変化の激しい現代において、人材を資本と捉えて投資し、価値の最大化を目指す「人的資本経営」への注目が高まっています。
欧州をはじめ、日本でも人的資本の情報開示に向けた動きが出始めているため、今後は人的資本経営を推進する企業が増えていくでしょう。
そこでこの記事では、人的資本経営の概要や注目されている背景、国内外の動向について解説いたします。
人的資本経営を実践するポイントについてもご紹介しますので、ぜひご覧ください。
人的資本経営とは?
引用:国際連合欧州経済委員会『人的資本の測定に関する指針』
人的資本経営とは、人材を“資本”として捉え、その価値を最大限に引き出すことで、中長期的な企業価値向上につなげる経営手法です。
これまで、人材は経営資源の1つとして捉えられてきました。
しかし、企業が環境の変化に柔軟に対応しながら持続的に価値を高めていくには、付加価値を生み出す人材の確保や育成、組織構築が欠かせません。
そのため、これからの企業には、教育や健康管理など人材にかける費用を投資と捉え、いかに人材の持つ価値を高めるかに着目した「人的資本経営」が重要となります。
人的資本経営は、欧州を中心に導入する企業が増えており、アメリカでは2018年に上場企業を対象とした人的資本に関する情報開示が義務化されました。
日本でも、上場企業を対象としたコーポレートガバナンス・コードに、人的資本情報の開示が盛り込まれるなど、世界的に人的資本経営の機運が高まっています。
人的資本と人的資源の違い
人的資源と人的資本の大きな違いは、ヒトをどのように捉えるかです。
人的資源(Human Resource)とは、「モノ・カネ・情報」と同じく、ヒトも経営資源の一つと捉える考え方です。
あくまで “資源”なので、ヒトにかかる費用は「コストとして消費されるもの」と考えられています。
一方、人的資本(Human Capital)とは、その人の持つ能力やスキルを資本と捉える考え方です。
消費されるだけの資源と違い、“資本”は「投資でその価値をより高められる」という考えにもとづいています。
人的資本経営が注目されている背景
近年、世界的に人的資本経営への注目が高まっていますが、なぜ注目されているのでしょうか。
ESG投資やSDGsへの関心の高まり
ESGとは、「環境(Environment)」「社会(Social)」「ガバナンス(Governance)」の頭文字を取った言葉です。
これまで、投資家たちは企業の財務指標を重視していましたが、財務状況だけでは環境汚染や児童労働、不正会計などのコンプライアンス違反が起きていても分かりません。
コンプライアンス違反は事業運営に深刻なダメージを与えるため、環境への配慮や社会との関係性、企業の統制といった非財務指標も加味して投資するようになりました。
企業の人的資本は投資判断の一つである「社会(Social)」に当たることから、注目が高まっています。
また、「SDGs(持続可能な開発目標)」に、ダイバーシティや人材育成など、人的資本と関連する目標が多いのも注目される理由の一つでしょう。
無形資産の重要性の高まり
米国証券取引委員会『Recommendation of the Investor Advisory Committee
Human Capital Management Disclosure March 28, 2019』
企業価値を決める「有形資産(建物・設備など)」と「無形資産(人的資本・ブランド・知的財産など)」のうち、無形資産の重要性が高まっています。
米国証券取引員会が公表したアメリカの「S&P500(上場する主要500銘柄)」の市場価値を見ると、1975年では有形資産が8割超を占めていますが、無形資産の割合は年々増えています。
2005年以降は無形資産が8割を超えたことから、その重要性が高まったのは明らかでしょう。
無形資産の重要性が高まった理由は、競合優位性に大きな影響を及ぼすためです。
一般的に、建物や設備といった有形資産は、お金さえ出せば手に入りますが、人材やブランド、知的財産などの無形資産は独自のものなので、企業の競争力につながります。
中でも、人材は企業の持続的成長に不可欠な存在のため、人的資本経営が注目されています。
人的資本の情報開示における国内外の動向
人的資本に関する情報は非公開とされてきましたが、近年情報開示の動きが活発化しています。
国外の動向
まずは、人的資本の情報開示に関する国外の動向から見ていきましょう。
ISO30414の公開(2018年12月)
ISO30414とは、ISO(国際標準化機構)が、2018年に策定した人的資本の開示に関する国際的なガイドラインです。
ISO30414には、コンプライアンスやコスト、ダイバーシティといった11領域から成る49の項目がまとめられています。
具体的には、
- 人件費
- 採用コスト
- 離職率
- 従業員満足度
- 従業員1人当たりの研修時間
などです。
ISO30414の公開により、欧州では人的資本情報を開示する企業が出てきました。
人的資本に関する情報開示の義務化(2020年8月)
2020年8月、米国証券取引委員会(SEC)が人的資本の開示方針を30年ぶりに改訂し、同年11月にはアメリカの上場企業に人的資本情報の開示が義務づけられました。
人的資本の開示により、財務指標だけでは分からなかった人材の流動性や人材投資状況、ハラスメントリスクなどが可視化されやすくなります。
日本国内の動向
つづいて、日本国内の動向についてご紹介します。
人材版伊藤レポートの公開(2020年9月)
経済産業省は、2020年9月、『持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書〜人材版伊藤レポート〜』を発表しました。
人材版伊藤レポートには、人的資本の情報開示だけでなく人的資本を高める方法についても記されています。
このレポートをきっかけとして日本企業でも、人的資本開示の機運が高まりました。
コーポレートガバナンス・コードの改定案の策定(2021年6月)
2021年6月には、日本でも東京証券取引所が上場企業の企業統治指針「コーポレートガバナンス・コード」を改訂しました。
改定により、「人的資本情報の開示」と「経営資源配分に対する取締役会の実効的な監督」が求められるようになりました。
人的資本経営の実践で求められる「3P・5Fモデル」とは
人的資本経営では、いかにして人的価値を高めるのか、経営戦略と連動した人材戦略の策定が欠かせません。
人材版伊藤レポートでは、人材戦略を検討する際に必要な3つの視点と、組み込むべき5つの共通要素についてまとめられています。
3つの視点1.経営戦略と人材戦略の連動
企業を取り巻く環境の変化が大きい中、持続的に企業価値を高めるには、経営戦略やビジネスモデルと表裏一体であり、その実現を支える人材戦略の策定が不可欠です。
経営戦略と連動した人材戦略を策定するには、
- CHRO(最高人事責任者)の設置
- 経営課題の把握
- 経営戦略における目標の明確化
を行いましょう。
CHRO(最高人事責任者)の設置
CHROは、人事関連の業務全般に責任を持つとともに、経営陣の1人として経営戦略や人事戦略も立案します。
経営課題と人材戦略上の課題は直結しているため、人事と経営の両視点を持つCHROを設置すれば、経営戦略と人事戦略の連動がスムーズに進みます。
また、CHROが従業員や投資家といった異なる立場の意見を、積極的に取り入れることで、実態に即した人事戦略となり、さらに人的資本の価値を高められるでしょう。
経営課題の把握
経営戦略と連動した人事戦略を策定するには、経営課題を把握する必要があるため、自社の現状と改善策を洗い出します。
経営課題は、環境の変化によっても内容や優先度が変わるため、定期的に行いましょう。
経営戦略における目標の明確化
経営戦略上の目標が明確でない場合、人材戦略の目標も曖昧になってしまいます。
具体なアクションにつなげるためにも、経営戦略で達成したい目標やゴールを明確にしましょう。
3つの視点2.Asis-Tobeギャップの定量把握
人材戦略が経営戦略と連動しているかを判断するには、「現在の姿(As is)」と「目指すべき姿(To be)」の ギャップを定量的に把握する必要があります。
そのためには、
- 人材アジェンダの特定
- 目標(To be)ごとのKPIを設定
- 現状(As is)と比較
- ギャップを埋める戦略を策定
を行いましょう。
人材アジェンダの特定
人材アジェンダとは、経営課題がデジタル化なら「デジタル人材の育成・獲得」のように、人材戦略で必要な施策のことです。
なぜ重要なのかを経営者や投資家に説明できるよう、人材アジェンダは明確にしましょう。
目標(To be)ごとのKPIを設定
人材アジェンダごとの目指すべき姿(To be)を決めて、KPI(重要業績評価指標)を設定しましょう。
KPIの達成状況を確認すると、目標までの進捗を把握できるだけでなく、投資家にも進捗報告しやすくなります。
現状(As is)と比較
KPIを設定したら、現状(As is)との比較です。
KPIごとに、現状とどれくらいギャップがあるのかを定量的に把握しましょう。
ギャップを埋める戦略を策定
目標と現状の比較によってギャップが明らかになったら、具体的な戦略の策定です。
経営戦略の目標から逆算して、いつ、誰を対象に、どういった施策を講じるのか、具体的なアクションを決めましょう。
3つの視点3.企業文化への定着
人的資本経営を組織全体に浸透させるには、すべての従業員が自社の人事戦略の方向性や企業文化を理解し、日々の活動や取り組みを通じて浸透させる必要があります。
具体的な方法として、
- 企業理念や企業の存在意義の明確化
- 従業員の意識改革
- 従業員とのコミュニケーション
が挙げられます。
企業理念や企業の存在意義の明確化
何のために自社が存在しているのか、企業理念や存在意義が明確になれば、自ずと自社の競争優位性の明確化につながります。
環境に応じた急な戦略の変化に適応していくには、従業員一人ひとりが企業理念や存在意義を軸とした価値観のもと、同じ方向を向いて業務に取り組むことが重要です。
従業員の意識改革
人的資本経営を浸透させるには、すべての従業員が経営戦略や人事戦略を理解し、自発的に行動するよう、意識や行動を変革する必要があります。
例えば、企業理念に沿った行動に対する報酬や、各従業員とコミュニケーションを図り、意識を変えるといった方法があります。
意識改革には時間がかかるため、長期的な視点で根気強く取り組みましょう。
従業員とのコミュニケーション
従業員とのコミュニケーションも有効です。
一方的に業務を命じたり、人材戦略の内容を知らせたりするだけでは、従業員は動きません。
会社の存在意義や解決したい社会課題、働き方を含めた人材戦略などについて、積極的に従業員と対話し、相互理解を深めましょう。
従業員との対話によって、現場の意見や考えを知れば、より実態に沿った人事戦略の策定も可能です。
5つの共通要素1.動的な人材ポートフォリオ
人材ポートフォリオとは、「どこに、どういう人材が、どれくらい必要か」事業活動で必要な人材の構成を分析したものです。
変化スピードの早い現代で競争優位に立つには、いち早く人材ポートフォリオのギャップを埋める必要があります。
そのため、現時点の人材やスキルを起点とするのではなく、経営戦略の実現や将来的な目標に必要な人材の要件に合致する人材の獲得・育成が求められます。
5つの共通要素2.知・経験のダイバーシティ&インクルージョン
知・経験のダイバーシティ&インクルージョンとは、経験や価値観、専門性といった個の多様性を認め合い受け入れ、活かすことです。
グローバル化や顧客ニーズの多様化が進む近年、企業が持続的に成長していくには、多様な価値観やスキルの活用が欠かせません。
社内人材を最大限活かす環境を整えられれば、経営戦略が実現しやすくなるだけでなく、イノベーションも創出にもつながります。
5つの共通要素3.リスキル・学び直し
りスキルとは、従業員に新しい能力やスキルを習得させることで、新サービスの創出や生産性向上を図る取り組みです。
リスキルや学び直しにより、従業員の専門性が高まれば、事業環境の急速な変化や価値観の多様化に対応できます。
一人ひとりが自らのキャリアを見据えて、学び直しに取り組めるよう、キャリア構築を支援しましょう。
5つの共通要素4.従業員エンゲージメント
従業員エンゲージメントとは、企業への愛着や貢献意欲のことです。
人的資本経営を実践するには、企業と従業員が一丸となって取り組まなくてはならないため、従業員エンゲージメントを高める必要があります。
従業員が主体的に業務に取り組めるよう、企業理念や存在意義、経営戦略などを積極的に発信し、従業員からの共感や納得感を得ることが重要です。
また、学びの機会提供や柔軟な就業環境の整備、多様なキャリアパスの提示といった施策も、従業員エンゲージメント向上につながります。
5つの共通要素5.時間や場所にとらわれない働き方
働き方改革の推進や新型コロナウイルス感染症拡大などの影響から、企業には時間や場所にとらわれない働き方が求められるようになりました。
在宅勤務や時短勤務、サテライトオフィス勤務などを積極的に取り入れ、ライフワークに合った働き方ができるような環境を整備しましょう。
参考:経済産業省『持続的な企業価値の向上と人的資本に関する研究会 報告書〜人材版伊藤レポート〜』
人的資本経営で企業価値を向上
ビジネスを取り巻く環境が目まぐるしく変わる現代において、企業が持続的に成長していくには、アイデアを出したり、分析したりするヒトの存在が重要です。
教育や職場環境の整備など、人材関連の投資をして能力・技術の高い従業員を育成し、自社に貢献してもらいましょう。
また、人的資本経営に取り組む企業は世界的に増えており、投資家たちも注目しているため、今後ますます重要性は高まると考えられます。
企業を存続させるためにも、今のうちから取り組んでみてはいかがでしょうか。