儒学のほか易学、医学、本草学、暦学、算学などを、経武館では馬術、剣術などを教えた。また幕末には洋式兵学校の壮猶館や航海、測量の実習のための軍艦所を作り、ヨーロッパから洋式艦船を購入するなど海防に力を注いだ。

有名学校(学力/スポーツ)

有名高校 学力

※偏差値70以上の進学校

  1. 金沢泉丘高校(県立)
  2. 金沢大学附属高校(国立)
  3. 小松高校(県立)
  4. 星稜高校(私立)
スポーツ

【野球】星稜高校
<有名選手:松井秀樹>
1年生時から3年連続夏の甲子園に出場。
1992年夏の甲子園8月16日に行われた2回戦、明徳義塾が星稜の4番打者・松井秀喜を5打席連続して敬遠する作戦を敢行し、この試合で松井が一度もバットを振ることないまま星稜が敗退した。
ドラフト前には憧れの球団である阪神に加え、巨人、中日、ダイエーを希望チームとし、その他の球団から指名された場合は駒澤大学へ進学することをほのめかした。11月21日のドラフト会議では前述の4球団から1位指名を受け、抽選の結果交渉権を獲得した巨人に入団。契約金は1億2000万円。年俸は720万円。背番号は「55」。当時の松井は阪神入りを熱望しており、ラジオで交渉権が巨人に決まったことを知ると、記者会見で複雑な表情を浮かべ、「阪神に行きたい、という希望がありましたから。まだ整理もついていないけどその気持ちも次第に薄れていくと思う」と語った。その後、長嶋から直接電話を受けて感銘を受け、すんなり巨人入りを決めた。
日本プロ野球時代は読売ジャイアンツ、メジャーリーグではニューヨーク・ヤンキースなどで活躍した。2013年には国民栄誉賞を受賞。愛称は「ゴジラ」
<有名選手:高木京介>
同校の先輩である松井秀喜にあやかり「ゴジラ2世」と呼ばれ、1年時の秋からエースで4番となる。3年生夏に甲子園に出場するも1回戦で敗退。
卒業後は國學院大學に進学し、2011年のプロ野球ドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受け入団。

【野球】遊学館
2002年ベスト8。甲子園に出場するもベスト8が最高順位

【サッカー】星稜高校
<有名選手:本田圭佑>
セリエA、ACミラン所属。ポジションはフォワード、ミッドフィールダー。日本代表。
1年時に高円宮杯全日本ユース選手権で準優勝し、3年時には第83回全国高等学校サッカー選手権大会に出場して、石川県勢として初のベスト4に貢献。
高校では、豊田陽平や橋本晃司と共にプレーした。
高校卒業に際して複数のJリーグクラブから勧誘を受け名古屋とプロ契約。VVVフェンロー、CSKAモスクワを経て2013年12月イタリアセリエA・ACミランへの完全移籍。

有名大学 金沢大学

有名人

出身有名人 タレント ◇ダンディ坂野(だんでぃさかの):加賀市
俳優 ◇塩谷瞬:金沢市
◇鹿賀丈史:金沢市
◇田中美里:金沢市
◇吉田日出子:金沢市
文化人 ◇辻口博啓(パティシエ):七尾市
政治家 ◇林銑十郎(第33代内閣総理大臣):金沢市
◇阿部信行(第36代内閣総理大臣):金沢市
森喜朗(第85・86代内閣総理大臣):能美市(旧根上町)
スポーツ選手 サッカー ◇豊田陽平(日本代表):小松市
野球 ◇松井秀喜(ニューヨーク・ヤンキース 読売ジャイアンツ):能美市
◇高木京介(読売ジャイアンツ):能美市
有名選手 その他 ◇松本薫(2012 ロンドンオリンピック金メダリスト/女子柔道):金沢市

プロスポーツチーム

スポーツ サッカー ツエーゲン金沢 (J2)

その他

その他 その他 北陸新幹線開通
2015年3月14日 東京-金沢間で北陸新幹線が開通した。
首都圏からの観光客増加はもちろんのこと、海外から訪れる旅行客も増加している。
加賀屋
和倉温泉の筆頭旅館の地位を占め地上20階、約1,450名の収容人員を持つ全国最大級の旅館
1977年(昭和52年)1月より、旅行新聞新社が主催する「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」(全国の旅館業者の中から選定)の総合部門1位として認定・表彰されている。この年以降「33年連続」で加賀屋が総合「1位」を連続受賞中
伝統工芸品部門において、多数の人間国宝を輩出している
【陶芸】

◇三代 徳田八十吉 (九谷焼、人間国宝):小松市

◇三代 吉田美統 (九谷焼、人間国宝):小松市
【漆芸】
◇松田権六 (蒔絵、人間国宝、日本芸術院会員):金沢市
◇寺井直次 (蒔絵、人間国宝):金沢市
◇大場松魚 (蒔絵、人間国宝):金沢市
◇前史雄 (沈金、人間国宝):輪島市
◇小森邦衞 (髹漆、人間国宝):輪島市
【木工芸】
◇氷見晃堂 (人間国宝):金沢市
◇川北良造 (人間国宝):加賀市(旧江沼郡山中町)
【金工】
◇中川衛 (彫金、人間国宝):金沢市
【金工(刀剣)】
◇隅谷正峯 (日本刀、人間国宝):白山市(旧松任市)
【諸工芸】
◇西出大三 (截金(きりかね)、人間国宝):加賀市

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