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山梨県の特色まとめ

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地理

県庁所在地 甲府市(令制国の甲斐国に相当する)
地域区分 国中地方 国中(中西部)
甲府市、甲斐市、中央市、中巨摩郡:昭和町、北杜市、韮崎市、南アルプス市、笛吹市、山梨市、甲州市
南巨摩郡(早川町、身延町、南部町、富士川町)、西八代郡(市川三郷町)
郡内地方 郡内(東部富士五湖)
大月市、都留市、上野原市と北都留郡(丹波山村、小菅村)、南都留郡(道志村)、富士吉田市
南都留郡(山中湖村、西桂町、富士河口湖町、鳴沢村、忍野村)
人口 840,139人(全国41位)
特長
  1. 南に富士山、西に赤石山脈(南アルプス)、北に八ヶ岳、東に奥秩父山地など、標高2000mを超す山々に囲まれる
  2. 県の面積のほぼ8割を山が占める
  3. 富士山を筆頭とした多くの山々、山中湖・河口湖など多くの湖、温泉の観光地がある
  4. 国中と、郡内エリアとは自然・文化・方言など、大きな違いがある
  5. ぶどう・もも・すももの生産量は日本一
  6. 国中地方を中心に盛んで、観光農園も多い

観光

観光地 郡内地方

富士山山梨県富士吉田市~静岡県御殿場市
標高3776m、日本一の標高を誇る富士山。
登山時期は7~9月中旬で、四つある登山口はいずれも五合目までバスが運行されている。
山頂には浅間大社奥宮と夏期のみ開設の郵便局がある。
2013年世界遺産に登録

冨士浅間神社山梨県富士吉田市
日本武尊が富士の遥拝地として定めたのが起源と伝わる。
境内には桃山様式の本殿、西宮本殿、武田信玄造営の東宮本殿があり、いずれも重要文化財。
平成25(2013)年に世界文化遺産となった。

山中湖南都留郡山中湖村
富士五湖の中では最も標高が高く、湖の面積も最も広い山中湖。古くから避暑地として知られ、ペンションや別荘が立ち並ぶ。バス釣りはもちろん冬のワカサギ釣りでも人気がある湖。
三日月湖・臥牛湖とも呼ばれる富士五湖の一つ。湖面標高は982m日本第三位。
四季を通じ観光客に人気がある。

山中湖花の都公園
花畑の奥にドーンと鎮座する富士山、という絶景に出会える、山中湖 花の都公園。
屋外の花が充実するのは晩春から秋にかけて、清流の里には全天候型温室のフローラルドームや滝などがある。
富士山にいちばん近い湖のほとり、標高1,000mの高原にあり、30万平方メートルの敷地を四季折々の花々で埋め尽くします。

本栖湖南都留郡
富士五湖の西のはずれにあり、周囲13km、面積4.7平方km、最大水深138m。
北岸は富士の好展望地で、ここからの景色は1000円札のデザインに採用されている。
五湖の中では観光開発がそれほど進んでおらず、特に西岸は手付かずの自然が守られている。
五湖の中で最も水深が深く121.6mある。瑠璃色と言われる幻想的な色合いが美しい透明度の高い湖。

河口湖南都留郡富士河口湖町
世界遺産になった富士山をはじめ、さまざまな美術館や花に彩られた公園など、見どころの多い河口湖。観光はもちろん釣りやマリンスポーツ、そして温泉まで、一年を通して楽しめる。
海抜830mと、富士五湖ではいちばん低いところにある湖。面積5.7平方kmで山中湖には及ばないが、
湖岸線が入り組んでおり周囲は20.94kmと最も長い。特に北岸は複雑な湖岸線が続き、正面に富士を望む景勝地も多い。

河口湖オルゴールの森美術館南都留郡富士河口湖町
河口湖畔の美術館。19世紀末から20世紀初頭に製造されたオルゴールや、自動演奏楽器を貴族の館をイメージした建物に展示している。ショップや付帯施設も充実している。

富士急ハイランド富士吉田市
富士山麓に広がるアミューズメントパーク富士急ハイランドには、高飛車、FUJIYAMA、ドドンパ、ええじゃないかをはじめとする絶叫マシンや、最恐戦慄迷宮など人気アトラクションがが勢揃い。
世界に誇る富士急4大コースター「FUJIYAMA」「ドドンパ」「ええじゃないか」「高飛車」が揃う。
国中地方 武田神社甲府市
武田氏の居館跡に建てられ、戦国時代の武将「武田信玄(1521-1573)」を祭神としている。
武田神社近隣の石水寺要害城が武田信玄生誕の地。治水工事、農業・商業の隆興に力を入れ、領民に愛された甲斐の国(現在の山梨県)の名将。神社内の宝物殿には「吉岡一文字」(国定重要文化財)の太刀や、武田家伝来の古文書、刀剣、甲冑類などゆかりの品が多く展示されている。
武田24将騎馬行列と例大祭(4月12日)は多くの人出でにぎわう。

特産品

食品 食品
  1. サクランボ – 全国有数の産地
  2. – 全国都道府県別・収穫量第1位
  3. すもも – 全国都道府県別・収穫量第1位
  4. ぶどう – 全国都道府県別・収穫量第1位
  5. ミネラルウォーター – 生産量もまた、ダントツの日本一
    サントリー『サントリー天然水 南アルプス』、アサヒ飲料『富士山のバナジウム天然水』
  6. 甲州牛
  7. 甲州ワインビーフ
  8. 甲州地鶏
料理
  1. ワイン – 国際的に高い評価を受けている
  2. ほうとう – 武田信玄が陣中食に使ったと言われる幅広麺の甲府の郷土料理
  3. 月の雫 – 甲州ぶどうを原料にした、ぶどうの収穫期の秋にしか食べられない銘菓。200年の歴史がある。
  4. 笹子餅 – 甲州街道の笹子峠で売られていたと言う由来のある名物菓子
工芸品 工芸品
  1. 甲州印伝 – 国指定伝統的工芸品。
  2. 甲州水晶貴石細工 – 国指定伝統的工芸品。
    今から約1000年前、御岳昇仙峡の奥地金峰山で水晶の原石が発見されたことが起源。
  3. 甲州手彫印章 – 国指定伝統的工芸品。
  4. 雨畑硯硯の原石の産地(南巨摩郡富士川町)。

性格

県民性 全体 昔から甲州商人のアクの強さで有名な、山梨県。全国で成功を収めた背景には、山が多く平坦地が少ないため農作物が取れにくく、農耕地も限られ、後継ぎである長男以外は地域を出なければならなかったことにも由来。
そのため必死で商いに精を出したのである。その一生懸命な姿は「ずるがしこく商売し、カネにうるさく負けず嫌いで執念深い『メチャカモン』」と呼ばれ、他県人からうとまれた。この性分、今では勤勉で行動力も旺盛、独立心も強いがんばり屋となって継承されている。
ただし、カネに細かく保守的で見栄っ張りなのは今でも否めず、付き合い方には要注意。相性が合えば強い信頼関係ができる相手だ。
男性 真面目な努力家で、義理人情にも厚い。見栄っ張りで、自己中心的な面があり、協調性に欠けるきらいも。金にはこまかいほう。ギャンブル好きだが、のめり込むことはない。
女性 ミスコンでは上位入賞の常連。天真爛漫に見えても現実主義者で経済観念も発達している。ミーハーな面があり、流行遅れを気にする。見かけ以上に女性らしい人が多い。

歴史(人物)

歴史上有名人 南北朝 春屋妙葩(しゅんおくみょうは):南北朝時代の禅僧(臨済宗)
元中5年/嘉慶2年8月12日(1388年9月12日))は、室町時代の臨済宗の禅僧である。室町幕府の帰依を得て臨済宗相国寺の第二世となるが事実上の開山国師。五山文化の発展に寄与した。ほかに天龍寺や臨川寺の住職となる。春屋は道号、別号に芥室、不軽子など。諡号は知覚普明国師。
甲斐国(山梨県)の生まれ。母方の叔父である夢窓疎石のもとで受戒すると天龍寺の住職となり、室町幕府に対して五山第一の南禅寺の楼門(山門)新築を提言。幕府は楼門建設の援助をしたが南禅寺と紛争状態であった園城寺がこれに抗議。比叡山の門徒もこれに加わり楼門撤去や妙葩の配流を求め、紛争は政治問題にまで発展する。
1369年(応安2年/正平24年)に管領の細川頼之は楼門を撤去させる。妙葩は頼之と対立して天龍寺住職を辞して阿波国光勝院、さらに丹後国雲門寺に隠棲する。頼之は妙葩との和解のために会談を求めるがこれを拒絶。対して頼之は門徒の僧籍剥奪を行う。
1379年(康暦元年/天授5年)の康暦の政変で頼之が失脚した後に入京し、南禅寺住職として復帰する。妙葩は頼之が失脚する直前に丹後を出立しており、政変への関与も考えられている。
3代将軍足利義満の帰依を受け、同年10月10日、初代の僧録となる。同年、義満の要請により全国の禅寺を統括。その後、嵯峨宝幢寺を開山。さらに義満は相国寺を創建すると妙葩に開山第一世を請じたが、妙葩はこれを固辞。やむなく師の夢窓疎石を開山始祖とし、妙葩は第二世住持となった。実質的には妙葩が相国寺を開き、五山十刹制度を作り五山派を興した。五山版の刊行なども行い五山文化の発展に寄与した。また多くの弟子を育て、彼らは日明貿易を行う際に幕府の外交顧問となった。
戦国

武田信玄:戦国最強の戦国大名ともいわれる
武田 信玄(たけだ しんげん) / 武田 晴信(たけだ はるのぶ)は、戦国時代の武将、甲斐の守護大名・戦国大名。甲斐源氏の嫡流にあたる甲斐武田家第19代当主。
先代・信虎期に武田氏は戦国大名化し国内統一を達成し、信玄も体制を継承して隣国・信濃に侵攻する。その過程で越後国の上杉謙信(長尾景虎)と五次にわたると言われる川中島の戦いで抗争しつつ信濃をほぼ領国化し、甲斐本国に加え信濃、駿河、西上野、遠江、三河と美濃の一部を領し、次代の勝頼期にかけて領国を拡大したものの、西上作戦の途上に三河で病を発し、信濃で病没した。
「風林火山」の軍旗を用い、甲斐の虎または、龍朱印を用いたことから甲斐の龍とも呼ばれる。

【川中島の戦い】
川中島の戦いは、今から約450年ほど前、北信濃の経路を巡って、甲斐の武田信玄と、越後の上杉謙信が、天文22年(1553)、川中島布施(現長野市篠の井駅付近)で、干戈を交えた布施の戦いから、永禄7年(1564)篠ノ井塩崎の退陣まで、足掛け12年、前後5回の交戦を指している。いずれも北信濃、川中島地方が主戦場になった。この間の戦いを総称して川中島の戦いと云う。
永禄4年(1561)9月10日の八幡原の大激戦は、第4回目に当たった。戦国末期の名将、信玄と、謙信が一騎討ちをしたと言う大激戦であっただけに、川中島の戦いと言えば、永禄4年の八幡山の大激戦を指すようになった。この戦いにより、川中島は武田領になった。
信玄は戦いに強かったばかりではなく、信仰心が篤く、領民の暮らしに、心を配った立派な政治家でもあった。八幡原の大激戦が終わった10月、海津城将、高坂弾丞らの将兵を引き連れて、自領となった川中島の地を視察したおり、川中島地方が一望に眺められる茶臼山の南麓、柳沢の地に立ち寄って、駕籠から降り、休息した。この時、眼下に広がる戦乱に荒廃した村里を望見した信玄公、いたくご心痛になり、川中島の戦いによって、犠牲になった多くの人々の菩提と、この川中島に平和が訪れることを願って、この地に禅寺を建立して、寺が完成すると、信玄ご持仏の青面金剛像を奉納して、本尊として奉り、寺領46貫文を寄進し、川中島の名刹、玄峰院二世、宗益を住職として迎えた。この寺が、今日の耕心庵である。この時与えた寺領安堵状など、本寺、玄峰院にあったが、玄峰院は、寛政6年(1794)5月28日夜、諸堂ことごとく焼失する火災にあい、同時に古文書類も焼失した。幸いなことに、玄峰院二世、宗益の記した「玄峰院校割筆記」が、長野市稲里町青木修一郎家に現存し、市立博物館に寄託されている。青木家は上田藩飛び地領、川中島の大庄屋を代々世襲し、玄峰院の有力な檀家であった。
※川中島の戦いは現存する史料がほとんどなく、多くの逸話が残っている

<武田二十四将>
江戸時代には『甲陽軍鑑』が流行し、信玄時代の武田家の武将達の中で特に評価の高い24名の武将を指して武田二十四将(武田二十四神将)と言われるようになり、信玄の名は広く知られることになった。武田二十四将には家臣が23名しか入らず、信玄自身が二十四将の一人に数えられており、他に武田四天王(武田四名臣とも、信玄・勝頼を支えた馬場信春、内藤昌豊、山県昌景、高坂昌信の4人を指す)も有名である。
甲斐武田氏
甲斐武田氏は、清和源氏の河内源氏系甲斐源氏の本流であり、4代武田信義(源信義)は以仁王から令旨を受け取り甲斐源氏の一族を率いて挙兵する。当初は独立的立場を取っていたが、富士川の戦いを期に源頼朝に協力して戦功をあげ駿河守護を任ぜられる。その後、その勢力を警戒した頼朝から粛清を受け、信義は失脚し、弟や息子達の多くが死に追いやられた。信義の五男信光だけは頼朝から知遇を得て甲斐守護に任ぜられ、韮崎にて武田氏嫡流となる。信光は承久の乱でも戦功を上げ、安芸守護職に任ぜられ、安芸武田氏の祖となる。
鎌倉時代後期には、確認される唯一の鎌倉期甲斐守護として石和流武田氏の政義がいる。政義は後醍醐天皇が挙兵した元弘の乱において幕軍に従い笠置山を攻めているが、後に倒幕側に加わり幕府滅亡後は建武の新政に参加している。1335年(建武2年)に北条時行らが起した中先代の乱にも参加する。
その後南北朝時代には安芸守護であった別流の武田氏の武田信武が足利尊氏に属して各地で戦功をあげ、南朝方の政義を排して甲斐国守護となった。
武信の子の代で武田氏惣領家は三家に分かれた。甲斐武田家・安芸武田家・京都武田家がそれである。
室町期には1416年(応永23年)に鎌倉府で関東管領の上杉氏憲(禅秀)が鎌倉公方の足利持氏に反旗を翻す(上杉禅秀の乱)と、武田信満は女婿にあたる禅秀に味方したが、京都の幕府の介入で禅秀は滅亡。信満は鎌倉府から討伐を受け、自害する。後継の甲斐守護職は、逸見氏との甲斐源氏同士の内紛の末、幕府の追及を恐れて高野山で出家した信満の弟である武田信元が任じられる。その後は鎌倉府と幕府の対立から鎌倉府に服したが、6代将軍足利義教の頃には永享の乱で鎌倉府が衰亡し、信満の子の武田信重の代に結城合戦で功績を挙げ再興のきっかけをつかんだ。
信重の復帰以降も国内の有力国人や守護代である跡部氏の専横や一族の内紛、周辺地域からの侵攻に悩まされたが、16代信昌の時には跡部氏を排斥して家臣団の統制を行い国内を安定化に向かわせるが、後継者を巡り内乱となる。
18代信虎の頃には国内はほぼ統一され、積極的に隣国である信濃国に侵攻して家勢を拡大し、武田信玄の時には大名権力により治水や金山開発など領国整備を行い、信濃に領国を拡大した。信玄は隣国の今川氏、北条氏と同盟を結んで後顧の憂いを無くして信濃侵攻を進め、北信濃地域の領有を巡って越後の上杉氏と衝突した(川中島の戦い)。今川氏が衰退した後は、同盟を破棄して駿河国へ侵攻し、東海地方に進出した。
1572年(元亀3年)、15代将軍足利義昭の要請に応じて上洛を開始したが、その途上、信玄が病死したため武田軍は甲斐国に撤退した。最盛期には甲斐国・信濃国・駿河国及び上野国・遠江国・三河国・美濃国・飛騨国・越中国の一部の計9カ国に及ぶ120万石の領土を有したが、武田勝頼の代になると美濃に進出して領土をさらに拡大する一方、次第に家中を掌握しきれなくなり、1575年(天正3年)長篠の戦いに敗北、信玄時代からの重臣を失うと一挙に衰退し、1582年(天正10年)織田信長に攻め込まれて滅亡した(天目山の戦い)。徳川家康の計らいで最初は武田家臣の穴山信治(武田信治)に継がせ、のち自身の五男の福松丸に武田信吉と名乗らせ、家督を継がせたが、断絶した。
天目山の戦いの後、信玄の次男・竜芳(海野信親)の子の信道は織田氏による残党狩りから逃れた。その後、信道は大久保長安事件に巻き込まれて伊豆大島へ流されたが、その子信正の代で許されて1700年(元禄13年)に幕臣となり高家として仕えた。1915年(大正4年)、大正天皇御大典を機に信玄が従三位に叙せられた際、当時の当主武田信保に信玄に対する位記宣命が渡された。以後、この家系が信玄に最も近い正統とされ、現当主武田英信へ受け継がれて現在に至っている。信玄五男・仁科盛信の長男信基と次男信貞が徳川旗本として仕え、2系とも現在も存続している(信貞は武田に復姓している)。信玄七男の安田信清は姉婿である上杉景勝のもとへ逃れ、のちに武田姓に復して代々同家に仕えた。信玄の弟・河窪信実の子信俊は家康に旗本として仕え、これものちに武田姓に復している。

歴史

歴史 原始・古代 山梨県の大地に人々の営みが認められるのは、約3万年前からです。原始社会は、狩りや魚とりや木の実を採集する段階から、やがて米づくりの段階へと進み、ムラが統合されてクニが形成されます。
4世紀末から大丸山古墳や銚子塚・丸山塚古墳が造られますが、このことから中道町の曽根丘陵に大きな勢力が存在していたことがうかがえます。
8世紀の山梨は、甲斐国といい、「山梨・八代・巨麻・都留」の4群からなり、その中心は、国府・国衙の地名があることから今の笛吹市御坂町、笛吹市一宮町付近にあったといわれています。
12世紀に入ると公家による古代国家の体制は揺らぎ、その中から台頭してきたのが武家でした。1131年頃、甲斐国には源義清、清光の親子が入り、甲斐源氏を興します。
中世・近世 甲斐源氏の諸氏のうち、武田氏や小笠原氏、南部氏などは後世まで繁栄します。
16世紀の武田氏は、戦国大名として発展し、甲府につつじヶ崎館や要害城を築き、ここを拠点に四隣経略を進め、天下統一を目指しました。
1582年武田氏滅亡後の甲斐国は、織田・豊臣・徳川と支配が移り、江戸幕府の下で、甲府藩(国中)・谷村藩(郡内)が成立しますが、1724年には幕府直轄地となります。甲州街道や富士川水運の発達は、物資の流通や文化の流入を促しました。
19世紀に入ると、幕藩体制の矛盾から各地に一揆が多発し、本県でも天保騒動がおこりました。この頃、日本は欧米諸国の圧力により鎖国を解き、近代国家の道を歩み始めることになります。
近代・現代 甲州は、明治元年(1868)3月、官軍の甲府城入場後、甲斐府から甲府県を経て、同4年11月20日に山梨県となります。(現在11月20日は「県民の日」)
明治前半は、藤村県令の勧業政策により、製紙業や葡萄酒醸造業が育成されます。後半には、中央線が開通し、産業や文化が進展します。本県の農家は、小作地率が高く、大正から昭和にかけて小作争議が多発しています。富士川水運は、中央線の開通によって急激に衰退し、身延線の開通する昭和初期にはその歴史を閉じます。
昭和20(1945)、終戦を迎え、戦後の農地改革によって自作農中心の体制となり、その後の農業経営は果樹への転換が著しくなります。高度経済成長期には本県でも商工業が発達しました。さらに、昭和57年(1982)の中央自動車道の全線開通は、物流に拍車がかかり、ますますの工業化が進んで今日に至っています。

有名学校(学力/スポーツ)

有名高校 学力 甲陵高校
甲府第一高校
甲府東高校
スポーツ

【野球】東海大甲府
【野球】日本航空
※強豪校はそろっているが、優勝歴はない

【サッカー】韮崎高校
<有名選手:中田英寿>
高校は韮崎高校に入学。高校2年の時には第72回全国高等学校サッカー選手権大会出場。
高校在籍中から、将来セリエAへの移籍を考えてイタリア語の勉強を始めたという。

【サッカー】山梨学院大付属
国立に初出場して山梨県勢にとっても初めての優勝を成し遂げた
【サッカー】帝京第三

有名大学 全般

山梨学院大学:スポーツ全般の強豪大学
山梨学院大学は2004年度(平成16年度)JOCスポーツ賞のトップアスリートサポート賞を受賞。
ホッケー部は男子・女子ともにホッケー日本リーグに参加
スケート部は冬季オリンピックに日本代表選手を多数輩出
陸上競技部は箱根駅伝に1987年の第63回大会以来連続出場していることで全国的によく知られ、総合優勝も3回(第68・70・71回大会)果たしている。

<大学出身著名人>
【サッカー】
橋爪勇樹 – サッカー選手(ヴァンフォーレ甲府)
【格闘家】
山本"KID"徳郁(中退) – 格闘家
大高一郎 – 元マーシャルアーツ日本キックボクシング連盟フェザー級王者
【歌手】
斉藤和義(中退) – 歌手、シンガーソングライター

その他、多数日本代表選手を輩出している

有名人

出身有名人 タレント ◇坂本ちゃん:甲州市
◇矢作兼:富士吉田市生まれ。東京都豊島区で育つ
歌手 ◇レミオロメン
◇田原俊彦:甲府市
◇サンプラザ中野くん:甲府市生まれ
◇森進一:甲府市
俳優 ◇柏原崇:甲府市
◇柏原収史:甲府市
◇筒井真理子:甲府市
文化人 ◇林真理子:山梨市
スポーツ選手 サッカー ◇中田英寿(元サッカー日本代表):甲府市
◇清雲栄純(元サッカー日本代表):塩山市(現・甲州市)
野球 ◇井出竜也(福岡ソフトバンクホークスコーチ、元日本ハムファイターズ、読売ジャイアンツ):富士河口湖町
◇木村一喜(元広島東洋カープ、東北楽天ゴールデンイーグルス):北杜市
◇久慈照嘉(元阪神タイガース、中日ドラゴンズ):甲府市
東海大甲府高校では3回甲子園に出場。「東の久慈、西の立浪」といわれており、高校時代から守備力があった
ドラフト2位で阪神に入団
◇小林雅英(千葉ロッテマリーンズコーチ、元読売ジャイアンツ、オリックス・バファローズ):大月市
千葉ロッテマリーンズ時代は「幕張の防波堤」の異名を取った。
◇堀内恒夫(前読売ジャイアンツ監督):甲府市
1965年の第一回ドラフト会議で1位指名を受け読売ジャイアンツに入団。翌1967年からはエースナンバー18を背負った。
現役引退翌年の1984年から王貞治監督の下で巨人投手コーチ専任。2003年オフ、原辰徳が突然辞任した後継として巨人監督に就任する。
2004年度、2005年度監督を務める。2010年4月22日には、同年7月の第22回参議院議員通常選挙に、自由民主党からの出馬を表明した。
◇松本哲也(読売ジャイアンツ):山梨市/山梨学院大学附属高等学校時代には1年夏に全国高等学校野球選手権大会に出場
◇村上雅則(元南海ホークス、阪神タイガース、日本ハムファイターズ、日本初のメジャーリーガー)
有名選手 その他 【レスリング】
米満達弘(レスリング選手、自衛隊体育学校)ロンドンオリンピック金メダリスト:富士吉田市
【プロレス】
武藤敬司:富士吉田市
【格闘技】
渡辺純一((プロボクサー、元日本スーパー・バンタム級王者):西八代郡上九一色村(旧地名)
【バレーボール】
矢野広美(元バレーボール選手、日立武蔵)モントリオールオリンピック金メダリスト:南巨摩郡増穂町(現富士川町)

プロスポーツチーム

スポーツ サッカー ヴァンフォーレ甲府(J1)

その他

その他 その他 山梨vs静岡
富士山がどちらの県に属するものかということでに敵対心をもつといわれる。
実際。両県をまたがる富士山をどちらの県側がキレイに見えるか対決する番組も放送された。
その他 その他 信玄公祭り
甲府市において、毎年4月12日(信玄公の命日)の前の金曜日から日曜日にかけて行われているイベントである。武田二十四将を模した時代行列である「甲州軍団出陣」を目玉とする。
2014年には「よろいを身にまとったサムライの人数世界一」のギネス世界記録が誕生。
その他 その他 山梨県民はラーメンと一緒にマグロのブツなど刺身を食べる?
山梨は海がないくせに刺身が好きでマグロの消費量は日本で二位。
そして、山梨のラーメンショップにはマグロなどの刺身のメニューが豊富にそろっている。

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