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群馬県の特色まとめ

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地理

県庁所在地 前橋市
地域区分 北毛 沼田市、渋川市、榛東村、吉岡町、中之条町、東吾妻町、長野原町、嬬恋村、草津町、高山村
片品村、川場村、昭和村、みなかみ町
吾妻(あがつま) 吾妻郡(中之条町、長野原町、嬬恋村、草津町、高山村、東吾妻町)
中毛 前橋市、伊勢崎市、佐波郡玉村町
西毛 高崎市・藤岡市・富岡市・安中市、多野郡(上野村、神流町)、甘楽郡(下仁田町、南牧村、甘楽町)
東毛 桐生市、太田市、館林市、みどり市、邑楽郡(板倉町、明和町、千代田町、大泉町、邑楽町)
人口 1,977,013人(全国19位)
特長
  1. 群馬県は一世帯当たりの自動車保有台数、女性の運転免許保有数が日本一多い
  2. 「からっ風」「雷」「かかあ天下」が名物
  3. 世界遺産に登録された富岡製糸場と絹産業遺産群
  4. 一世帯当たりの自動車保有台数、女性の運転免許保有数が日本一多い
  5. 群馬県と福島県の県境地域は尾瀬国立公園となっており、福島県へ自動車で直接行くことはできない
  6. 活発な活火山の一つである浅間山、榛名山、赤城山、妙義山の上毛三山、草津温泉を抱く草津白根山などが存在
  7. 草津温泉を始め伊香保温泉、水上温泉など温泉も豊富

観光

観光地 吾妻(あがつま) 草津温泉群馬県吾妻郡草津町
林羅山の日本三名泉に数えられる。江戸時代の温泉番付では当時の最高位である東大関に格付けされた、日本を代表する名泉の一つである。源泉の数は100以上、共同浴場も16カ所あり、様々な入浴が楽しめます。
その湯量の豊富さと湯の熱さが魅力、堂々人気ランキング一位の一大温泉地です。
北毛 伊香保温泉澁川市
発見は1900年前とも1300年前とも言われている。万葉集にもその名が登場している。
長篠の戦いで負傷した武田兵の療養場所として武田勝頼が当時上州を支配していた真田昌幸に命じ、整備された。石段もこのときにできた。明治時代以降は竹久夢二、徳富蘆花、夏目漱石、萩原朔太郎、野口雨情など文人が多く訪れた。また、御用邸やハワイ王国大使別邸なども作られた。
吾妻(あがつま) 四万温泉吾妻郡中之条町
草津、伊香保とともに上毛三名湯に数えられる定番の四万温泉、四万川の上流、自然の懐に抱かれた温泉郷です。
平安時代に開湯、鎌倉時代にはその名を知られた名湯で温泉街には風情あふれる木造の温泉館の姿が見受けられます。
西毛 富岡製糸場富岡市
2014年に世界遺産登録、国宝指定になった『富岡製糸場』は、今群馬県内で最も注目されている場所。
日本初の模範器械製糸工場で、日本の近代化を支えました。2015年2月現在、土日祝日には座繰りの実演・体験イベント、木曜日にはフランス式繰糸器の実演が行われています。
明治5年10月、わが国最初の官営模範製糸工場として、明治政府の依頼でフランス人ブリュナが指導し、建てられた。木骨と赤レンガ造りの建造物群は現在もほとんど当時のままの姿で保存されており、日本の近代産業発祥の地として貴重な建築物。
碓氷第三橋梁(めがね橋)安中市
明治25年4月に建設が始まり12月に完成。芸術と技術が融合した美しいレンガのアーチ橋で、川底からの高さが31mあり、我が国最大のものです。この形を採用したのは、日本ではめがね橋が最初です。
橋梁は、第2橋梁から第6橋梁までの5基が残っており、すべてが煉瓦造りで、国重要文化財に指定されています。
吾妻(あがつま) 白根山湯釜吾妻郡草津町
志賀草津高原道路最大の観光ポイントであり、草津のメインの山として多くの観光客が訪れてくる場所です。群馬・長野両県にまたがっている、那須火山帯に属する標高2,160mの活火山です。
世界三大奇勝「鬼押出し園」嬬恋村
浅間山直下の上信越高原国立公園にある観光名所です。世界三大奇勝の一つにも選ばれ、アメリカのロッキー山脈、イタリアのチロル地方の土柱と並んで選出された。天明3年の浅間山の大噴火によってできたとっても広い溶岩原野。

特産品

食品 食品
  1. キャベツ(全国第1位)
  2. きゅうり(全国第2位)
  3. ふき(全国第2位)
  4. 板倉町のきゅうり
  5. 下仁田町のねぎ
  6. 下仁田町のこんにゃく
  7. 上州牛
料理
  1. ソースカツ丼 – 桐生市
  2. ひもかわうどん – 群馬県桐生地域の郷土料理
工芸品 工芸品
  1. 伊勢崎絣 – 伊勢崎絣は「太織」という残り物の繭から引き出した生糸を用いた織物
  2. 高崎だるま – 群馬県高崎市で生産されているだるま。全国生産の80%に匹敵する年間170万個が生産されている。
  3. 桐生織 – 群馬県桐生市において特産とされる絹織物。桐生織の発祥については、白滝姫伝説という伝承が残されている。

<白滝姫伝説>
今から1200年前の桓武天皇の時代、上野国山田郡(こうづけのくにやまだごおり)から一人の男が京都に宮仕えに出された。かなわぬ恋としりながら、宮中の白滝姫に恋した男は、天皇の前で見事な和歌の腕前を披露して、白滝姫を桐生に連れて帰ることを認めてもらう。桐生に移った白滝姫は、絹織物の技術を桐生の人々につたえ、その技術が今でも桐生の地で受け継がれているのだという。
この白滝姫が桐生に来た時、桐生市川内の山々を見て「ああ、あれは京で見ていた山に似た山だ」と言ったことから、この地域を『仁田山』といい、特産品となった絹織物を『仁田山紬』というようになった。桐生織は、江戸時代前期までは「仁田山紬」と言われていた。
姫が亡くなると、天から降ったという岩のそばにうめ、機織神として祀った。すると岩からカランコロンという機をおる音がきこえていたが、あるときゲタをはいて岩にのぼった者がおり、以降鳴らなくなった。この岩は白滝神社の前の神体石であるという。
現在でも、桐生市川内町には白滝神社があり、白滝姫が祀られている。

性格

県民性 全体 昔から「かかあ天下とからっ風」が上州の名物だとされている(上州とは、群馬県の旧国名=上野のこと)。
女性が働き者というように置き換えると当たっているでしょう。気が荒く賭博好きといった捉え方もされているのが、群馬県の県民性です。群馬県民はシャイな性格なのか、人づきあいが下手です。おべんちゃらを言うことが出来ず、その反対のことを言ってしまい、時として問題を起こすことがあるのも群馬県の県民性です。
男性 ホットでウェット。気性が荒く、荒削りな印象を受けるが、義理人情型が多い。ただし、昨今は大人しい感じの人が増えている。
陽気で表裏がなく、金にも細かくない。
女性 かつて「上州女に美人なし」といわれたのは、実は空っ風で肌が荒れていたため。
女性ドライバーの数が常に上位にランクされているほど、活発な女性が多い。しかもこころ優しく、情に厚い。

歴史(人物)

歴史上有名人 江戸 新田義貞
鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての御家人・武将。正式な名は源 義貞(みなもと の よしさだ)。
河内源氏義国流新田氏本宗家の8代目棟梁。父は新田朝氏、母は不詳(諸説あり、朝氏の項を参照)。官位は正四位下、左近衛中将。明治15年(1882年)8月7日贈正一位。
鎌倉末期から南北朝の混乱の時代にあって、足利氏と並び武家を統率する力のある家系であった新田家の当主で、足利尊氏の対抗馬であり、好敵手でもあった。ただし、鎌倉時代後期の新田家は足利家に対して従属関係にあり、延元の乱以前の義貞は尊氏の指揮下の一部将であったとする研究もある。
鎌倉幕府を攻撃して滅亡に追い込み、後醍醐天皇による建武新政樹立の立役者の一人となった。しかし、建武新政樹立後、同じく倒幕の貢献者の一人である足利尊氏と対立し、尊氏が建武政権に反旗を翻すと、後醍醐天皇により事実上の官軍総大将に任命されてこれに対抗した。これにより各地で転戦したものの、箱根や湊川での合戦で敗北し、のちに後醍醐天皇の息子の恒良親王、尊良親王を奉じて北陸に赴き、越前国を拠点として活動するが、最期は越前藤島で戦死した。
死後、江戸時代に義貞が着用していた兜が偶然見つかり、福井藩主松平光通は兜が発見された場所に新田塚を建てた。明治時代、福井知藩事・松平茂昭は新田義貞のために新田塚に祠を建て、のち義貞を主祭神する藤島神社となり、建武中興十五社の一つに列せられた。

歴史

歴史 旧石器時代 旧石器時代 – 1979年(昭和54年)に国の史跡に指定された岩宿遺跡を始め旧石器時代の遺跡が多い。
現在では、150以上の遺跡が発見されている。そのなかの一つ、2千数百年前の下触牛伏(しもふれうしぶせ)遺跡(伊勢崎市)は大規模な集落であり、出土した石器・石材は2000点余りに上った。武井遺跡(桐生市新里町武井)からは10万点余りの槍先尖頭器を中心とする石器やこぶし大の石が大量に発見されている。これらの石器の石材は近くの渡良瀬川や栃木・長野県のものがみられ、この時代には既に人や物の交流・交易が行われていたことが分かる。また食料としては、ナウマンゾウ・オオツノジカなどの大型哺乳動物、シカ・イノシシなどの動物、それにウド・ゼンマイ・ヤマゴボウ・ユリ根・クルミなどであった。
上毛野国(かみつけぬのくに)は古代東国の一大中心地で、4世紀前半から前方後円墳が出現した。前橋天神山古墳、朝子塚古墳(太田市)、浅間山古墳(高崎市)、太田天神山古墳など東日本最大規模の古墳が築かれた。また、太田市飯塚町にて埴輪挂甲(けいこう)の武人が出土し、国宝に指定された。6世紀の中頃に榛名山が大爆発を起こした。その時の爆発で軽石の下敷きになった村がそっくり姿を現した。黒井峯遺跡(子持村)である。そこからは大小の竪穴式住居址、倉庫や納屋、家畜小屋、水田や畑が発掘されている。これまで不明であった古墳時代の集落構造の資料を提供することとなった。
古墳時代 律令制の下では東山道上野国で、国司が国を治める国府の所在地は現在の前橋市元総社町付近であったと推定されているが、その遺跡は確認されていない。周辺に国分寺・国分尼寺の跡がある。10世紀の郡は、碓氷(うすい)・片岡・甘楽(かんら)・多胡・緑野(みとの)・那波・群馬(くるま)・吾妻(あがつま)・利根・勢多・佐位・新田・山田(やまた)・邑楽(おうら)の14、郷は102(『和名類聚抄』)。711年(和銅4年)、多胡郡は片岡・緑野・甘楽の3郡から300戸を割いて設けられた。
延喜式神名帳に記載される名神大社としては、後に一ノ宮となった貫前神社(富岡市)や赤城神社(前橋市に論社3社)、伊香保神社(渋川市)があり、高崎市の辛科神社は渡来系の神社として知られている。この辺りには古くから渡来人が多かったようで、8世紀始めに甘楽、緑野、片岡各郡から6郷を割き、多胡郡が成立した。多胡郡建郡を記念する多胡碑など上野三碑が古代の金石文として知られる。

事件

歴史 事件 【群馬事件】
1884年(明治17年)5月に群馬県北甘楽郡で起こった自由党急進派と農民による自由民権運動の激化事件。
明治15年からの松方デフレにより全国的に農民は困窮し、負債で苦しんでいた。群馬県北甘楽郡でも30余の村の村民が県へ陳情するほどであった。党本部の政府寄り姿勢に憤っていた群馬の自由党指導者・清水永三郎は、この状況を見て党勢拡大を意図し、集会などを開いて反政府感情を煽っていた。そして1884年3月、清水は湯浅理平・小林安兵衛・三浦桃之助ら同志とともに、北甘楽郡周辺の農民のほか猟師・博徒も誘って政府転覆を計画する。だがこの最初の計画は4月に清水らが政府密偵謀殺容疑をかけられ他県へ逃亡したことにより一旦頓挫した。
その後、清水は上京したが、湯浅・小林・三浦はすぐに甘楽に戻り、5月始めの日本鉄道高崎駅開業式での農民蜂起を再び計画した。しかし開業式が延期されたため実行されなかった。この結果を自由党本部へ三浦が報告したが、党幹部はこれに賛同しなかった。逆に宮部襄や東京滞在中の清水に制止されている。しかし農民たちの不満は収まらず、ついに湯浅・小林・三浦らを中心に5月15日に妙義山麓陣場ヶ原で蜂起した。当初の目的とは異なり、警察署や高崎鎮台分営の襲撃を目標にした。正確な蜂起人数は不明。数十名や200名また数千名という説など人数に幅がある。
群集は松井田警察分署を襲撃したが、人数不足や士気減退で高崎鎮台分営襲撃は実行されなかった。結局16日に北甘楽郡丹生村の高利貸岡部為作邸を打ちこわして蜂起は収束した。まもなく湯浅・小林・三浦らが逮捕され、妙義山中の残党も1ヶ月ほどで逮捕されていった。最終的には湯浅・小林・三浦ら12名が有期徒刑、20人が罰金刑となった。
小規模で終わったが、貧困農民の騒動と自由党急進派が結びついた端緒であり、実際に政府転覆を目的として加波山事件などに続く武装蜂起のはじめとなった事件である。

有名学校(学力/スポーツ)

有名高校 学力 偏差値70以上の高校が多数存在する
◇前橋高校 ◇高崎高校 ◇樹徳高校
◇高崎女子高校 ◇前橋女子高校 ◇太田高校 ◇東京農業大学第二高校
スポーツ

【野球】前橋工業高校
高校野球で活躍。甲子園の常連。1974年夏にベスト4まで進出し、1995年春はベスト8、1996年・1997年と2年連続して夏の甲子園ベスト4に進出。プロ野球選手も数多く輩出している。

【野球】桐生第一高校
第81回全国高等学校野球選手権大会優勝。

【サッカー】前橋育英高校
県内における前橋育英人気はJ2のザスパ草津を凌駕。
全国大会で優勝1回、ベスト4に5回進出(選手権4回・総体1回)しており、全国屈指の強豪として名を馳せている。

有名大学 ◇群馬大学

有名人

出身有名人 タレント ◇JOY:高崎市
◇中山秀征:藤岡市
◇井森 美幸:甘楽郡下仁田町
歌手 ◇櫻井翔(嵐メンバー、幼稚園は県内、両親は前橋市出身)
氷室京介(BOØWY):高崎市
◇由紀さおり
俳優 三國連太郎:太田市
篠原涼子:桐生市
文化人 ◇梁瀬長太郎 ヤナセ創業者
政治家 小渕恵三:吾妻郡中之条町
◇中曽根康弘:高崎市
◇福田赳夫:高崎市(旧群馬郡群馬町)
福田康夫:高崎市(旧群馬郡群馬町)
スポーツ選手 サッカー 松田直樹:横浜F・マリノス→松本山雅FC。日韓ワールドカップ代表。(2011年突然死、スポーツ界全体に衝撃をもたらした)
野球 ◇斉藤祐樹(日本ハムファイターズ):新田郡新田町
◇藤岡貴裕(千葉ロッテマリーンズ)
有名選手 その他 【体操】相原信行 ローマ五輪金メダリスト

プロスポーツチーム

スポーツ サッカー ザスパクサツ群馬(J2)
野球 群馬ダイヤモンドペガサス(BCリーグ)
バスケット 群馬クレインサンダーズ(bjリーグ)

その他

その他 その他 江戸時代から昭和初期にかけては、桐生織を中心に、当時の基幹産業である絹織物生産の中心地となった。上州の女性が家庭社会において従属的な位置に甘んじることなく元気溌剌としている大きな理由は、養蚕織物業によって女性であっても多くの収入を得られたからである。
これは加齢年齢にも影響を受けない練達技巧である。いわゆる「かかあ天下(でんか)と空っ風」である。「かかあ天下」は、「女性(妻)に頭が上がらない男性(夫)」とか「妻の尻に敷かれている夫」と取られがちだが、そうではなく、上州の男が自分の妻を感謝・尊敬し、自慢する意味で「ウチの母(かかあ)は天下一」という意味を持っている。
栃木と茨城の話はタブー
“グンマー”、“県境”で検索すると、愉快な画像をたくさん目にすることかと思います。さすがに表立って争うことがなくても、なんとなく群馬と栃木、茨城はライバル関係にあるのは事実でしょう。

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