島根県の特色まとめ
地理
県庁所在地 | 松江市 | |
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地域区分 | 東部(出雲地域) | 松江市、安来市、出雲市、雲南市、仁多郡(奥出雲町)、飯石郡(飯南町) |
西部(石見地域) | 浜田市、江津市、益田市、鹿足郡(津和野町、吉賀町) 大田市、邑智郡(川本町、美郷町、邑南町) |
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隠岐(隠岐地域) | 隠岐郡(海士町、西ノ島町、知夫村、隠岐の島町) 竹島の領土問題 |
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人口 | 671,126人(全国第46位) | |
特長 |
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観光
観光地 | 東部(出雲地域) |
出雲大社:出雲市 須佐神社:出雲市 |
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松江城:松江市 慶長16(1611)年に堀尾吉晴によって築かれた。4重5階、地下1階の天守閣は、桃山初期の城郭の特徴を残し、実戦向きの構造になっている。 現存天守は国宝に、城跡は国の史跡に指定されている。この他に日本さくら名所100選や都市景観100選に選ばれている。 |
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玉造温泉:松江市 玉作湯神社:松江市 八重垣神社:松江市 |
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美保神社:松江市 漁師町・美保関にある神社。全国各地にあるゑびす社3385社の総本宮です。 出雲大社と両参りしたほうがご利益があるといわれています。 |
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宍道湖:松江市 松江しんじ湖温泉: |
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熊野大社:松江市 意宇川上流に鎮座する古社。出雲大社の祭神・大国主命の父にあたり、八岐の大蛇を退治したことでも有名な素戔嗚尊を祀っている。 強力なパワースポットとしても有名な熊野大社。 神話に基づくさまざまな神事が行われ八岐の大蛇を退治したことでも有名な素戔嗚尊を祀っています。 |
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◇しまね海洋館アクアス:浜田市 ∟中四国最大級の水族館 ◇島根県立古代出雲歴史博物館 ∟荒神谷遺跡で発掘された銅剣(国宝)や加茂岩倉遺跡の銅鐸(国宝)、13世紀半ばの出雲大社本殿の巨大柱などを展示する。 ◇石見銀山遺跡 ∟鎌倉時代の末期、周防の国守大内氏によって発見された銀山。徳川幕府の直轄領となり、栄華の源と言われた。 ◇足立美術館:安来市 ∟5万坪の日本庭園もある足立美術館。 世界一を誇る横山大観コレクションを中心とした近代日本画、陶芸、童画との調和美を心ゆくまで堪能できる。 庭園は庭園は米国専門誌のランキングで日本一に選ばれている。 |
特産品
食品 | 食品 |
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料理 |
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工芸品 | 工芸品 |
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産業
産業 | 拠点がある有名企業 |
エステック株式会社(松江市) |
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主要産業 |
1位:製造業 |
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産業別就業者の割合 |
◇第一次産業 約7.8% |
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名目県内総生産額 | 約2兆5,318億円 | |
産業に関する施設・史料館 |
◇東出雲おちらと村 ◇出雲日御碕灯台資料展示室 |
性格
県民性 | 全体 | 昔の出雲(県東部)、石見(県西部)、隠岐の3つの地方で性格がまったく異なる島根県。出雲は真面目で勤勉。我慢強いが引っ込み思案で消極的な性格。神様の国らしく「優雅さ」があるのが特徴。保守的なのでよそ者に対しては排他的な部分もあり、親しくなるまでに時間が必要なので覚悟を。石見は古くから出稼ぎが盛んで、行商などで他地域との交流も活発。明るく積極的なぶん、多少ルーズさも見え隠れする。さっぱりしているので付き合いはラク。隠岐は島国なだけに独立心旺盛で純朴。 |
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男性 | 出雲は保守的な人が多く、打ち解けるまでに時間がかかる。石見は古くから季節労働が盛んで、行商や漁港で他の地域が活発だったためか、積極的な人が多い。明るく単純明快で、さっぱりしているから付き合いは楽。 | |
女性 | 出雲は真面目で控えめなタイプが多い。何事にも慎重だから、流行に流されることはない。 石見は愛想が良く、活発な人が多い。見かけ以上にタフで芯が強い人が多い。 |
歴史(人物)
歴史上有名人 | 尼子経久 戦国時代の武将・大名。出雲守護代、陰陽十一州の太守 出雲守護代尼子清定(きよさだ)の嫡子。1478年(文明10)ごろ父にかわって守護代に補任されると、寺社領の押領、段銭徴収の緩怠(けたい)、美保関(みほのせき)公用銭の未進など、公然と守護の支配に抗して戦国大名への道を指向したので、1484年(文明16)守護京極政経(きょうごくまさつね)によって守護代職を罷免(ひめん)され、富田月山(とだがっさん)城(島根県安来(やすぎ)市)を追われた。 しかし、2年後富田城を奪回、守護を放逐し、近隣の国人を制圧して戦国大名として独立。 大内義興(よしおき)が足利義稙(あしかがよしたね)を奉じて上京すると、その間隙(かんげき)を縫って中国地方に進出して版図(はんと)を広げ、大永(たいえい)年間(1521~1528)尼子氏の最盛期を築いた。 天文(てんぶん)10年11月13日、84歳で富田城内に没した。 |
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出雲阿国 安土桃山時代から江戸初期にかけて活躍した阿国歌舞伎の創始者で、歌舞伎の始祖とされる女性。 出雲大社の巫女(みこ)であったといわれ、芸能団を組織して各地を歩き、1603年京都四条河原で念仏踊りを興行して人気を得、さらに簡単な所作を加えて阿国歌舞伎に発展させた。一座の狂言師三十郎(三九郎)あるいは名古屋山三(なごやさんざ)の協力があったといわれる。 |
歴史
歴史 | 中世 | 鎌倉幕府が成立すると、全国に守護が置かれましたが、出雲、石見、隠岐の守護はいずれも近江の佐々木氏でした。彼らとその一族の多くは、それぞれ土着して有力在地領主となりましたが、石見守護は承久(じょうきゅう)の乱に京方となって敗れたため、以後は在地土豪の益田氏が実質的な守護となりました。 室町時代になると、出雲、隠岐守護には京極(きょうごく)氏、石見には大内氏が任じられましたが、応仁の乱後、下剋上(げこくじょう)の風潮が一段と強まり、富田(とだ)城(広瀬町)を拠点とする京極氏の守護代尼子(あまこ)氏が急速に強大化し、奥出雲の砂鉄や石見銀山を手に入れて、16世紀初めの最盛期には山陰、山陽にまたがる大戦国大名に成長しました。しかし、間もなく衰退の色を強め、永禄9年(1566)安芸(あき)の毛利元就(もうりもとなり)によって滅ぼされました。 |
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近世 | 関ヶ原の合戦後、出雲、隠岐の太守として入国した堀尾吉晴は、富田城を廃して松江に築城しました。その後、寛永15年(1638)徳川家康の孫、松平直政が入城して親藩松江藩が誕生し、明治維新まで続きました。その間、広瀬、母里(もり)の2支藩が成立しています。茶人大名で有名な7代藩主治郷(はるさと)のとき、藩政改革に一応成功しましたが、幕末の激動期にはその対応に苦しみ、維新政府による鎮撫使(ちんぷし)の派遣を受けました。 石見は銀山領(天領)、浜田藩、津和野藩から成っていますが、石見銀山は17世紀前半最盛期を迎え、わが国最大の産出量を誇りました。浜田藩主は複雑に代わりましたが、幕末には親藩松平家となり、そのため、第2次長州征伐に際し、長州の攻撃を受け、浜田城は炎上しました。津和野藩は坂崎出羽守に次いで亀井氏が藩主となりましたが、幕末には長州と結んで倒幕運動に参加しました。 隠岐は天領に編入されましたが、松江藩預かり地の時代が長く、藩代官の支配を受けました。そのため維新期には島民の不満から隠岐騒動が起こりました。 |
伝説
歴史 | 伝説 | 【ヤマタノオロチ伝説】 高天原(たかまがはら)を追放された、須戔鳴尊(すさのおのみこと)は、出雲の国(島根県)、斐伊川(ひいがわ)上流の鳥髪(現船通山)にやってきました。須戔鳴尊が上流へ向かうと、一人の娘を囲んで泣いている老父と老婆を発見。それが脚摩乳(あしなづち)、手摩乳(てなづち)で、傍らにいた小さな娘があの奇稲田姫(くしいなだひめ)だったのです。 須戔鳴尊が、泣いている理由を尋ねると、「私たちには、8人の娘がいたのですが、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)がやってきては、毎年娘たちを一人ずつ食べていったのです。そして今年もまたヤマタノオロチがやってくる時期がきたので、最後の娘である奇稲田姫をも食い殺されてしまうかと思うと悲しくて、涙が止まらない」とのことだったのです。須戔鳴尊がそのヤマタノオロチについて尋ねると、2人は続けてこう答えました。「一つの胴体に8つの頭、8つの尾を持ち、目はホオズキのように真っ赤であり、体にはコケやヒノキ、スギが生え、8つの谷と8つの丘にまたがるほど巨大で、その腹は、いつも血でただれている」と。 その恐ろしい風貌に須戔鳴尊はしばらく考え、こう切り出しました。「あなたたちの娘・奇稲田姫をわしにくれるなら、ヤマタノオロチを退治してやろう。お前たちは今からわしの言う通りにするのだ。そうすれば、化け物は必ず退治できる」と。須戔鳴尊の急な提案に脚摩乳、手摩乳は戸惑いましたが、「娘の命が助かるなら」と頷きました。 須戔鳴尊は、退治の準備の前に、まず嫁になった奇稲田姫の身を守るために、彼女を爪櫛の姿に変え、髪にさしました。そして脚摩乳、手摩乳に、「8回も繰り返して醸造した強い酒を造り、また、垣根を作り、その垣根に8つの門を作り、門ごとに8つの棚を置き、その棚ごとに酒を置いておくように」と指示をしました。二人は言われたとおりに準備し、ヤマタノオロチがやってくるのを待ちと、そこにヤマタノオロチがすさまじい地響きを立てながらやってきました。そして、8つの門にそれぞれの頭を入れて、ガブガブと辺り一帯に響き渡る豪快な音をたてながら、酒を飲み始めました。すると、酔っ払ってしまったのか、ヤマタノオロチはグウグウとすさまじいイビキをかきながら眠り始めました。その時です。スサノオは刀を振りかざし、ヤマタノオロチに切りかかり、体を切り刻み始めたのです。 刀がオヤマタのオロチの尻尾に差しかかった時、何かが刃先に当たり、中を裂いてみると、なんと剣が出てきました。この剣は、天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)で、不思議に思った須戔鳴尊は、姉にこの剣を献上したと伝えられています。 ヤマタノオロチを無事退治し、この出雲の地が気に入った須戔鳴尊は、ここに奇稲田姫と住むための宮殿を造ることにしました。この宮殿を作る最中、雲が立ち上がった様子を見て、須戔鳴尊は歌を詠みました。「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(ご)みに 八重垣作る その八重垣を」。これは、日本で初めて詠まれた和歌として神話に残されているのです。 その後、須戔鳴尊と奇稲田姫の間には多くの子どもが誕生。そのうちの1人、須戔鳴尊の7世の孫が、因幡の白兎でも有名な大国主命(おおくにぬしのみこと)と言われています。 |
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有名学校(学力/スポーツ)
有名高校 | 学力 | 松江北高校 |
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スポーツ |
【野球】 【サッカー】 【ラグビー】 |
有名人
出身有名人 | タレント | ◇宮根誠司:大田市 ◇アニマル浜口:浜田市 ◇江上けい子(お笑いコンビニッチェ):鹿足郡日原町(現在の島根県津和野町) ◇ネゴシックス(お笑い芸人):安芸市 ◇山内健司(お笑いコンビ かまいたち):松江市 |
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歌手 | ◇竹内まりや:簸川郡大社町(現在の島根県出雲市) | |
俳優 | ◇渡哲也:安来市 ◇佐野史郎:松江市 ◇渡瀬恒彦:安来市 ◇江角マキコ:出雲市 ◇田中美佐子:隠岐郡 |
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文化人 | ◇森鴎外:石見国津和野(現在の島根県鹿足郡津和野町) ◇川村信子(マダムシンコ、バームクーヘン):大田市 ◇森英恵(ファッションデザイナー):島根県鹿足郡六日市町(現在の島根県鹿足郡吉賀町) |
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政治家 | ◇竹下登(第74代内閣総理大臣):飯石郡掛合村(現在の島根県雲南市) | |
スポーツ選手 | サッカー | ◇小村徳男(元日本代表):松江市 |
野球 | ◇和田毅(福岡ソフトバンクホークス→ボルチモア・オリオールズ):出雲市 ◇梨田昌孝(元楽天ゴールデンイーグルス監督):浜田市 ◇大野豊(野球殿堂入り):出雲市 |
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有名選手 | その他 | 【テニス】 ◇錦織圭:松江市 |
プロスポーツチーム
スポーツ | バスケット | 島根スサノオマジック(bjリーグ) |
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サッカー | FC神楽しまね(Jリーグを目指すクラブチーム)松江市を拠点とする。 |
その他
その他 | その他 | 全国の都道府県の中で唯一私立大学が無い |
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出雲大社 行ってみたいスポットは、日本一の恋愛成就の神社として名高い「出雲大社」が48.9%で1位に輝いた。 「出雲ガール」「伊勢女」と言う呼称が付くほどに若い女性が押しかけているというこの2つの神社の遷宮が2013に年重なった際は話題となった。 |