滋賀県の特色まとめ
地理
県庁所在地 | 大津市(令制国の近江国) | |
---|---|---|
地域区分 | 湖南 | 大津市、草津市、守山市、栗東市 野洲市、甲賀市、湖南市 |
湖東 | 東近江市、近江八幡市、蒲生郡(日野町、竜王町)、彦根市、 愛知郡(愛荘町)、犬上郡(甲良町、多賀町、豊郷町) |
|
湖北 | 長浜市、米原市 | |
湖西 |
|
|
人口 | 1,413,610人(全国第26位) | |
特長 |
|
観光
観光地 |
琵琶湖 浮御堂(うきみどう) 白鬚神社【高島・湖西】 |
|
---|---|---|
湖東 |
彦根城:彦根市
彦根城は、1622年に完成し、徳川家譜代の井伊氏35万石の居城とされた。城郭建築最盛期の |
|
湖南 | 比叡山延暦寺:大津市 標高848mの比叡山全域を境内とする寺院。 平安時代初期の僧・最澄(767年 – 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。 1994年には、古都京都の文化財の一部として、ユネスコ世界文化遺産にも登録された。 |
|
近江神宮:大津 延暦寺:大津市 |
||
湖東 | 永源寺:東近江市 近江随一と言われる紅葉を観ることができる。 東近江市にある「永源寺」は、約650年前に開山された、もみじの里としても親しまれている寺院。 紅葉の時期は境内にある枯山水の庭に赤く染まったモミジが美しすぎる。 |
|
安土城跡:近江八幡市 標高199mの安土山一帯にある織田信長(1534-82)の居城跡。 国指定の特別史跡です。本能寺の変後、焼失して石垣だけが残っています。 一段一段が大きいので、特に女性は歩くのが少し大変ですが、信長ファンであれば行ってみたい土地。 |
||
金剛輪寺:愛知郡愛荘町 741年、行基によって開山された寺院で、観音様をご本尊とする天台宗のお寺。 西明寺・百済寺とともに「湖東三山」と呼ばれ、紅葉の名所となっている。 |
||
湖北 | 長浜城:長浜市 戦国時代末期に豊臣秀吉が城主として築城した城。 浅井攻めの功により織田信長から浅井氏の旧領を拝領した秀吉は、当時「今浜」と呼ばれていたこの地を信長の名から一字拝領し「長浜」に改名し、小谷城の資材を流用して築城しました。 山内一豊が城主を務めたこともあります。江戸時代に入ると長浜城は廃城となり、資材の大半は彦根城の築城に流用されました。彦根城の天秤櫓は、長浜城から移したものと伝えられています。 |
|
|
特産品
食品 | 食品 | 近江牛 – 神戸牛、松阪牛と並ぶ日本三大銘柄牛とされる。 湖魚 – 琵琶湖で鮒や小鮎などが獲れ、珍しい湖魚料理が食べられます。 シジミ – 琵琶湖水系にだけ棲む固有種である「セタシジミ」。 コクのある味わいは昔から琵琶湖の特産品として知られる。 |
---|---|---|
料理 | ふな寿司 – フナを用いた熟れ鮨(鮓)であり、歴史は奈良時代にまでさかのぼる 赤こんにゃく – 赤く染色したコンニャク。昔から近江八幡ではコンニャクと言えば赤色でした。 サラダパン – 1951年創業のパン屋「つるやパン」の名物パン 湖魚料理 – 小鮎の佃煮、鮒の身に鮒の卵をまぶした刺身など変わった料理 鴨すき - 長浜の郷土料理。鴨肉のすき焼き 丁稚羊羹 - 近江の昔からの名物菓子。 のっぺいうどん - 滋賀県長浜市で明治時代から食べられている料理 近江ちゃんぽん - 彦根の「麺類をかべ」が発祥となって滋賀県全域に広がり、 滋賀県のB級グルメの一つとして名前があがるようになってきた近江ちゃんぽん。 すやき - 中華麺をそのままシンプルに焼いたから、素焼き(スヤキ)。B級グルメとして有名。 |
|
工芸品 | 工芸品 |
|
産業
産業 | 拠点がある有名企業 |
株式会社三東工業社(甲賀市) |
---|---|---|
主要産業 |
1位:製造業 |
|
産業別就業者の割合 |
◇第一次産業 約2.6% |
|
名目県内総生産額 | 約6兆7,679億円 | |
産業に関する施設・史料館 |
◇ヤンマーミュージアム ◇長浜鉄道スクエア |
性格
県民性 | 全体 | 勤勉で努力家、辛抱強い性格は昔のままだ。こちらも義理を欠くことだけは避けたいもの。 ただし、京阪のベッドタウン化が進むにつれ、新型の滋賀県人も増加しているのが現状。 金も貯めるより使う派が多く、気兼ねなく付き合える。 |
---|---|---|
男性 | 真面目で勤勉、少々暗いところがある。内面は頑固で負けず嫌い。 研究心旺盛のがんばり屋。逆境に強く、何事にも思慮深い。 |
|
女性 | 地味だが、真面目で正直。働き者で金銭感覚がしっかりしているから、財布のヒモは固く、せっせと貯金に励む。 |
歴史(人物)
歴史上有名人 |
浅井長政(武将・浅井氏第3代):小谷城 【姉川の戦い】 |
---|---|
石田三成(豊臣五奉行・近江佐和山城主、斬首):石田村 安土桃山時代の武将・大名。豊臣氏の家臣。豊臣政権の五奉行の一人。関ヶ原の戦いにおける西軍側の主導者として知られている。 安土桃山時代の武将。幼名は佐吉、初名は三也。近江国坂田郡石田村(滋賀県長浜市)の出身。正継の子。 豊臣秀吉の長浜城主時代にその俊敏さを認められ、近侍として仕えた。中国征伐、山崎の戦いにも従い、さらに賤ヶ岳(しずがたけ)の戦いに軍功を著し、1585年(天正13)秀吉が関白(かんぱく)になると、諸大夫12人のなかに選ばれて従(じゅ)五位下(げ)、治部少輔(じぶしょう)に叙任された。 その後、秀吉の全国統一事業が進むなかで、股肱(ここう)の臣として枢機に参画し、太閤検地の実施の中心ともなった。 大坂築城ののち、隣接の重要経済都市である堺の奉行も兼ねた。九州征伐には兵站(へいたん)のことをつかさどり、小田原征伐では関東の諸城の攻略にあたり、さらに陸奥に進んで諸大名の所領替えなどを処理し、一揆の鎮圧にもあたった。 文禄・慶長の役では名護屋(なごや)本営の設営、兵站、交通路の確保・整備にあたり、また奉行として渡海した。 三成は武将ではあるが、その本領はむしろ吏務に長じ、五奉行随一の実力者として政務の処理にあたった。 95年(文禄4)近江佐和山(さわやま)城主となり、江北で19万石余を領した。三成が所領内の民政に留意したことは著名である。 秀吉の死後、徳川家康の勢威が高まるに及んで、毛利輝元、宇喜多秀家(うきたひでいえ)らと謀って家康に対抗し、1600年(慶長5)9月美濃(みの)関ヶ原に戦ったが、小早川秀秋(こばやかわひであき)の裏切りによって敗北、ついに捕らえられて、10月1日京都六条河原で処刑された。 |
|
◇石田三成の逸話◇ 三成の逸話でも、最も有名なのが、『三献の茶』の逸話だといわれている。 「長浜城主となった秀吉は、ある日、領内で鷹狩をしていた。 その帰途、喉の乾きを覚えて、ある寺に立ち寄って茶を所望した。対応した寺の小姓は、まず最初に大ぶりの茶碗にぬるめの茶を一杯に入れて出した。喉の乾いていた秀吉は、それを一気に飲み干したあと、もう一杯たのんだ。次に小姓は、やや小さめの碗に、やや熱めにした茶をだした。秀吉が試みにもう一杯所望したところ、今度は小ぶりの碗に熱く点てた茶を出した。相手の様子を見て、その欲するものを出す、この心働きに感じいった秀吉は、その小姓を城に連れて帰り家来とした。この小姓が、その後累進し、五奉行の一人、石田三成となったのである。」 喉の乾いている相手に、まずは飲みやすい温めの茶をたっぷり出し、渇きが癒えた後は熱い茶を味わってもらう・・・この逸話は気配りの進めとして、広く語られています。 滋賀県・長浜駅前には、この三献茶に因んだ三成と秀吉の像もあります。 |
|
井伊直弼(幕府大老、彦根藩主15代):彦根藩(現彦根市) 彦根藩時代は藩政改革を行い、名君と呼ばれ、江戸城では溜詰として、将軍継嗣問題と日米修好通商条約調印問題をめぐり存在感を示す。 |
|
井伊直弼(幕府大老、彦根藩主15代):彦根藩(現彦根市) 【桜田門外の変】 |
歴史
歴史 | 古代~中世 | 国造が分立した時代には、滋賀県は淡海国造と安国造の領域であった。都に近いために早い時期から開発が進められ、多くの渡来人が入植した。飛鳥時代には近江大津宮、奈良時代には紫香楽宮や保良宮が置かれた。壬申の乱や藤原仲麻呂の乱といった戦乱の舞台となることも度々あった。 近江出身の僧最澄は比叡山に延暦寺を開創した。延暦寺は数々の名僧を輩出し、現代に続く日本の仏教文化を大きく発展させた。 |
---|---|---|
戦国時代 | 戦国時代に入ると、北部に浅井氏が台頭する。形の上で京極氏を奉じた浅井氏は南部を領する六角氏と抗争する。織田信長と結んだ浅井長政に至って六角氏を駆逐するが、後に将軍の信長包囲網に加わって信長に抵抗、小谷城の戦いによって1573年(天正元年)に滅んだ。 近江国を支配圏に入れた信長は、根拠地として近江盆地に安土城を築城する。信長の死後は畿内を地盤とする羽柴秀吉と、越前国北の庄を地盤とする柴田勝家の係争地となり、北部で行われた賤ヶ岳の戦いにおける秀吉の勝利で決着が着けられた。秀吉は初めての領地が長浜であった関係もあり、多数の近江国住民を主に事務方として登用した。石田三成もその1人である。また秀吉の甥豊臣秀次は八幡山城及びその城下町を築き、琵琶湖につながる運河八幡堀を整備し、商業を振興させた。 その他、近江からは蒲生氏郷・藤堂高虎・大谷吉継など数々の名武将を輩出した。戦国時代から江戸時代にかけての甲賀郡では甲賀流忍者が活動していた。 |
|
近世 | 徳川家康は、徳川氏における精鋭軍を率いる井伊氏を関ヶ原に近い彦根に入封させて西国の抑えとし、北部の大部分は彦根藩の領土となった。まとまった大藩は彦根藩のみであり、その他は膳所藩、水口藩、大溝藩、西大路藩、宮川藩、山上藩、三上藩といった小藩、交代寄合の最上家の大森陣屋、交代寄合の朽木家の朽木陣屋、さらに他国の諸藩領や天領なども入り交じり、江戸時代の近江国の領地区分は複雑な様相を呈していた。江戸時代初期には将軍上洛用御殿が水口城、永原御殿、伊庭御殿、柏原御殿とあったが、3代将軍家光以降は上洛も途切れ御殿も次第に老朽化して、廃れていった。 文化面において特筆すべきは、江戸初期の人物で近江聖人とも称された儒教学者中江藤樹が活躍し、日本の陽明学を発展させた。松尾芭蕉(義仲寺に眠る)は近江を旧里と呼ぶほど好んで訪れ俳諧を高めたとともに、近江蕉門と呼ばれる数多くの門人を輩出した。 また江戸時代には、鎌倉時代から続く商工業が飛躍的に発達し、犬上・愛知・神崎・蒲生・高島の各郡、特に八幡・日野・五個荘などから近江商人を多く輩出した。一部の商人は幕末から明治維新の混乱で没落したものの、近代以降も多くの近江商人が活躍し、今日に至る日本経済の発展に寄与した。 |
有名学校(学力/スポーツ)
有名高校 | 学力 |
|
---|---|---|
スポーツ |
【野球】※滋賀県は夏の甲子園優勝記録はなし 【サッカー】野洲高校 【男子バドミントン】比叡山高校 |
有名人
出身有名人 | タレント |
◇宮川大輔:大津市(生まれは京都) |
---|---|---|
歌手 |
◇西川貴教:彦根市 |
|
俳優 | ◇松居一代:近江八幡市 ◇上原美佐:米原市 ◇林遣都:大津市 |
|
文化人 | ◇田原総一朗:彦根市 ◇尾木直樹:伊吹町 |
|
政治家 | ◇宇野宗佑(第75代内閣総理大臣):守山市 | |
スポーツ選手 | サッカー | ◇乾貴士(元日本代表:セレッソ大阪):近江八幡市 ◇井原正巳(元日本代表):甲賀市 【女子サッカー】 ◇中島依美(女子日本代表):野洲市 |
野球 | ◇松田宣浩(福岡ソフトバンクホークス):草津市 ◇則本昂大(東北楽天ゴールデンイーグルス):犬上郡多賀町 |
|
有名選手 | その他 |
【競馬騎手】 【陸上】 【フェンシング】 【バドミントン】 【競泳】 |
プロスポーツチーム | サッカー |
MIOびわこ滋賀 (JFL)※Jリーグ加盟を目指す |
バスケット | 滋賀レイクスターズ(B.LEAGUE) | |
バレーボール | 東レ・アローズ (女子バレーボール)※現在プレミアリーグ(V.LEAGUE)に所属 |
プロスポーツチーム
スポーツ | サッカー | MIOびわこ滋賀(JFL) |
---|---|---|
バレーボール | 東レ・アローズ(女子バレーボール) 現在プレミアリーグ(Vリーグ)に所属 |
その他
その他 | その他 | 琵琶湖 産業用水、近隣府県約1,400万人の飲用水の源、観光資源としてその存在は大きく、地域性も琵琶湖を挟んで異なる琵琶湖の中には有人島(沖島)が浮かんでおり、きちんと小学校もある。 |
---|---|---|
「サラダパン」 滋賀県のごく一部の地域のローカルフードでメディアで取り上げられ、知名度は全国的に知れ渡った。 これは、1951年創業のパン屋「つるやパン」の名物パンである。 マヨネーズで和えた刻みたくあんのペーストをコッペパンに挟んだ一風変わった惣菜パン。 |