石川県の特色まとめ
地理
県庁所在地 | 金沢市 | |
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地域区分 | 能登地方 | 珠洲市、輪島市、志賀市、七尾市、羽咋市 |
加賀地方 | かほく市、金沢市、小松市、白山市、白山吉野氏、加賀市、栢野 | |
人口 | 1,132,526人(全国第33位) | |
特長 |
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観光
観光地 | 兼六園:金沢市 岡山市の後楽園と水戸市の偕楽園と並んで、日本三名園の一つ。 17世紀中期、加賀藩により金沢城の外郭に造営された藩庭を起源とする江戸時代を代表する池泉回遊式庭園。 延宝4年(1676年)に5代藩主前田綱紀が「蓮池亭(れんちてい)」を造り、その庭を「蓮池庭(れんちてい)」と呼んだのが 始まりとされている。これは、蓮池門(れんちもん)を入った辺りであり、現在7つある門の中で正門とされている。 何代もの加賀藩主により、長い年月をかけて形づくられてきた兼六園ですが、作庭における基本的な思想は一貫していたようです。 その思想とは神仙思想。大きな池を穿って大海に見立て、そのなかに不老不死の神仙人が住むと言われる島を配します。 藩主たちは、長寿と永劫の繁栄を庭園に投影したのです。最初の作庭者、5代藩主・綱紀(つなのり)は、瓢池に蓬莱(ほうらい)・方丈(ほうじょう)・ 瀛州(えいしゅう)の三神仙島を築きました。また、13代藩主・斉泰(なりやす)も、霞ヶ池に蓬莱島を浮かばせています。 |
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富山地区 |
【金沢市】 長町武家屋敷通り (金沢市) |
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高岡地区 |
金沢城:金沢市 五十間長屋・菱櫓・橋爪門続櫓 玉泉院丸庭園 |
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【金沢三茶屋街】 にし茶屋街:野町・寺町 |
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能登島ガラス美術館 金沢21世紀美術館 |
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観光地 | 新川地区 | 能登半島
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◇松井秀喜ベースボールミュージアム:能美市 ◇のとじま水族館:七尾市 ◇金沢市立安江金箔工芸館 ◇石川県立伝統産業工芸館(金沢市) |
特産品
食品 | 食品 |
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料理 |
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工芸品 | 工芸品 |
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◇美術・工芸に関する文化勲章受章者、重要無形文化財保持者(人間国宝)はこれまでに17人を数える。 ◇沢箔の生産が盛んであり、金箔の国内シェアの98%以上を占めている。(銀箔の国内シェアにおいては100%) |
産業
産業 | 拠点がある有名企業 |
株式会社北國銀行(金沢市) |
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主要産業 |
1位:サービス業 |
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産業別就業者の割合 |
◇第一次産業 約3.1% |
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名目県内総生産額 | 約4兆7,678億円 | |
産業に関する施設・史料館 |
◇加賀 伝統工芸村 ゆのくにの森 ◇こまつの杜・わくわくコマツ館 |
性格
県民性 | 全体 |
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男性 |
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女性 |
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歴史(人物)
歴史上有名人 | 江戸末期 | 前田利家(生まれは現・名古屋市中川区荒子) 戦国時代から安土桃山時代にかけての武将、戦国大名。加賀藩主前田氏の祖。豊臣政権の五大老の一人。 尾張国海東郡荒子村(現・名古屋市中川区荒子)の荒子城主前田利春の四男。はじめ小姓として織田信長に仕え、青年時代は赤母衣衆として従軍し、槍の名手であったため「槍の又左」の異名を持った。その後柴田勝家の与力として、北陸方面部隊の一員として各地を転戦し、能登一国23万石を拝領し大名となる。 信長が本能寺の変により明智光秀に討たれると、はじめ柴田勝家に付くが、後に羽柴秀吉に臣従した。以後、豊臣家の宿老として秀吉の天下平定事業に従軍し、加賀国・越中国を与えられ加賀藩百万石の礎を築く。また、豊臣政権五大老に列せられ、豊臣秀頼の傅役(後見人)を任じられる。秀吉の死後、対立が顕在化する武断派と文治派の争いに仲裁役として働き、覇権奪取のため横行する徳川家康の牽制に尽力するが、秀吉の死の8ヶ月後に病死した。 |
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長谷川 等伯:安土桃山時代から江戸時代初期 天文8年(1539年) – 慶長15年2月24日(1610年3月19日))は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての絵師。 狩野永徳、海北友松、雲谷等顔らと並び桃山時代を代表する画人である。 天文8年(1539年)、能登国七尾(現・石川県七尾市)で能登国の戦国大名畠山氏に仕える下級家臣、奥村文之丞宗道の子として生まれる。 現在確認される作品は80点余り。豊臣秀吉が幼くして亡くなった愛児・鶴松の追善のために建立した祥雲寺(廃寺)の金碧障壁画(その一部が現在、京都・智積院に伝存)と、松林図屏風が代表作。 金碧障壁画制作のかたわら、中国・宋元の風を承けた水墨の作品もよくした。特に牧谿の「観音猿鶴図」(国宝、大徳寺蔵)影響が強く、その筆法を会得するまで何度も繰り返し描いている。 等伯の残した作品の多くは重要文化財に、一部は国宝に指定されている。 |
歴史
歴史 | 古代 | 飛鳥時代には越国あるいは三越分割後の越前国に含まれていた。奈良時代に入り、718年に羽咋・能登・鳳至・珠洲の4郡を割いて能登国が立てられた。能登国は741年越中国に併合され、この頃大伴家持が越中国の国司として赴任している。757年には越中国から分離し、再び能登国が立てられた。平安時代初期の823年になって越前国から加賀・江沼2郡を割いて加賀国が立てられた。これは令制上最後の立国である。 七尾市にある能登国分寺跡は、能登地方を支配した能登臣(のとのおみ)一族が白鳳時代に建てた寺院を843年に国分寺としたものである。法起寺式伽藍配置を持ち、約400年にわたり能登の仏教の場として栄えたとされる。奈良時代から平安時代には、能登半島には渤海の使節がたびたび到着し交易が行われていた。志賀町の福浦港では渤海使が船の修理や宿泊をしたと伝えられており、平安時代初めに渤海使接待のため能登国に建てられた能登客院はこの地にあったと考えられている。 野々市市の末松廃寺跡は加賀地方北部に本拠を置く有力氏族道君(みちのきみ)が7世紀後半に創ったとされる寺院である。法起寺式伽藍配置をしており、屋根瓦の一部は能美市辰口地区(旧・辰口町)で焼かれたものであることが分かっている。奈良・平安時代、北陸地方には東大寺、西大寺などの荘園が多くあった。白山市から金沢市に跨る東大寺領横江荘もそうした荘園の一つである。平安時代に修験道が活発になると白山を山岳信仰の対象とする白山信仰が広まり、山頂への登山道(禅定道)の起点の一つとなった白山比咩神社は信仰の拠点となった。 平安時代末期の治承・寿永の乱(源平合戦)では、源義仲(木曾義仲)が倶利伽羅峠の戦い(津幡町)で数で圧倒する平家の義仲追討軍を破り、さらに篠原の戦い(加賀市)で逃げる平家を追撃し、京都に進んだとされる。 |
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中世 |
鎌倉時代、新たに設けられた守護は加賀国、能登国とも比企氏、北条氏、室町時代に入ると加賀国は斯波氏、冨樫氏、能登国は吉見氏、畠山氏であった。 加賀一向一揆が抵抗の拠点として築城した鳥越城(白山市) |
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近世 | 前田利家の長男前田利長は関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍につき、戦後越中国を与えられた。利長は江戸幕府の幕藩体制のもと加賀国、能登国、越中国の3国を治める加賀藩の藩主となった。加賀藩前田家は外様大名でありながら大名の中で最大石高である約120万石を領した。 第三代藩主前田利常は、江戸幕府二代将軍徳川秀忠の娘・珠姫を娶った徳川の大名として大坂の陣を戦い、戦後の大坂城改修の普請では通常の大名の負担分より多い負担を敢えてするなど、外様大名として取り潰しを避けることに意を用いたとされる。利常は1639年に家督を長男前田光高に譲り、次男の前田利次に富山藩を、三男の前田利治に大聖寺藩を分封した。しかし、1645年に光高が急死し、第五代代藩主となった光高の長男前田綱紀がまだ幼かったため、利常が後見人として藩政を補佐した。 利常が綱紀を後見した時代には、貧農の救済、年貢納入の徹底などを目的とした改作法と呼ばれる農政改革が実施された。これは、農民の借金を帳消しにした上で、農具、種籾の購入資金や当座の食料を貸し付けて農業生産性を高めるとともに、各地の有力豪農などから選任した十村(とむら)に農民の監督や徴税を委ねるものである。改作法は所期した成果を挙げ、藩政の安定に寄与した。この頃から加賀藩は蔵米を日本海から関門海峡、瀬戸内海を通り大坂まで運ぶ船輸送を始め、後の西廻海運の基となった。なお、1659年に白山が噴火(最も新しい噴火)。1668年と1671年には手取川の洪水で多数の死者が出ている。 |
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江戸時代前期の古九谷の銚子 加賀藩は、産業の振興に力を入れ、学問や文芸を奨励したことから、城下町の金沢を中心として今に続く伝統文化が興隆した。金沢城内に設けた御細工所は初め武器・武具の修理等を行う組織であったが、利常は茶の湯道具や掛幅など美術工芸品の製作・修理をさせ、綱紀は塗物・蒔絵細工、象嵌細工など20を越える職種を扱わせた。綱紀は学問の奨励のため木下順庵、室鳩巣、稲生若水といった学者の招聘につとめた。綱紀が収集した古今東西の図書は尊経閣文庫として受け継がれている。綱紀は能楽の宝生流を取り入れ加賀宝生と呼ばれ栄えた。兼六園は綱紀による蓮池庭と御殿の建設が始まりとされ、現在の姿が完成するのは江戸時代後期である。 輪島塗は江戸時代に輪島で下地塗りの漆に混ぜる珪藻土が見つかったことで堅牢な漆器となり、日用食器として盛んに生産されるようになった。北前船が寄港する輪島港の海運の利を活かして全国に販路を広げた。また江戸時代後期には沈金や蒔絵の技法が加わり美術工芸品としても発展した。 大聖寺藩では江戸時代初めに殖産興業の一環として鉱山開発に取り組み九谷村(現・加賀市)で磁鉱が発見されたことから窯を築き色絵磁器(九谷焼)の製造が始まった。一旦廃窯されるが九谷焼は加賀藩により再興され、明治期には海外への輸出品となった。 江戸時代後期、加賀藩は1792年に藩校の文学校明倫堂と武学校経武館を文武ごとに別けて設立した。明倫堂では儒学のほか易学、医学、本草学、暦学、算学などを、経武館では馬術、剣術などを教えた。また幕末には洋式兵学校の壮猶館や航海、測量の実習のための軍艦所を作り、ヨーロッパから洋式艦船を購入するなど海防に力を注いだ。 |
有名学校(学力/スポーツ)
有名高校 | 学力 |
※偏差値70以上の進学校
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スポーツ |
【野球】星稜高校 【野球】遊学館 【サッカー】星稜高校 |
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有名大学 | 金沢大学 |
有名人
出身有名人 | タレント | ◇ダンディ坂野(だんでぃさかの):加賀市 ◇河口こうへい:白山市 |
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俳優 | ◇浜辺美波:河北郡津幡町 ◇鹿賀丈史:金沢市 ◇田中美里:金沢市 ◇吉田日出子:金沢市 |
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文化人 | ◇辻口博啓(パティシエ):七尾市 | |
政治家 | ◇林銑十郎(第33代内閣総理大臣):金沢市 ◇阿部信行(第36代内閣総理大臣):金沢市 ◇森喜朗(第85・86代内閣総理大臣):能美市(旧根上町) |
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スポーツ選手 | サッカー | ◇豊田陽平(日本代表):小松市 |
野球 | ◇松井秀喜(元ニューヨーク・ヤンキース 読売ジャイアンツ):能美市 ◇奥川恭伸(東京ヤクルトスワローズ):かほく市 |
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有名選手 | その他 | 【柔道】 ◇松本薫(2012年 ロンドン五輪 金メダリスト):金沢市 【レスリング】 ◇川井梨紗子(2021年東京五輪 金メダリスト):河北郡津幡町 ◇川井友香子(2021年東京五輪 金メダリスト):河北郡津幡町 |
プロスポーツチーム
スポーツ | サッカー | ツエーゲン金沢 (J2) |
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バスケット | 金沢武士団(B.LEAGUE) | |
野球 | 石川ミリオンスターズ(プロ野球独立リーグ・日本海オセアンリーグ) |
その他
その他 | その他 | 北陸新幹線開通 2015年3月14日 東京-金沢間で北陸新幹線が開通した。 首都圏からの観光客増加はもちろんのこと、海外から訪れる旅行客も増加している。 |
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加賀屋 和倉温泉の筆頭旅館の地位を占め地上20階、約1,450名の収容人員を持つ全国最大級の旅館 1977年(昭和52年)1月より、旅行新聞新社が主催する「プロが選ぶ日本のホテル・旅館100選」(全国の旅館業者の中から選定)の総合部門1位として認定・表彰されている。この年以降「36年連続」で加賀屋が総合「1位」を連続受賞中。 |
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石川県の鏡餅は紅白 なんと石川県の鏡餅は紅白なのが当たりまえ! 鏡餅が紅白なのは実は石川県(金沢市)だけ。江戸時代に金沢市のお菓子屋が紅白はめでたいと売りだしたのが始まりです。 そして、全国のお餅メーカーも石川県用に紅白のものを作っています。 結婚や転勤などをきっかけに他県へ引っ越した場合は、両方が白いお餅の鏡餅しか売ってなくて驚くかもしれません。 ※加賀百万石の藩主だった前田家が飾っていた鏡餅が紅白だったから今でもその伝統が続いているのでは?と言われています。 |