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熊本県の特色まとめ

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地理

県庁所在地 熊本市
地域区分 県北 荒尾市、玉名市、玉名郡(玉東町・南関町・長洲町・和水町)、山鹿市
菊池市、合志市、菊池郡(大津町・菊陽町)
阿蘇市、阿蘇郡(南小国町・小国町・産山村・高森町・西原村・南阿蘇村)
県央 熊本市、宇土市、宇城市、下益城郡(美里町)
上益城郡(御船町・嘉島町・益城町・甲佐町・山都町)
県南 八代市、八代郡(氷川町)、水俣市、葦北郡(芦北町・津奈木町)
人吉市、球磨郡(錦町・多良木町・湯前町・水上村・相良村・五木村・山江村・球磨村・あさぎり町)
上天草市、天草市、天草郡(苓北町)
人口 1,794,623人(全国第23位)
特長
  1. 全国有数の農業県
  2. 畳の材料である「い草」の生産は熊本県以外はほとんど行われていない
  3. 世界最大級のカルデラを持つ阿蘇山

観光

観光地 県北

阿蘇
阿蘇中岳噴火口

世界有数の活火山。ロープウェイで標高1506mの山頂へと上がっていくと硫黄の匂いが立ちこめ、南北約1km、東西約400m、周囲約4kmの火口が噴煙を上げる様を間近に見ることができる。
火口の直径は約600m、深さ約130m程あり、吹き上がる溶岩の温度は1000度~1200度に達します。
静穏時には雨水がたまり50~80℃のお湯となります。火口の池は青緑色ですがこれは周りの岩石から溶かされた鉄と銅の色(鉄→緑、銅→青)によるものです。

大観峰
標高936mのこの地は、阿蘇五岳を一度に望むことができ、さらには条件が合えば雲海に出会うことともできる定番の観光名所です。
天気の良い日は180度見渡せる景色と気持ちいい風が最高です!
パラグライダーやバイクのツーリングの休憩地として最適。

草千里ヶ浜(阿蘇市)
烏帽子岳の北麓に広がる直径約1kmの草原。二重式火口の跡で、中央には大きな池があり、放牧馬がのんびりと草を食んでいる牧歌的風景は、阿蘇を代表する景色世界最大規模のカルデラを馬に乗って優雅に散策することもできます。

阿蘇ファームランド(阿蘇郡南阿蘇村)
大自然健康テーマパークとして熊本で大人気のスポットです。
ドーム型の宿泊施設「阿蘇ファームビレッジ」や「ふれあい動物王国」などがあります。
夜のイルミネーションは、500万球の光に感動させられます。

黒川温泉
年間およそ40万人、日帰り客を含めれば約90万人にも及ぶという、予約もままならない全国指折りの人気温泉地「黒川温泉」は、20軒近くの温泉宿が佇む。
黒川温泉は、2009年版のミシュラン・グリーンガイド・ジャポンでは温泉地として異例である二つ星を頂きました。
県南 イルカマリンワールド:天草市
リゾート地ではありがちなイルカのアクティビティ、熊本のイルカマリンワールドではクオリティーが違うリピーターの多い定番の名所です。
県央 熊本城
日本三名城の一つとして数えられているだけでなく、その堅牢な守りに定評があります。
地元熊本でも愛されており、ジョギングの名所となっています。
約400年の歴史があります。本丸御殿が2008年に復活して以来、年間来場者数は全国でもトップクラス。
「おもてなし武将隊」と一緒に熊本城をバックにした写真を取れば、気分はまさに江戸時代です。
天守閣はもちろん、「武者返し」と言われる石垣も見どころ。
通潤橋(つうじゅんきょう)
ダイナミックな放水が行われる橋は思うより高く、高所恐怖症の方は注意が必要なほどです。
昔から暮らしの中に溶け込んできたこの風景も老朽化が指摘されている場所でもある。

特産品

食品 食品
  1. 夏蜜柑 – 全国都道府県別・収穫量第1位
  2. 晩白柚(バンペイユ) – 20cmもの大きさの熊本名物
  3. スイカ – 全国都道府県別・収穫量第1位(16年度)
  4. 馬肉
料理
  1. 辛子レンコン – レンコンの穴に辛子味噌を詰め揚げたもの
  2. 南関そうめん – 江戸時代から伝わる歴史ある素麺(玉名郡南関町)
  3. 馬肉料理 –
  4. いきなりだご
工芸品 工芸品
  1. 小代焼 – 国指定伝統的工芸品。
  2. 天草陶磁器国指定伝統的工芸品。
  3. 肥後象眼国指定伝統的工芸品。
  4. 火打石宮原町は火打石の産地です。

性格

県民性 全体 気性が激しく、へそ曲がり。しかも頑固で強情っ張りの熊本県人。「肥後もっこす」と言われる性格は、何が何でも反論し、たとえ間違っていても自分の意見を押しとおす気質のこと。「肥後の議論倒れ」とも言われるほど、結論を出せなくても議論が大好きだ。まさに短気で感情的な「九州男児」そのものだが、意外と気の小さいところもあるのが特徴。競争心も強く、とくに恥やメンツにこだわる傾向もある。昔から土地が豊かだったため、保守的だが、新しいもの好きな一面もある。「俺が、俺が」の意識が強く、主流からはずれると、強烈な批判者に転身。ただし、激しい性格でも陰険ではないので、気のおけない付き合いが可能。
男性 偏屈で頑固、融通が利かず、意外と気が小さいところも。気性は激しく、短気で強情、感情的で、「九州男児」のイメージそのもの。競争心が強く、恥や面子にこだわる。保守的だが、意外に新しいもの好き。
女性 忍耐強い、しっかりした女性が多かったが、最近は自立志向型タイプの女性が増えてきた。これは男尊女卑の反動が原因。男性と同じく、頑固で情熱的。

歴史(人物)

歴史上有名人 加藤清正
安土桃山時代の武将。秀吉「子飼い」の肥後熊本の大名。尾張国愛智郡中村(名古屋市)の生まれ。
幼少時より豊臣秀吉に仕える。1580年(天正8)播磨国神東郡(兵庫県神崎郡)120石を給せられ、翌年の鳥取城攻め、備中国冠山城攻め、山崎の戦いに参加。とくに1583年の賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いで活躍し、七本槍の一人に数えられる。その功績により近江・山城・河内国など3000石の知行を得る。
1585年従五位下主計頭に叙任。1587年の九州征伐には後備、肥後宇土(ひごうと)城番を勤める。
このころの役職は兵粮方に関係していたらしい。また和泉国(大阪府)堺周辺の代官を兼務。このころから母の教化で日蓮宗の信仰が強くなる。1588年佐々成政(さっさなりまさ)の後を受け、肥後北東部半国(芦北郡を含む)の領主となり熊本城主。領地高約19万5000石。肥後の豊臣蔵入地の代官も兼務。
文禄の役には第二軍を率いて出兵し、鬼将軍と恐れられ、1592年(文禄1)7月には朝鮮の2王子臨海君、順和君を北朝鮮で捕らえ、さらに現ロシア領にまで兵を進む。片鎌槍での虎狩りは有名なエピソードで、武将の名を高めているが、江戸中期につくられたもの。
戦役では領土割譲を主張し、しだいに石田三成、小西行長らの講和派のために孤立化し、ついに1596年(慶長1)讒訴(ざんそ)され、伏見に蟄居(ちっきょ)を命ぜられる。この蟄居期間中に京畿(けいき)で大地震があり、秀吉の身を案じて登城したので謹慎が解けたという、「地震加藤」の物語があるが、謹慎解除の真相は不明。
このころ呂宋(ルソン)(フィリピン)貿易を計画しているし、理財にも秀でた人物である。慶長の役に再出兵したが、蔚山(うるさん)城にて苦戦し、九死に一生を得て帰国。関ヶ原の戦いでは九州における東軍の中心となる。戦後に肥後一国領主となる。このころから領内の川普請(かわぶしん)、新田開発を進め、今日の肥後平野の基礎をつくる。また壮大堅牢(けんろう)な名城熊本城を築城(慶長3、4、6年着工説がある)し、城下町を形成し、今日の熊本市の母胎となる。領内政策の一つにキリスト教の弾圧を早くから行い、日蓮宗の興隆に努めた。1603年(慶長8)3月、従四位下(じゅしいのげ)肥後守(ひごのかみ)に叙任。その後江戸城、名古屋城の普請工事に活躍。11年豊臣秀頼(ひでより)を説得し、徳川家康と二条城で会見させ、和平策を企図する。その帰途、船中にて発病。後世、この会見で毒饅頭を食わされて毒殺されたと伝説化されているが誤りで、彼の死因は脳溢血による。晩年は「履道応乾(りどうおうけん)」の印章を使用し、文芸・茶道にも努める。慶長16年6月24日、50歳で死亡。本廟(ほんびょう)が熊本市西区本妙寺にある。のち子加藤忠広のとき御家騒動や領内政策などの不手際で、1632年(寛永9)庄内(しょうない)(山形県)に配流(はいる)され、加藤氏断絶となる。
細川忠興
近世初期の武将。永禄6年11月13日生まれ。幼名熊千代、与一郎と称す。
1577年(天正5)織田信長に従い雑賀一揆に初陣する。翌年信長の嫡子信忠より一字をもらい忠興と名のる。
1579年明智光秀(あけちみつひで)の娘、玉(たま)(ガラシャ)と婚す。1580年丹後(たんご)宮津12万石に封ぜらる。1582年本能寺の変で妻を離別、父幽斎とともに剃髪(ていはつ)して光秀の誘いを断る。のち豊臣秀吉に許されて玉を迎え入れた。秀吉の没後、徳川家康へ三男忠利を人質に出し、関ヶ原の戦い(1600)では、妻玉は石田三成(みつなり)から大坂入城を求められたが応ぜず、大坂玉造の邸で最期を遂げた。同年その戦功で豊前・豊後39万9000石の大守となり豊前中津城(大分県中津市)に入り、翌年小倉城(福岡県北九州市)に移った。1620年(元和6)病気で中津城に引退、落飾して三斎宗立)と号した。1632年(寛永9)忠利の肥後(熊本県)入国に伴い八代城に入り、正保2年12月2日没す。熊本市泰勝寺と京都市大徳寺高桐院に葬られた。和歌、有職故実に明るく、茶は利休七哲に数えられ、『細川三斎茶書』などの著述がある。
天草四郎
江戸時代初期のキリシタン。島原の乱における一揆軍の最高指導者とされている。
肥後国南半国のキリシタン大名で関ヶ原の戦いに敗れて斬首された小西行長の遺臣・益田甚兵衛の子として母の実家のある天草諸島の大矢野島(現在の熊本県上天草市)で生まれたとされる。
生まれながらにしてカリスマ性があったという。また、経済的に恵まれていたため、幼少期から学問に親しみ、優れた教養があったようである。小西氏の旧臣やキリシタンの間で救世主として擁立、神格化された人物であると考えられており、様々な奇跡(盲目の少女に触れると視力を取り戻した、海面を歩いたなど)を起こしたという逸話もある。
1637年に勃発した島原の乱ではカリスマ的な人気を背景に一揆軍の総大将となる。戦場では十字架を掲げて軍を率いたとも伝わるが、四郎本人はまだ10代半ばの少年であり、実際に乱を計画・指揮していたのは浪人や庄屋たちで、四郎は一揆軍の戦意高揚のために浪人や庄屋たちに利用されていたに過ぎないと見られる。
一揆軍は当時すでに廃城となっていた原城に立てこもり、3ヵ月に及ぶ籠城戦を続けたものの、最終的には食料も弾薬も尽きて原城は陥落し、一揆軍は幕府軍の総攻撃によって倒された。
北里柴三郎
嘉永(かえい)5年12月20日生まれ。明治18年ドイツに留学,コッホに師事。22年破傷風菌の純粋培養に成功し,翌年破傷風の血清療法を開発する。27年香港でペスト菌を発見。その間の25年私立の伝染病研究所を設立。
同研究所の東京帝大移管に反対して辞職し,大正3年北里研究所を創設した。慶大医学部初代学部長,
日本医師会初代会長。
第1回ノーベル生理学・医学賞最終候補者(15名の内の1人)にも挙げられた。
昭和6年6月13日死去。80歳。

歴史

歴史 古代 旧石器・縄文時代の遺跡は、県下各地で発見されています。弥生時代には、いち早く稲作が始まり、大陸に近いことから青銅器や鉄器も見られます。玉名郡天水町では日本最古の鉄斧が出土しており、弥生文化が栄えたことが知られています。古墳時代には、まず、宇土半島の基部に4世紀代の前方後円墳が築造され、その後、県内各地で造られるようになりました。このころ、「火の君」と呼ばれる豪族が栄えました。古墳時代の後半(6・7世)には玉名郡菊水町江田船山古墳にみられるように、大陸との交流を示す遺物を持つ豪族も現れました。墓の中に絵や文様を描く「装飾古墳」や石人・石製品を古墳に立てる独自の風習も大流行しました。筑紫国造磐井の反乱(527年)後、「屯倉(みやけ)」と呼ぶ畿内王権の直轄地が置かれ、全国的な政治体制の中に組み入れられました。律令時代になると、豊かな熊本県は九州で唯一の「大国」となります。鞠智城(菊池市、山鹿市)が造られるのもこの頃です。また、8世紀編纂の「万葉集」にも熊本の風土が歌われています。
中世 平安時代に入ると、肥後国には14の郡とその下には99の郷ができました。荘園全盛期には、阿蘇荘や鹿子木荘、山鹿荘など約10の大荘園ができ、この中から武士団が台頭してきました。そして、いよいよ武士が活躍する時代の始まり。鎌倉時代には、武士たちが地頭や守護に任命され、阿蘇氏や菊池氏、小代氏が各地で勢力をふるいました。鎌倉御家人だった相良氏も球磨地方に入国し、独特の仏教文化を残しました。南北朝時代になると、九州も中央の事情を反映して二派に分かれて対立しました。菊池氏の勢力が強まり、阿蘇、名和、相良の諸氏がこれに続きました。しかし、室町末期、菊池氏の勢力が衰えると、豊後の大友氏、肥前の龍造寺氏、薩摩の島津氏の勢力が伸びてきて、肥後国は戦国三大名の争奪の地となりました。その後、島津氏の勢力下におかれ、豊臣秀吉の九州平定まで続きました。
近世 天正15(1587)年、九州を平定した秀吉は、佐々成政を肥後の国主に任じましたが、国衆一揆により佐々は失脚。その後、加藤清正が県北を、小西行長が県南を、相良氏が球磨を支配しました。熊本城を築造した加藤清正は慶長5(1600)年の関ヶ原の戦いで滅んだ小西氏のあとを受けて肥後を統一。領内では土木・治水工事を手掛けるなど多くの業績を残しました。寛永9(1632)年、加藤氏の後を受けて肥後に入国した細川氏は明治維新まで肥後54万石を治め、茶道の肥後古流、能の喜多流と金春流、門外不出の肥後六花、相撲の吉田司家、肥後象嵌などの文化育成に力を注ぎました。また、3代細川忠利の招きで熊本にやってきた剣豪宮本武蔵は、晩年を熊本で過ごし、「五輪書」を著しています。天草は長崎に近く、小西氏がキリシタン大名であったことから、キリスト教が広く浸透し、コレジオ(天草学林)が建てられたり、ラテン語や天文学などキリシタン文化が栄えました。しかし、慶長18(1613)年に禁教令が出され、次第にキリシタン弾圧が厳しくなる中、重税に苦しめられた農民3万7000人が寛永14(1637)年、一揆を起こしました。これが天草島原の乱です。この翌年鎖国令が出たのもこの乱が大きな原因になったからと言えます。これ以降、天草は明治維新まで天領となりました。

有名学校(学力/スポーツ)

有名高校 学力 熊本高校
県民から「くまたか(熊高)」の愛称でよばれる。
400人の新入生のうち、100人前後が医学部を志望する。地域トップ高校
熊高生はのびのびと高校生活を送っている。部活動の加入率は延べ100%以上。文化祭や体育祭も大いに盛り上がる。
スポーツ

【野球】熊本工業高校
1996年夏の甲子園大会決勝、対松山商業高校との対戦での「奇跡のバックホーム」による惜敗は今も語り継がれる名勝負。

【男子バレーボール】鎮西中学校・高等学校
バレー部、柔道部は全国的にも有名。多くのプロ選手を輩出している
◇有名選手
朝日健太郎(元バレーボール選手、現ビーチバレー選手 – フリー)

有名大学 熊本大学

有名人

出身有名人 タレント ◇内村光良:人吉市
◇くりーむしちゅー/有田哲平:熊本市、上田晋也:熊本市
◇コロッケ:熊本市
◇スザンヌ:熊本市
◇松野明美(元・マラソンランナー、現・熊本市議):植木町(現・熊本市北区)
歌手 ◇NESMITH(ねすみす/EXILE):熊本市
◇石川さゆり:熊本市
◇八代亜紀:八代市
俳優 ◇高良健吾:熊本市
◇福田沙紀:熊本市
◇倉科カナ:熊本市
◇宮崎美子:熊本市
文化人 北里柴三郎(第1回ノーベル生理学・医学賞最終候補者(15名の内の1人)):阿蘇郡
スポーツ選手 サッカー ◇植田直通(鹿島アントラーズ)
野球 ◇秋山幸二(前福岡ソフトバンクホークス監督):宮原町(現:氷川町)
◇松中信彦(福岡ソフトバンクホークス):八代市
◇馬原孝浩(オリックス・バファローズ):熊本市
◇荒木雅博(中日ドラゴンズ):菊陽町
◇山中浩史(東京ヤクルトスワローズ):天草市
有名選手 その他 【柔道】
◇内柴正人:合志市
【ゴルフ】
◇古閑美保:熊本市
【バドミントン】
◇陣内貴美子八代市
【バレーボール】
◇朝日健太郎:熊本市

プロスポーツチーム

スポーツ サッカー ロアッソ熊本(J2)
バスケット 熊本ヴォルターズ

その他

その他 その他 くまもん
ゆるキャラグランプリ2011王者。
熊本県の許可があれば、個人または企業でロゴとキャラクターを無料で利用することができる(個人で楽しむ範囲であれば許可は不要)。
日銀熊本支店の試算によれば、ゆるキャラグランプリ2011優勝から2年間で経済効果は1,244億円に上るとしている。
タイピーエン(太平燕)
熊本県のご当地グルメで日本でアレンジされた中華料理の一種。春雨スープにエビ、イカ、豚肉、白菜、タケノコ、キクラゲなどの五目炒めを合わせ、揚げ玉子を添えたもの。現在、県内の学校給食でも出されるメニュー。
元々、中国福建省の郷土料理をアレンジしてつくられた。

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