滋賀県の特色まとめ

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地理

県庁所在地   大津市(令制国の近江国)
地域区分 湖南 大津市、草津市、守山市、栗東市
野洲市、甲賀市、湖南市
湖東 東近江市、近江八幡市、蒲生郡(日野町、竜王町)、彦根市、
愛知郡(愛荘町)、犬上郡(甲良町、多賀町、豊郷町)
湖北 長浜市、米原市
湖西
  1. 高島市
人口   1,413,610人(全国第26位)
特長  
  1. 琵琶湖は県のシンボルである
  2. 京都府や大阪府のベッドタウンとしても注目される
  3. 「ゆるキャラ」ブームの火付け役となった「ひこにゃん」
  4. 国宝 彦根城は築城400年を超える
  5. 岐阜県関ケ原から滋賀県にかけては東西文化の境界線となっている

観光

観光地  

琵琶湖
滋賀県の面積の1/6を占める日本最大・最古の湖。クルージングやボート遊び、湖沿いをゆったり散策したり
雄大な自然の中でたくさんのレジャーが楽しめます。1950年国定公園に指定されたのを機に選定された。
琵琶湖八景の風光明媚な景観は、多くの詩歌や絵画にも表されています。
日本一の大きさを誇る琵琶湖、その琵琶湖はバイカル湖やタンガニーカ湖に次いで成立が古い古代湖であると
考えられています。
また琵琶湖から流れ出ているのは瀬田川と琵琶湖疎水の二つだけです。
その瀬田川、宇治川から淀川と名前を変え大阪湾に注いでいて琵琶湖水系の水で暮らしているのは
1,400万人以上というからまさに命の水です。
また琵琶湖では条件が合致すれば初夏や秋冬には蜃気楼が観測できることがあるそう。

浮御堂(うきみどう)
サスペンスドラマなどによく登場し、琵琶湖のルアーフィッシングポイントとしても有名な「浮御堂」。
近江八景とは、景観観光のルーツといわれる琵琶湖南部の景勝地を八ヶ所選んだもので、
西暦1500年ごろからいわれ出したものだそう。

白鬚神社【高島・湖西】
近江最古の大社といわれる「白鬚神社」。近年はパワースポットとしても有名になり参拝者が絶えない。
琵琶湖に面した神社です。創建はなんと1900年前。第11代天皇の垂仁天皇の頃で、
近江最古の神社とされています。琵琶湖に浮かぶ朱塗りの大鳥居の景色に惹かれ、昔から多くの人が訪れる。

湖東

彦根城彦根市
ゆるキャラひこにゃんでお馴染み、「彦根城」。国宝に指定された天守のうちの一つ。

彦根城は、1622年に完成し、徳川家譜代の井伊氏35万石の居城とされた。城郭建築最盛期の
17世紀初頭の遺産であり、明治時代に入り、彦根城も廃城が決定していたが破却を逃れた。
その理由として、明治天皇が城の保存を命じたという説などがある。築城以来5回の大改修が行われ、
直近の改修は1996年、天守の屋根瓦の吹き替えと白壁の塗り替えが行われた。
城主の居室部分も含め城郭の全体像が良好に保存されており、その美しさには定評がある。
松本城、犬山城、姫路城と並んで彦根城の天守は国宝に指定されている。天守をはじめ二重の濠や石垣、
城壁など、世界的にも高い評価を得ている日本の城郭建築の粋といえるものである。

湖南 比叡山延暦寺大津市
標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。
平安時代初期の僧・最澄(767年 – 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。
1994年には、古都京都の文化財の一部として、ユネスコ世界文化遺産にも登録された。

近江神宮:大津
天智天皇をまつる神社として、有名。
また、日本で初めて水時計を設置した歴史から、時計にまつわる博物館もあります。
『小倉百人一首』の第1首目の歌を詠んだ天智天皇にちなみ、競技かるたのチャンピオンを決める
名人位・クイーン位決定戦が行われています。

延暦寺:大津市
滋賀と京都の県境にある標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。
平安時代初期に伝教大師最澄が開いた天台宗の総本山であり、日本仏教の母山と呼ばれる。

湖東 永源寺東近江市
近江随一と言われる紅葉を観ることができる。
東近江市にある「永源寺」は、約650年前に開山された、もみじの里としても親しまれている寺院。
紅葉の時期は境内にある枯山水の庭に赤く染まったモミジが美しすぎる。
安土城跡近江八幡市
標高199mの安土山一帯にある織田信長(1534-82)の居城跡。
国指定の特別史跡です。本能寺の変後、焼失して石垣だけが残っています。
一段一段が大きいので、特に女性は歩くのが少し大変ですが、信長ファンであれば行ってみたい土地。
金剛輪寺愛知郡愛荘町
741年、行基によって開山された寺院で、観音様をご本尊とする天台宗のお寺。
西明寺・百済寺とともに「湖東三山」と呼ばれ、紅葉の名所となっている。
湖北 長浜城長浜市
戦国時代末期に豊臣秀吉が城主として築城した城。
浅井攻めの功により織田信長から浅井氏の旧領を拝領した秀吉は、当時「今浜」と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し「長浜」に改名し、小谷城の資材を流用して築城しました。
山内一豊が城主を務めたこともあります。江戸時代に入ると長浜城は廃城となり、資材の大半は彦根城の築城に流用されました。彦根城の天秤櫓は、長浜城から移したものと伝えられています。
  1. 祖近江八幡水郷めぐり:豊臣秀次が開いた城下町。八幡掘をめぐる水郷めぐりができます。
  2. MIHO MUSEUM:信楽町
  3. 信楽(しがらき)駅:駅舎内外にはタヌキ君たちが所狭しとひしめき合っている。

特産品

食品 食品 近江牛 – 神戸牛、松阪牛と並ぶ日本三大銘柄牛とされる。
湖魚 – 琵琶湖で鮒や小鮎などが獲れ、珍しい湖魚料理が食べられます。
シジミ – 琵琶湖水系にだけ棲む固有種である「セタシジミ」。
      コクのある味わいは昔から琵琶湖の特産品として知られる。
料理 ふな寿司 – フナを用いた熟れ鮨(鮓)であり、歴史は奈良時代にまでさかのぼる
赤こんにゃく – 赤く染色したコンニャク。昔から近江八幡ではコンニャクと言えば赤色でした。
サラダパン – 1951年創業のパン屋「つるやパン」の名物パン
湖魚料理 – 小鮎の佃煮、鮒の身に鮒の卵をまぶした刺身など変わった料理
鴨すき - 長浜の郷土料理。鴨肉のすき焼き
丁稚羊羹 - 近江の昔からの名物菓子。
のっぺいうどん - 滋賀県長浜市で明治時代から食べられている料理
近江ちゃんぽん - 彦根の「麺類をかべ」が発祥となって滋賀県全域に広がり、
                                 滋賀県のB級グルメの一つとして名前があがるようになってきた近江ちゃんぽん。
すやき - 中華麺をそのままシンプルに焼いたから、素焼き(スヤキ)。B級グルメとして有名。
工芸品 工芸品
  1. 信楽焼 – 国指定伝統的工芸品。日本六古窯。信楽陶器工業協同組合。
    滋賀県甲賀市信楽を中心に作られる陶器で、日本六古窯のひとつ。狸の置物が著名。
  2. 近江上布 – 国指定伝統的工芸品。
  3. 彦根仏壇 – 国指定伝統的工芸品。彦根仏壇事業協同組合。
  4. びん細工手まり – 丸い瓶の中いっぱいに手毬が入った不思議な伝統工芸品(愛知郡愛荘町愛知川地区)。
    びん細工手まりの由緒は江戸時代の終わりに遡る。

産業

産業 拠点がある有名企業

株式会社三東工業社(甲賀市)
株式会社アテクト(東近江市)
タカラバイオ株式会社(大津市)
株式会社平和堂(彦根市)

主要産業

1位:製造業
2位:不動産業
3位:卸売・小売業

産業別就業者の割合

◇第一次産業 約2.6%
◇第二次産業 約32.6%
◇第三次産業 約64.8%

名目県内総生産額 約6兆7,679億円
産業に関する施設・史料館

◇ヤンマーミュージアム
世界初ディーゼルエンジンの小型化に成功したヤンマー。館内には子供たちが頭と体を使って楽しみながら学べる体験ミュージアムが満載。
また、ワークショップも定期的に開催しており、ものづくりや自然環境に触れる機会が溢れている。

◇長浜鉄道スクエア
1882年に完成した旧長浜駅舎は、現存する駅舎の中で日本最古のもの。
そのままの形を残す駅舎の中では、文明開化でにぎわう当時の様子がみられる。その他、本物のD51に試乗できるなど、楽しいコーナーが満載。

性格

県民性 全体 勤勉で努力家、辛抱強い性格は昔のままだ。こちらも義理を欠くことだけは避けたいもの。
ただし、京阪のベッドタウン化が進むにつれ、新型の滋賀県人も増加しているのが現状。
金も貯めるより使う派が多く、気兼ねなく付き合える。
男性 真面目で勤勉、少々暗いところがある。内面は頑固で負けず嫌い。
研究心旺盛のがんばり屋。逆境に強く、何事にも思慮深い。
女性 地味だが、真面目で正直。働き者で金銭感覚がしっかりしているから、財布のヒモは固く、せっせと貯金に励む。

歴史(人物)

歴史上有名人

浅井長政(武将・浅井氏第3代):小谷城
戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。北近江の戦国大名。浅井氏の3代目にして最後の当主。
浅井氏を北近江の戦国大名として成長させ、妻の兄・織田信長と同盟を結ぶなどして浅井氏の全盛期を築いたが、後に信長と決裂して織田軍との戦いに敗れて自害。浅井氏は滅亡した。

【姉川の戦い】
1570年(元亀1)6月28日、近江(おうみ)(滋賀県)の姉川畔で繰り広げられた浅井・朝倉連合軍と織田・徳川連合軍の戦い。
戦いのあった場所の地名をとって、野村合戦とも三田村合戦ともよばれる。戦いの発端となったのは同年4月、信長が越前(えちぜん)(福井県)の朝倉義景(よしかげ)を攻めたとき、朝倉氏との旧誼(きゅうぎ)によって浅井長政がそれまで同盟を結んでいた信長に反旗を翻したことにある。
信長は妹婿(いもうとむこ)である長政の謀反を怒り、6月19日岐阜を出陣した。援軍である徳川家康の軍勢とあわせ、その数3万4000といわれている。それに対する長政も義景の援軍を求め、その数2万1000と数えられている。戦いは6月28日早朝から姉川を挟んだ形で繰り広げられ、初め浅井・朝倉軍が優勢であったが、家康軍の善戦により織田・徳川連合軍の大勝利に終わった。義景の援軍は越前に敗走し、長政の軍勢も小谷城(おだにじょう)に逃げ込み、浅井、朝倉両氏の滅亡の遠因となった。

石田三成(豊臣五奉行・近江佐和山城主、斬首):石田村
安土桃山時代の武将・大名。豊臣氏の家臣。豊臣政権の五奉行の一人。関ヶ原の戦いにおける西軍側の主導者として知られている。
安土桃山時代の武将。幼名は佐吉、初名は三也。近江国坂田郡石田村(滋賀県長浜市)の出身。正継の子。
豊臣秀吉の長浜城主時代にその俊敏さを認められ、近侍として仕えた。中国征伐、山崎の戦いにも従い、さらに賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いに軍功を著し、1585年(天正13)秀吉が関白(かんぱく)になると、諸大夫12人のなかに選ばれて従(じゅ)五位下(げ)、治部少輔(じぶしょう)に叙任された。
その後、秀吉の全国統一事業が進むなかで、股肱(ここう)の臣として枢機に参画し、太閤検地の実施の中心ともなった。
大坂築城ののち、隣接の重要経済都市である堺の奉行も兼ねた。九州征伐には兵站(へいたん)のことをつかさどり、小田原征伐では関東の諸城の攻略にあたり、さらに陸奥に進んで諸大名の所領替えなどを処理し、一揆の鎮圧にもあたった。
文禄・慶長の役では名護屋(なごや)本営の設営、兵站、交通路の確保・整備にあたり、また奉行として渡海した。
三成は武将ではあるが、その本領はむしろ吏務に長じ、五奉行随一の実力者として政務の処理にあたった。
95年(文禄4)近江佐和山(さわやま)城主となり、江北で19万石余を領した。三成が所領内の民政に留意したことは著名である。
秀吉の死後、徳川家康の勢威が高まるに及んで、毛利輝元、宇喜多秀家(うきたひでいえ)らと謀って家康に対抗し、1600年(慶長5)9月美濃(みの)関ヶ原に戦ったが、小早川秀秋(こばやかわひであき)の裏切りによって敗北、ついに捕らえられて、10月1日京都六条河原で処刑された。
◇石田三成の逸話◇
三成の逸話でも、最も有名なのが、『三献の茶』の逸話だといわれている。
「長浜城主となった秀吉は、ある日、領内で鷹狩をしていた。
その帰途、喉の乾きを覚えて、ある寺に立ち寄って茶を所望した。対応した寺の小姓は、まず最初に大ぶりの茶碗にぬるめの茶を一杯に入れて出した。喉の乾いていた秀吉は、それを一気に飲み干したあと、もう一杯たのんだ。次に小姓は、やや小さめの碗に、やや熱めにした茶をだした。秀吉が試みにもう一杯所望したところ、今度は小ぶりの碗に熱く点てた茶を出した。相手の様子を見て、その欲するものを出す、この心働きに感じいった秀吉は、その小姓を城に連れて帰り家来とした。この小姓が、その後累進し、五奉行の一人、石田三成となったのである。」
喉の乾いている相手に、まずは飲みやすい温めの茶をたっぷり出し、渇きが癒えた後は熱い茶を味わってもらう・・・この逸話は気配りの進めとして、広く語られています。
滋賀県・長浜駅前には、この三献茶に因んだ三成と秀吉の像もあります。

井伊直弼(幕府大老、彦根藩主15代):彦根藩(現彦根市)
幕末の譜代大名。近江彦根藩の第15代藩主
幕末期の江戸幕府にて大老を務め、日米修好通商条約に調印し、日本の開国近代化を断行した。
また、強権をもって国内の反対勢力を粛清したが(安政の大獄)、それらの反動を受けて暗殺された(桜田門外の変)。

彦根藩時代は藩政改革を行い、名君と呼ばれ、江戸城では溜詰として、将軍継嗣問題と日米修好通商条約調印問題をめぐり存在感を示す。

井伊直弼(幕府大老、彦根藩主15代):彦根藩(現彦根市)
幕末の譜代大名。近江彦根藩の第15代藩主
1853年ペリー浦賀来航に際し、彦根藩として相洲警備の重責を果たした。その際、意見書に開国論を展開、徳川斉昭と対立。1858年に異例の出世で大老職就任すると、勅許を待たずに日米修好通商条約に調印し、尊攘派の反感を買った。将軍継嗣問題で南紀派の中心となり徳川慶福(家茂)を推薦した。水戸藩への密勅がきっかけとなった安政の大獄で志士らを弾圧し、1860年桜田門外の変で水戸・薩摩の浪士に暗殺された。

【桜田門外の変】
幕末期の1860年(安政7)3月3日、江戸幕府の大老井伊直弼(なおすけ)が桜田門外で暗殺された事件。桜田門は江戸城内郭門(うちぐるわもん)の一つ。将軍継嗣(けいし)問題や安政(あんせい)五か国条約(安政通商条約)の違勅調印などをめぐって大老井伊への反感は、尊攘(そんじょう)派などに強くあったが、安政の大獄の進行で一段と強まった。58年後半ころから薩摩(さつま)藩有志の間には、水戸・長州・越前(えちぜん)・因州の諸藩と提携して幕府の「除奸(じょかん)」計画が企てられていたが、翌59年になると、水戸藩と薩摩藩有志の交流が盛んとなり、水・薩提携が具体化していった。すなわち、水戸藩への「戊午(ぼご)の密勅」をめぐる勅諚(ちょくじょう)返還問題への幕府の圧力が強まるや、激派の反感は高まり、他方、薩摩藩でも激派の不満が鬱屈(うっくつ)していた。60年1月以降、水・薩両藩有志の「義挙」の盟約が結ばれ、3月3日朝、18名が雪の桜田門外に井伊の行列を襲った。この18名は、関鉄之介を総指揮者とする水戸藩士17名(関のほか、岡部三十郎、斎藤監物(けんもつ)、佐野竹之介、大関和七郎、広岡子之次郎(ねのじろう)、稲田重蔵、森山繁之介、海後磋磯之介(かいごさきのすけ)、黒沢忠三郎、山口辰之介、杉山弥一郎、増子金八、蓮田(はすだ)市五郎、鯉淵要人(こいぶちかなめ)、広木松之介、森五六郎)と薩藩士1名(有村次左衛門(じざえもん))よりなる。彼らの「斬奸(ざんかん)趣意書」では、井伊一派の斬戮(ざんりく)による幕府の改革を企図したもので、倒幕を意図したものでないことがわかる。しかし、白昼大老が暗殺されたことで、幕府の衰退が公然となり、幕末期政局の一つの転機となった。

歴史

歴史 古代~中世 国造が分立した時代には、滋賀県は淡海国造と安国造の領域であった。都に近いために早い時期から開発が進められ、多くの渡来人が入植した。飛鳥時代には近江大津宮、奈良時代には紫香楽宮や保良宮が置かれた。壬申の乱や藤原仲麻呂の乱といった戦乱の舞台となることも度々あった。
近江出身の僧最澄は比叡山に延暦寺を開創した。延暦寺は数々の名僧を輩出し、現代に続く日本の仏教文化を大きく発展させた。
戦国時代 戦国時代に入ると、北部に浅井氏が台頭する。形の上で京極氏を奉じた浅井氏は南部を領する六角氏と抗争する。織田信長と結んだ浅井長政に至って六角氏を駆逐するが、後に将軍の信長包囲網に加わって信長に抵抗、小谷城の戦いによって1573年(天正元年)に滅んだ。
近江国を支配圏に入れた信長は、根拠地として近江盆地に安土城を築城する。信長の死後は畿内を地盤とする羽柴秀吉と、越前国北の庄を地盤とする柴田勝家の係争地となり、北部で行われた賤ヶ岳の戦いにおける秀吉の勝利で決着が着けられた。秀吉は初めての領地が長浜であった関係もあり、多数の近江国住民を主に事務方として登用した。石田三成もその1人である。また秀吉の甥豊臣秀次は八幡山城及びその城下町を築き、琵琶湖につながる運河八幡堀を整備し、商業を振興させた。
その他、近江からは蒲生氏郷・藤堂高虎・大谷吉継など数々の名武将を輩出した。戦国時代から江戸時代にかけての甲賀郡では甲賀流忍者が活動していた。
近世 徳川家康は、徳川氏における精鋭軍を率いる井伊氏を関ヶ原に近い彦根に入封させて西国の抑えとし、北部の大部分は彦根藩の領土となった。まとまった大藩は彦根藩のみであり、その他は膳所藩、水口藩、大溝藩、西大路藩、宮川藩、山上藩、三上藩といった小藩、交代寄合の最上家の大森陣屋、交代寄合の朽木家の朽木陣屋、さらに他国の諸藩領や天領なども入り交じり、江戸時代の近江国の領地区分は複雑な様相を呈していた。江戸時代初期には将軍上洛用御殿が水口城、永原御殿、伊庭御殿、柏原御殿とあったが、3代将軍家光以降は上洛も途切れ御殿も次第に老朽化して、廃れていった。
文化面において特筆すべきは、江戸初期の人物で近江聖人とも称された儒教学者中江藤樹が活躍し、日本の陽明学を発展させた。松尾芭蕉(義仲寺に眠る)は近江を旧里と呼ぶほど好んで訪れ俳諧を高めたとともに、近江蕉門と呼ばれる数多くの門人を輩出した。
また江戸時代には、鎌倉時代から続く商工業が飛躍的に発達し、犬上・愛知・神崎・蒲生・高島の各郡、特に八幡・日野・五個荘などから近江商人を多く輩出した。一部の商人は幕末から明治維新の混乱で没落したものの、近代以降も多くの近江商人が活躍し、今日に至る日本経済の発展に寄与した。

有名学校(学力/スポーツ)

有名高校 学力
  1. 膳所高校:県内屈指の難関高校
  2. 立命館守山高校
スポーツ

【野球】※滋賀県は夏の甲子園優勝記録はなし
近江高校:2001年第83回夏の甲子園に出場、滋賀勢初の決勝進出するも、決勝で日大三高(日本大学第三高等学校)に敗れる
比叡山高校:1990年代甲子園の常連で10年で5回の出場と輝かしい成績を残す。2015年に甲子園出場。
八幡商業高校:OBに、プロ野球選手の則本昴大がいる。

【サッカー】野洲高校
2005年第84回全国高等学校サッカー選手権大会優勝
<有名選手:乾貴士>(元日本代表)
野洲→セレッソ大阪所属。

【男子バドミントン】比叡山高校
インターハイ団体で過去6度の優勝を誇る名門。

有名人

出身有名人 タレント

◇宮川大輔:大津市(生まれは京都)
◇桂三度(世界のナベアツ):高島郡安曇川町
◇野性爆弾/くっきー:守山市/ロッシー:守山市
◇高橋メアリージュン/高橋ユウ :大津市 
◇高橋ひかる:大津市
◇ダイアン(お笑いコンビ):津田篤宏:愛知郡愛知川町、西澤裕介:愛知郡愛知川町
◇ムーディ勝山:草津市 
◇佐伯チズ:甲賀市
◇SHIHO(モデル):草津市

歌手

◇西川貴教:彦根市
◇山崎まさよし:草津市
◇ken(L’Arc〜en〜Ciel):米原市  ◇tetsuya(L’Arc〜en〜Ciel):彦根市 
◇UVERworld:メンバー6名全員が滋賀出身

俳優 ◇松居一代:近江八幡市
◇上原美佐:米原市
◇林遣都:大津市
文化人 ◇田原総一朗:彦根市
◇尾木直樹:伊吹町
政治家 ◇宇野宗佑(第75代内閣総理大臣):守山市
スポーツ選手 サッカー ◇乾貴士(元日本代表:セレッソ大阪):近江八幡市
◇井原正巳(元日本代表):甲賀市
【女子サッカー】
◇中島依美(女子日本代表):野洲市
野球 ◇松田宣浩(福岡ソフトバンクホークス):草津市
◇則本昂大(東北楽天ゴールデンイーグルス):犬上郡多賀町
有名選手 その他

【競馬騎手】
武豊:栗東市(生まれは京都) / 武幸四郎:栗東市 / 福永祐一:栗東市

【陸上】
桐生祥秀:彦根市

【フェンシング】
太田雄貴(2012年ロンドン五輪 銀メダリスト):大津市

【バドミントン】
◇垣岩令佳(2012年ロンドン五輪 銀メダリスト):大津市

【競泳】
◇大橋悠依(2021年東京五輪  200m・400m個人メドレー 金メダリスト):彦根市

プロスポーツチーム サッカー

MIOびわこ滋賀 (JFL)※Jリーグ加盟を目指す

  バスケット 滋賀レイクスターズ(B.LEAGUE)
  バレーボール 東レ・アローズ (女子バレーボール)※現在プレミアリーグ(V.LEAGUE)に所属

プロスポーツチーム

スポーツ サッカー MIOびわこ滋賀(JFL)
バレーボール 東レ・アローズ(女子バレーボール)
現在プレミアリーグ(Vリーグ)に所属

その他

その他 その他 琵琶湖
産業用水、近隣府県約1,400万人の飲用水の源、観光資源としてその存在は大きく、地域性も琵琶湖を挟んで異なる琵琶湖の中には有人島(沖島)が浮かんでおり、きちんと小学校もある。
「サラダパン」
滋賀県のごく一部の地域のローカルフードでメディアで取り上げられ、知名度は全国的に知れ渡った。
これは、1951年創業のパン屋「つるやパン」の名物パンである。
マヨネーズで和えた刻みたくあんのペーストをコッペパンに挟んだ一風変わった惣菜パン。

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