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茨城県の特色まとめ

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地理

県庁所在地 水戸市
地域区分 県北 【県北地域】 日立市、常陸太田市、高萩市、北茨城市、ひたちなか市、那珂市、常陸大宮市、大子町、東海村
県中央 【県央地域】 水戸市、笠間市、桜川市、城里町、茨城町、大洗町、小川町、美野里町、友部町、岩間町
県南 【県南地域】 土浦市、石岡市、龍ケ崎市、取手市、牛久市、つくば市、守谷市、稲敷市、かすみがうら市、美浦村、阿見町、河内町、新治村、玉里町、伊奈町、谷和原村、利根町
県西 【県西地域】 古河市、筑西市、結城市、下妻市、水海道市、坂東市、境町、五霞町、八千代町、千代川村、石下町
鹿行 【鹿行地域】 鹿嶋市、潮来市、神栖市、行方市、鉾田市
人口 2,921,184人(全国11位)
特長
  1. 県北部は日立市・ひたちなか市で工業化
  2. 東海村や大洗町周辺は、東海第二発電所を初め、原子力関連施設が集中する地域の一つである。
  3. Jリーグ・鹿島アントラーズのホームタウンに鹿行地域の全域が指定されている。
  4. 茨城県は県の面積(610,000ha)のうち28%(172,000ha)が農業で使われており、この割合(わりあい)は日本一。農業人数も日本一
  5. サバは日本一の漁獲量を誇ります。
  6. ビール製成数量が日本一で一番
  7. 畜産もさかんで、その産出額は全国5位。

観光

観光地 県中央 アクアワールド茨城大洗水族館東茨城郡大洗町
全国でも最大規模の水族館。
従来の水族館と一線を画す特徴は世界でも珍しい「サメ」の飼育に力を入れた水族館であること。
アクアワールドには52種類ものサメが飼育されており、サメの飼育種類は日本一となっている。
県南 筑波山つくば市
西側は男体山、東側に女体山という峰を抱き、一日のうちに何度も色を変えることから「紫峰山」とも呼ばれる。
県北 竜神大吊橋常陸太田市
久慈県立自然公園にある、竜神峡にかかる竜神大吊橋。竜神ダムの上に架けられ、長さは375m。歩行者用の吊橋としては本州一の長さ。
また常設のバンジージャンプサイトとしては日本一の高さを誇る施設が、全国のバンジーファンに大人気。100mの高さから一気に落下する。
国営ひたち海浜公園ひたちなか市
茨城県を代表する観光スポット。開園面積は約200haと広大で、各所に大規模な花畑があります。
茨城県内における花の名所の1つでもあり
県南 霞ヶ浦かすみがうら
霞ヶ浦は国内第2位の湖面積を持つ湖。その流域面積は茨城県全体の1/3以上を占めており、遊覧船などのクルージングが楽しめる。
鹿行 鹿島神宮鹿嶋市
鹿島神宮は全国にある鹿島神社の総本社で、関東では最も古い社。
千葉県の香取神宮とともに関東の東の護りを担っている重要な神社で創建はなんと紀元前660年。鹿島神宮は古代、蝦夷平定の神様として朝廷に保護され、藤原氏の氏神として栄えました。現代では関東有数のパワースポットとして多くの人に大人気。美しい湧き水の御手洗池、国歌君が代に登場するさざれ石もこの地にある。
県南 牛久大仏牛久市
大きさはアメリカの自由の女神のおよそ3倍の120m、ブロンズの立像としては世界最大でギネスブックに登録されている。
エレベーターで地上85mの展望台まで一気に登ることが可能。
JAXA筑波宇宙センターつくば市
ロケット開発、人工衛星の開発試験、宇宙飛行士の養成などを行い、日本の宇宙開発技術が結集しているのがJAXA(宇宙航空研究開発機構)。
国際宇宙ステーションの日本の実験棟きぼうの運用や管制も行っている施設。施設内を見学する無料ツアーも数種類用意され、最新鋭の宇宙開発技術に触れて人類の新たな可能性に触れられる。

特産品

食品 農作物
  1. メロン:メロンの生産が全国1位。
  2. ピーマン:作付け面積は全国第1位
  3. レンコン:全国生産量(63,500t)の50%(30,600t)が茨城県産
  4. 白菜、ちんげんさい ― 生産量第一位
    【畜産】
  5. たまご:全国1位
  6. 豚(ぶた):枝肉(えだにく)生産量全国2位
  1. 水戸納豆
  2. あんこう鍋:茨城のなべ料理
工芸品 工芸品
  1. 結城紬:(絹織物、1977年)― 国の重要無形文化財
  2. 笠間焼(陶磁器、1992年)― 茨城県笠間市周辺を産地とする陶器。江戸時代中期からつくられ始めた
  3. 真壁石燈籠(石工品・貴石細工、1995年)

性格

県民性 全体 徳川御三家の水戸藩が茨城の約半分ほどを占領していたことから、そこに住む人々も荒っぽい気質であったと言われています。その為水戸に住む人々の性格は「怒りっぽい・理屈っぽい・骨っぽい」という「水戸の3ぽい」として表現されていました。今でもこの性質は茨城の県民性として受け継がれており、現代では「怒りっぽい・忘れっぽい・飽きっぽい」の「茨城3ぽい」と呼ばれています。ここからも分かるとおり、気が短くて冷静さに欠け、熱しやすく冷めやすい感情派が多いのが茨城県人の県民性です。
男性 特に男性は喧嘩っ早くてカッカしやすく口下手、その上人の顔色を伺うことも苦手なので他人から誤解を受けることが多いのですが、実際には保守的で真面目、正義感が強くて義理人情に厚いという男らしい性格です。
成金趣味に走ることもあるほど見栄っ張りでお金に糸目をつけません。
女性 傾向として、いかにも「女性らしい」「愛らしい」という感じの人は少ない。気が強い女性が多いが、そのぶん、粘り強い。
同じ茨城でも南部になるとおおらかで協調性があり明るい女性も多く見られます。

歴史(人物)

歴史上有名人 江戸

水戸光圀(水戸御三家当主・水戸黄門などの作品で広く知られる):水戸
常陸水戸藩の第2代藩主。「水戸黄門」としても知られる。水戸藩初代藩主・徳川頼房の三男。徳川家康の孫に当たる。儒学を奨励し、彰考館を設けて『大日本史』を編纂し、水戸学の基礎をつくった。
少年の頃の光圀の振る舞いはいわゆる不良であり、光圀16~17歳のとき、傅役の小野言員が「小野言員諫草(小野諫草)」を書いて自省を求めた。光圀18歳の時、司馬遷の『史記』伯夷伝を読んで感銘を受け、これにより行いを改める。
寛文元年(1661年)7月、父・頼房が水戸城で死去。8月19日、幕府の上使を受け水戸藩28万石の第2代藩主となる。藩主就任直後の寛文2年(1662年)、町奉行・望月恒隆に水道設置を命じた。頼房時代に造営された水戸下町はもともと湿地帯であったため井戸水が濁り、住民は飲料水に不自由であった。望月は笠原不動谷の湧水を水源と定め、笠原から細谷まで全長約10kmを埋設した岩樋でつなぐ笠原水道を着工。約1年半で完成した。笠原水道は改修を重ね、明治時代に近代的な水道が整備されるまで利用された。
寛文3年(1663年)、領内の寺社改革に乗り出し、村単位に「開基帳」の作成を命じた。寛文5年(1665年)、寺社奉行2人を任じ、翌年寺社の破却・移転などを断行、神社については、社僧を別院に住まわせるなど神仏分離を徹底させた。
元禄7年(1694年)3月、5代将軍・徳川綱吉の命により隠居後初めて江戸にのぼり、小石川藩邸に入った。11月23日、小石川藩邸内で幕府の老中や諸大名、旗本を招いて行われた能舞興行の際、重臣の藤井紋太夫を刺殺した。幕府に出された届出によると、紋太夫が光圀の引退後、高慢な態度を見せるようになり、家臣の間にも不安が拡がるようになっていたためであり、咄嗟の殺害ではなく、以前からの処罰が念頭にあり、当日の問答によっては決行もありうると考えていたようである。理由の詳細は不明だが、紋太夫が柳沢吉保と結んで光圀の失脚を謀ったためとも言われている。
元禄13年(1700年)12月6日に食道癌のため死去した。享年73(満71歳没)。

  1. 日本の歴史上、最初に光圀が食べたとされるものは、ラーメンをはじめ、餃子、チーズ、牛乳酒、黒豆納豆がある。肉食が忌避されていたこの時代に、光圀は5代将軍徳川綱吉が制定した生類憐れみの令を無視して牛肉、豚肉、羊肉などを食べていた。野犬20匹(一説には50匹)を捕らえてその皮を綱吉に献上したという俗説も生まれた。
  2. テレビの時代劇である『水戸黄門』では全国を諸国漫遊しているが、領国以外では、水戸と江戸を往復したほかは、日光東照宮への参詣と鎌倉に1度旅行したのみである。

徳川慶喜(御三卿一橋徳川家の9代当主・徳川将軍家15代(最後)当主):水戸藩
江戸幕府第15代征夷大将軍(在職:慶応3年(1867年) ‐ 慶応4年(1868年))。江戸幕府最後の将軍であり、歴史上征夷大将軍に任じられた最後の人物。御三卿一橋徳川家の第9代当主として将軍後見職・禁裏御守衛総督など要職を務めた後に徳川宗家を相続、第15代将軍に就任。大政奉還や新政府軍への江戸開城を行なった。明治維新後に従一位勲一等公爵、貴族院議員。

天保8年(1837年)9月29日、江戸・小石川の水戸藩邸にて第9代藩主・徳川斉昭の七男として生まれた。
嘉永6年(1853年)、黒船来航の混乱の最中に将軍・家慶が病死し、その跡を継いだ第13代将軍・徳川家定は病弱で男子を儲ける見込みがなかったため、将軍継嗣問題が浮上。その際、慶喜を推す斉昭や阿部正弘、薩摩藩主・島津斉彬ら一橋派と、紀州藩主・徳川慶福を推す彦根藩主・井伊直弼や家定の生母・本寿院を初めとする大奥の南紀派が対立。この時点では慶福が将軍継嗣となる。また慶喜も将軍になることは乗り気ではなかった。
文久2年(1862年)、7月6日、慶喜を将軍後見職に、松平春嶽を政事総裁職に任命させることに成功した。慶喜と春嶽は文久の改革と呼ばれる幕政改革を行ない、京都守護職の設置、参勤交代の緩和などを行った。

慶応2年(1866年)、第二次長州征伐の最中、将軍・家茂が大坂城で薨去。後継として慶喜を次期将軍として上がるが慶喜はこれを固辞し、8月20日に徳川宗家は相続したものの将軍職就任は拒み続け、12月5日に将軍宣下を受けようやく将軍に就任した。この頃の慶喜ははっきりと開国を指向するようになっており、将軍職就任の受諾は開国体制への本格的な移行を視野に入れたものであった。
薩長が武力倒幕路線に進むことを予期した慶喜は慶応3年(1867年)10月14日、政権返上を明治天皇に上奏し、翌日勅許された(大政奉還)。幕府制度や征夷大将軍の官職は復活することはなく、慶喜は日本史上最後の征夷大将軍となった。
大正2年(1913年)11月22日、感冒(急性肺炎を併発した)にて死去。享年77(満76歳25日)。徳川歴代将軍としては最長命であった。

間宮林蔵(冒険家):常陸国筑波郡上平柳村(現・つくばみらい市)
江戸時代後期の隠密、探検家。樺太(サハリン)が島である事を確認した事で知られる。近藤重蔵、平山行蔵と共に「文政の三蔵」と呼ばれる。
寛政11年(1799年)、南千島に派遣され同地に来ていた伊能忠敬に測量技術を学び享和3年(1803年)、西蝦夷地を測量した。
文化5年(1808年)、樺太を探索。林蔵はアイヌ語もかなり解したが、樺太北部にはアイヌ語が通じないオロッコと呼ばれる民族がいることを発見、その生活の様子を記録に残した。

歴史

歴史 水戸藩歴史 【水戸徳川家以前】
常陸は佐竹氏が豊臣秀吉によって支配をそのまま認められていたが、関ヶ原の戦いの際に佐竹義宣は徳川方に加担しなかったため、慶長7年(1602年)に出羽久保田21万石に減転封された。
佐竹氏の後、水戸城には下総佐倉藩より徳川家康の五男松平(武田)信吉が15万石で入ったが、翌1603年に信吉は21歳で病死した。信吉の死により翌月、家康の十男で当時2歳の長福丸(徳川頼宣)が新たに20万石で水戸に入封する。1604年、5万石の加増を受け25万石となる。1606年、頼宣は元服した際に常陸介に叙任されているが、1609年に駿河・遠江・東三河(駿府藩)50万石を与えられて転封し、1619年には紀州藩55万石に転封した。頼宣は紀州徳川家の祖となった。
頼宣は2歳から8歳まで水戸藩主であったが、この間一度も水戸に入っておらず、駿府にて家康の膝元で過ごしたといわれている。実務は財政面を蘆沢信重が、行政面を関東郡代伊奈忠次が執った。1607年(1602年、1615年とも)の秋に、小生瀬村(現:大子町小生瀬)で、年貢を巡る農民と藩役人の行き違いにより、藩が小生瀬村の住人を皆殺しにする事件が起こった(生瀬騒動)。藩の役人が年貢を取りに来て農民は納めたが、また別の役人が年貢を取りに来たこと(年貢の二重取り)に対して怒った農民たちが、後から来た役人を偽物と判断してその一人を殺害した。これに対し10月10日、蘆沢信重(アシザワノブシゲ)が藩兵を出兵させて生瀬村の農民を皆殺しにしたという。この事件に関しては、藩の公式記録には一切触れられず、伝承と関連した地名が残るのみである。
【水戸徳川家時代】
頼宣のあとに、頼宣の同母弟である家康の十一男で当時6歳の鶴千代丸(徳川頼房)が下総下妻藩より25万石で入った。頼房以降の藩主家を水戸徳川家と呼ぶ。
水戸藩は徳川御三家の中でも唯一参勤交代を行わない江戸定府の藩であり、万が一の変事に備えて将軍目代の役目を受け持っていたともいわれている。
頼房は事情により三男の光圀を継嗣とし、長男の松平頼重は讃岐高松藩12万石を与えられた。光圀は学問を好み、『大日本史』の編纂を開始し、水戸藩に尊王の気風を植え付けた。水戸藩で生まれた水戸学幕末の尊皇攘夷運動に強い影響を与えた。
3代藩主綱條(ツナエダ)は、宝永2年に浪人の松波勘十郎を登用して財政改革を実施したが、宝永6年(1709年)の百姓一揆で3000人もの百姓が江戸へ出て様々な集団的示威行動を取ったため、やむなく年貢増徴の撤回や松波の罷免を行い、改革は挫折した。宝永の改革に失敗し、4代藩主宗堯(ムネタカ)が短い期間の統治で没し、5代藩主宗翰(ムネモト)が幼少で水戸藩を継承したおりには、8代将軍徳川吉宗により付家老中山信昌ほかの水戸家の重臣が呼び出され、幼君の輔育と一和忠勤を直接命じられた。さらに、吉宗以降に御三家の幕府による統制が強化される中、寛延2年には、御連枝(支藩の藩主)の松平頼寛(陸奥守山藩)と松平頼済(常陸府中藩)が老中堀田正亮の役邸に呼び出され、財政改革の実施を命じられた。このため宗翰は宝暦の改革と呼ばれる藩政改革を実施し、太田資胤に命じて財政再建を進めたが、宝暦6年に資胤が致仕すると頓挫した。安永7年には、幕府が再び水戸藩の家老に直接細かい指示を与えて財政再建を命じた。6代藩主治保(ハルモリ)は幕命に従って倹約に努め、藩主就任以来24年ぶりにお国入りを果たして寛政の改革に乗り出したが、天明の大飢饉によって財政はさらに悪化した。
尾張藩、紀州藩が藩主の血統断絶、幕府からの財政援助、独立志向の附家老による幕府統制への迎合などにより、御三卿や将軍家から藩主を迎えたのに対し、水戸藩では支藩からの養子により藩祖の血統を守った。継嗣なく死去した8代藩主斉脩(ナリノブ)の後継問題では、清水家から恒之丞(徳川斉彊(ナリカツ))を養子に迎えようとする派閥と、藤田幽谷の門人らを中心とした藩祖血統の維持派が対立し、斉脩(ナリノブ)の三弟である斉昭(ナリアキ)が家督を継いだ。
9代藩主斉昭は藩政の改革と幕政への参加を志し、藤田派を中心に人材登用を行うとともに、藩内の保守派の中心となり幕府との連携を果たそうとする付家老の勢力を削ぐため、一般家臣と同じ知行制に組み込んだ。財政を圧迫した藩主と付家老の江戸定府制度についても、1年ごとの交代制に改めた。教育改革についても弘道館を建設して整備を行い、水戸学が藩論に強い影響を与えることになった。しかし、強い尊王攘夷傾向のため幕府に疎まれ、長男の慶篤に家督を譲って隠居を余儀なくされた。また斉昭は、財政難の中で新規召し抱えを行ったため、藩財政は窮乏を極めた。斉昭の隠居後には改革派の藤田東湖らも免職・蟄居となった。
10代藩主となった慶篤は、3連枝(高松藩主松平頼胤、守山藩主松平頼誠、府中藩主松平頼縄)の後見のもとで藩政を行った。なお、15代将軍徳川慶喜は慶篤の実弟であるが、御三卿の一つ一橋家を継いでから将軍になった。斉昭には他にも多くの男子があり、親藩・外様を問わず多くの藩に養子に出されている。
水戸藩は幕末には斉昭が存在感を示したものの、藩内では保守派(諸生党)と改革派(天狗党)の抗争から統制を失い、藩士による桜田門外の変、天狗党の乱、弘道館戦争を招くとともに、藩論統一と財政難を克服することができず、幕末政局で主導権を握ることができなかった。
水戸藩領は廃藩置県により、水戸県を経て、茨城県に編入された。

有名学校(学力/スポーツ)

有名高校 学力 江戸川学園取手高校
戸第一高校
スポーツ 【野球】常総学院
<有名選手:坂 克彦(現阪神タイガース)>高校通算35本塁打。
第85回夏の甲子園大会(2003年)⇒ダルビッシュ有投手率いる東北高校(宮城)に勝ち優勝。
有名大学 筑波大学
江崎玲於奈 – 物理学者。元筑波大学学長。横浜薬科大学学長。ノーベル物理学賞受賞(1973年)
白川英樹 – 高分子化学、筑波大学名誉教授、ノーベル化学賞受賞(2000年)

有名人

出身有名人 タレント ◇綾部祐二(ピース):総和町(現・古河市)
◇黒沢かずこ(森三中):ひたちなか市
◇渡辺直美:石岡市
◇磯山さやか:鉾田市
◇鈴木奈々(モデル)
◇松居直美:筑波郡谷田部町(現・つくば市)
歌手 ◇石井竜也(米米CLUB):北茨城市
俳優 ◇梅宮辰夫:水戸市
◇池内博之:勝田市(現・ひたちなか市)
◇栗山千明:土浦市 ◇白石美帆:那珂郡大宮町(現・常陸大宮市)
◇永作博美:行方郡麻生町(現・行方市)
◇倍賞美津子
◇羽田美智子:水海道市(現・常総市)
◇三浦春馬:土浦市
◇渡辺篤史:下妻市
文化人 【画家】横山大観:水戸市
スポーツ選手 サッカー ◇鈴木隆行(ジェフユナイテッド市原・千葉 元日本代表):日立市
◇曽ヶ端準(日本代表 鹿島アントラーズ):鹿嶋市
野球 ◇井川慶(元・阪神タイガース、オリックス・バファローズ):東茨城郡大洗町
◇仁志敏久(元・読売ジャイアンツ、横浜ベイスターズ):古河市
◇大久保博元(元・西武ライオンズ、読売ジャイアンツ、タレント、現・東北楽天ゴールデンイーグルス監督):東茨城郡大洗町
有名選手 その他 【柔道】
◇鈴木桂治(アテネオリンピック男子100kg超級金メダリスト):結城郡石下町(現・常総市)
◇瀧本誠(シドニーオリンピック男子81kg級金メダリスト):岩井市(現・坂東市)
◇塚田真希(アテネオリンピック女子78kg級金メダリスト):下妻市
【体操】
◇山室光史(2012年ロンドンオリンピック(銀メダル)):古河市
【ゴルフ】
◇片山晋呉:下館市(現・筑西市)

プロスポーツチーム

スポーツ サッカー 鹿島アントラーズ(J1)(鹿嶋市・潮来市・神栖市・行方市・鉾田市)
水戸ホーリーホック(J2)(水戸市)
野球 【社会人野球】
茨城ゴールデンゴールズ(稲敷市)
新日鐵住金鹿島硬式野球部(鹿嶋市)
日立製作所硬式野球部(日立市)
バレー つくばユナイテッドSun GAIA(男子、つくば市)
日立リヴァーレ(女子、ひたちなか市)
バスケット つくばロボッツ(つくば市)

その他

その他 その他 全都府県で唯一「県域民放テレビ局」と「県域民放FM局」が存在しない
納豆の1世帯当たり年間消費支出額が全国1位とともに、水戸市民は菓子類の1世帯当たり年間消費支出額は全国2位とお菓子好きの傾向が見えます。その他、メロン、ヨーグルト、ビスケットも全国1位。

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